ひそひそ星のレビュー・感想・評価
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色んな意味で困った作品。
内容は、屋形船型宇宙船が宅配便として運航されている人類がほぼ絶滅した宇宙空間で荷物を届けると言う話。届ける場所が東北大震災跡の福島の街並みなので、震災後の街並みを残したいという意図がみてとれる。神楽坂恵を主人公にしている辺り困った感否めず、表現力を誤魔化すには良いアイデア💡と思うのですが、物語通してのヒソヒソ声は観ていて拷問級だ。印象的言葉は『着陸体制に入ります』と宇宙船が言うと同時に外壁扉が🚪開く所。思わずっんな馬鹿なって何度も思うシーンがあり困りましたし笑えました。好きな場面は畳の縁が神社仏閣でしか使用しない白中紋であった事は驚きで、ゴザやら畳の拭き掃除は逆の方向の雑巾掛けも誰が演技指導したんだと言いそうになります。宇宙船もエンジン噴射口は常に火を噴いてる🔥ワケな事なくSF表現のや日常表現にしても粗が目立ち過ぎ笑えました。テーマとして震災後の福島県の街並みや生き残った人々が使いたかったし残したかった様に思える手段が目的化してしまった感じの強くする自分にとってあまり好きな作品ではありませんでした。空き缶を靴底に片足だけ引っ掛けたまま歩くシーンは深い傷(思い出)を残したまま生きる事表現したいのだとは思いますが執拗で困ってしまいます。表現の未熟さをカバーする為のヒソヒソも手段が目的化した様で笑えました。最後の影絵の場面でも表現力の差が解り面白かった。情動音楽のヴァイオリンもしっくりこずに困りました。でも勝手に人の荷物📦開けて見ちゃうのは駄目だよ🙅なぁ。マシンNo.722鈴木洋子さん。
俺感
セピア調の昭和風屋内シーンから始まりますがパンすると宇宙船内です。
なぜか1Kアパート的な台所がありなぜか昭和風な女性がなぜか茶を飲んでいます。
宇宙船の操作パネルは手づくり感に溢れています。
レトロラジオのような箱の船内アナウンスが意味不明の航路を伝えてタイトルが出ます。
タイトルが出たあとの状況説明文は怪しいものでした。
『人類はあれから何度となく大きな災害と大きな失敗を繰り返した。その度に人は減っていった。宇宙は今、静かな平和に包まれている。機械が宇宙を支配し、人工知能を持ったロボットが全体の8割、人間は2割になっている。すでに宇宙全体で人間は、滅びていく絶滅種と認定されている。科学のほとんどは完結しているが、人間は昔と同様、百年生きるのがせいぜいだ。人間の人口は、宇宙の中でしだいに消え入るローソクの火のようだ。』(本編より)
国語力に乏しいのに加えて、率直に言って、とても馬鹿っぽいと思います。
機械が宇宙を支配、8割と2割、絶滅種と認定、科学のほとんどが完結、百年生きるのがせいぜい、消え入るローソクの火。
どうみても、他の言いようがあるんじゃなかろうか。
乗組員であるスズキヨウコは宇宙航行中の日記として音声を録音しています。
その録音として、現在の状況や立場などが説明されます。たとえばしつこいほど挿入される天井照明に囚われた蛾が、何とかいう惑星に着陸したとき入ってきてしまった虫だとか、例えば惑星間宅配サービスで十数年航行しているとか、などです。
それらが総てひそひそ声です。
やがてひとつの星に着き、とことこ荒野を歩いて廃墟のようなところに荷物を届けます。
普通のおじさんがそれを受け取ります。
そんな配達を何件かこなすのが映画の粗筋です。
予感していましたが、音声日記の録音によって、映画として訴えたいことも説明されます。例えば、テレポーテーションなら配達も瞬時だけど、「思い」を伝えるために、何年もかけて運ぶ、とかなんとか。
家での視聴だったゆえ、このへんで私は映画が何分経ったかを見ました。そしてあと何分あるかを見ました。映画が終わるまでにそれを4、5回やりました。
ここで、荷物をテレポーテーションによって一瞬で運ぶより、宇宙を旅して何年もかけて運ぶほうが「思い」が伝わる、という主張が出てきます。
おそらく機械的より人間的であれかし、というシンボルなのでしょう。ただし、それを呈示するには描写が足りません。説明として言ってしまうなら、映画である必要がないのです。スカーレットが、タラのテーマとともにいきなり出ててきて「明日には明日の風が吹くわ」と言えばいいのです。
あるいはテレポーテーションだって「思い」が伝わるかもしれません。なぜそうでないと言えるでしょう。いずれにせよ情緒がいきなり過ぎ、象徴へ導くには短絡過ぎ、なのです。
映画文法を無視というような問題ではなく、これが映画ではないということに、気付かされたわけです。
誰もいない浪江/南相馬でのロケ、またその住人たちの出演は免罪符になっています。素人感も意図的に隠していません。大震災を思い遣っている、彼らに寄り添っているという気配が、冷評を回避するのです。抜かりはありません。
これは、承認欲求で描かれたアートハウス風のプロモーションビデオです。プロモートするのは監督自身です。俺が描く俺の世界です。
言うなれば、桐島の前田涼也が、押しの強い先輩の隣で、先輩のつくった映画を観ている、ようなものです。
鑑賞中、先輩はずっと「どうだこのペーソスは!」とか「どうたこの映像美は!」とか「アルミ缶が靴に噛んだまま歩き回るのって楽しいだろ!」とか、絶対に、それを自負しているに違いないと思わせるねつこさにおいて、同意を強請してくるのです。
とりわけシルエットの回廊のあざとい愁嘆的雰囲気は凄まじいものがありました。
同意はしませんが、これが映画だとするなら、ありふれた体験ではないと思います。
影絵の意味するものは?
園子温による、2015年製作のモノクロSF映画。
人工知能を持ったロボットが8割、人間が2割となった未来の時代、宇宙船に乗ってアンドロイド鈴木洋子が荷物配達員として、銀河を浮遊する話。全体的に静寂に満ちていて、音のないプラネタリウムにいるような感じ。
日本家屋の長屋がそのまま宇宙船になっているのを見た時は、ちょっと笑ってしまいました。
それにしても、どんなメッセージがあるのだろう?
正直なところ、残念ながら、今のところ私には奥の深さが理解できませんでした。
この先、ストーリーがどうなるか考えながら見ると、置き去りにされて、途中で見るのがイヤになってくると思います。前半30分を過ぎたところで、やっと、鈴木洋子以外の人物らしき人間が現れました。
ただ思ったのは、あまりにも欲望に心が支配されて、あれもこれもと精神が忙しい時なんかに見ると、シンプルになれるかもしれません。自分がそうでした。だから、よくわからないなりにも、嫌いになれない映画でした。
テレポーテーションが発達して、瞬時にどこにでも移動できる時代となり、最初のうちはそれが便利でよかったが、人間は「距離と時間の憧れ」を失って退廃的になってしまった…つまりは、この鈴木洋子は、絶滅寸前の人間たちに心のトキメキを配達し続けているのか?
エンディングの影絵のシーンは美しくも哀しい感じ。荷物を影絵の女性が受け取った途端、悲しみに暮れるのは何を意味しているのか? 親しい人が亡くなったことを告げるものが届いたのか? 心に封印していた悲しい出来事を再認識しなくてはいけないもの(形見のような)が届いたのか? 影絵そのものが、過去の回想を意味しているようにも思えました。
これこそが
園子温が伝えたいことが詰まった作品なのだろう。今の人間がしていること、今の環境がこのまま続くとどのような世界が待っているのか。想像もしたことないけど、昔のものと未来のものが混在しているところがリアルだった。一周回って良いとされるもの、結局愛するものの本質が、人間だけが住む星に表されていたのだと思う。
タイクツ
園子温はわからない?
どこに向かってるのか!?
これはショートムービーならいい感じの1本。
自主製作だから嫁を主演にしたのだろうけど、悪いけど彼女に映画1本背負う魅力はない。
タイクツで、タイクツでコマッタ。
静かなる衝撃
ひそにそ星
おそらく初めての園監督作品観賞。
宇宙船かわいかった。あれで宇宙を漂えるなんて羨ましい。
ほっこりと心が落ち着く映画でした。
つなぎ姿も、かわいかった。
すべての人の声がひそひそなのは、聞き取りにくかったけれど…
笑われてムカッときちゃうところとか
人間ではない設定ですが、時々感情的なのがよかったです。
福島は今もあのままなのでしょうか?衝撃でした。
SF映画として堪能しました。
あ、少しだけ、落ちちゃいました。
郷愁に浸る
途中寝てしまったが、しっかり観ていればよい映画だったのかもしれない。昭和の民家のような宇宙船。水道からこぼれる水滴、拭き掃除は何のため?影絵の中を歩くシーン、荷物を受け取った一家が驚愕し、悲嘆にくれる場面が影絵で表現されている部分は、昔いつかみた夢の中でこんなシーンがあったのではないか、と懐かしい感情がほとばしり、なぜか涙している自分がいた。不思議な映画。
映像詩人園子温が好きな人にはオススメ
園子温版銀河鉄道の夜だと思いました。
エンケンさん、宇宙船さんが好き。
神楽坂さんも良い感じ。
私がまだ5歳位の頃、産まれて初めて映画館で観た映画はますむらひろしの銀河鉄道の夜でした。
5歳の私はどんな物語が展開されるのだろう?とワクワクしたのですが、この映画の見始めは、同じようなワクワク感。
タルコフスキーのオマージュがあるとコメントされてる方もいたので、昔から気になってた惑星ソラリス見なきゃ!とも思いました。
奇妙なサーカス以来の美しさ儚さ
気球クラブ、その後以来のせつなさ
紀子の食卓以来のワクワク感
後半は退屈だけど見終わって余韻に浸りつつ考えた結果好きになる映画
やっぱり紀子の食卓が一番好き。でも、
園子温が面白い方に戻ってきてくれたことを確認し安心できたのが一番の収穫。
この映画のミツコさんは
コンピューターきかい6・7・マーM
かな?
ちょっと陳腐な影絵は
失われた日常、普通に暮らすことが許されなくなった日常
なのかな。
洋子コンピューターきかい6・7・マーMにずっと旅していて欲しいと愛おしく思ってしまう
永遠の尊さ、日常の尊さを再認識
被災地以外に住んでいると忘れてはいけないと思っていたはずなのにいつの間にか忘れてしまいがちな、身近な失われてしまった世界が日本国内にあることを再認識し、そのありえないはずの現実にせつなくなって涙
タルコフスキーの時間感覚
タルコフスキー映画のファンにとっては、長回しやオマージュショットもあり、タルコフスキーと同じ時間感覚に浸れる、予期せぬ 癒しの作品。
アンドロイドの宅配業者とずっと旅を続けていたい!
(≧∇≦)
すごい映画なのかもしれない
映画を観て一週間たちます。パンフレットやネットで情報を漁っての感想です。私たちの生活での映画の存在の小ささと、それでいて重要さを示している作品です。映画を観ることは非日常を求めているのですが、この作品は非日常を宇宙船とアンドロイド、宅配便というもので設定し他は殆どが日常を表現しています。観客は非日常を求めるが映画では荷物を渡すところくらいしかなく、それも別段何かがある訳ではないのです。宅配の荷物を渡すシーンで何かを期待し、ありふれたやり取りでも心が動きます。映画を観ながらその事を感じ取るように計算された放置プレイの映画なのです。実際に私たちの生活は平凡なルーチンから出来ていてその中のひと時に喜びや悲しが存在しています。映画はそのひと時なのです。
これが私の理解力の限界でした。
夢の世界
夢のような素晴らしい世界、というわけではない。
脈絡のなさそうな光景や状況がつながっている。
これは園監督の夢なんだろう。夢だと思いたい現実だったりするが…。
寺山修二の田園に死すを思い出してしまった。
詩的
園監督 詩を書いてた頃は「ジーパンを履いた朔太郎」と言われてたらしいんだけど、その部分が前面に出てたね。
主演の神楽坂恵さんが映像に合ってて「さすが嫁さんの活かし方知ってんなあ」と思ったよ。
「これは映像の詩なんだな」と思って観てたから、ストーリーは気になんなかった。動きの少ない映像が続くから、途中何回か寝落ちしたんだけど、まあいいんじゃないかな。ゴダールだってみんな寝るしさ。
「これは詩の世界なんだな」と思ってい観ている草原に漁船が転がっている光景が「現実の光景だ」と気づいたときに、少しヒヤっとしたなあ。
もう一回みたらもう少し色々感じると思うから、また行こ。
「記録」として撮るだけというのは果たしてどうか
園子温。
「紀子の食卓」で作風と演出の方向性が固まり、「愛のむきだし」で変態をエンタメで描き、「冷たい熱帯魚」で変態色が強まり、なぜだか、日本を代表する映画監督として祭り上げられる。
だが「紀子」以前の「奇妙なサーカス」等の作風とその時の方法をミックスしたような「恋の罪」が全然面白くなく、「ヒミズ」に至っては、福島の風景が撮りたいがためだけの、お子様ランチと化して、それ以降の「地獄でなぜ悪い」「TOKYO TRIBE」とさらなるお子様ランチが続き、三池ならお手の物、だが園監督の手には余る「新宿スワン」ですっかり見切りをつけた監督である。
今回、全く観に行くつもりではなかったが、連れがどうしても観たいという。神宮前のワタリウム美術館で展示をしているということもあり、美大での彼女の、アートなにおいをかぎ取ったのか、お供で鑑賞した次第である。
本作、園が昔書いた脚本を映画化する際、福島の今を記録することの作家としての思いが合致し、作られたという。
なるほど、アンドロイドが「思い出」を届ける、というのは、SF的だ。その届け先が荒廃した世界の人々、というのが「福島」にあたる。
「希望の国」は観ていないが、今回は「いやらしさ」を排除したとう。
果たしてそうか。
「ひそひそ星」
「ひそひそほし」なのか、「ひそひそせい」なのか、気になって序盤まともに覚えていない、と言うのは嘘だが、どれだけ意味のあるのか、ただただ同じシーンの繰り返し、という序盤。
主人公洋子はアンドロイドで、時間の経過に左右されることはない、というので曜日の経過をいちいちいちいち繰り返す。お湯を沸かすのに、1日が過ぎるのである。こちとら人間なので、時間の経過ばっかり気になり、そのうち時間どころか映画の経過も気にならなくなるという睡魔に襲われるのは、おそらく意図的だろう。
長い時間をかける、は福島復興にひっかけているのかもしれないが、そういう睡魔を意図的に誘う方法だと腹は立つ。自己満足なメッセージ表現でしかない。
またこの映画、随所に、昭和な描写が続く。蛇口、床の雑巾がけのかけ方(今どき、あんな雑巾がけのやり方するか)。
そして「ひそひそ星」の影絵の姿。徹底して昭和推し。昭和の家族推し。昭和推し、の真意は分からないが、正直、気持ち悪い。
それ以外は実に緩く、各配達物の「思い出」にこれといったエピソードもなく(連れはフィルムが出てきたことに感動したというが)ババアの缶蹴りにちょっと笑ったぐらい。
本作、自主制作ということだが、それを盾にしてる感が強い。「自主制作」なので、観なくていいよ、という妙な開き直り。
例えば、主人公が自転車で福島の町を延々と走るシーンがある。
「記録を残す」、とはそういうことではないだろう。
映画なら、お客さんからお金を取るなら、もっと「お客さんを楽しませる」方法はあるだろうに。知っているだろうに。流れる背景に変化をつけるべきだ。そこはあえて「CG」を使ってでも。SFという体をとっているなら、それこそ。
真摯な作品とは、むしろ、そういうことだとも思うのだが。
まだまだ「福島がこうだから、こういう画が撮れるから撮っておこう」という意図が見えるように思える。
追記
自主制作、と言えど、宇宙船のセットやひそひそ星のシーンなど意外と手間とお金がかかっていそうで、安っぽさはそれほどない。
空き缶
超ミニマムなアート映画でした。
ひそひそ話し、モノクロ、という意味で、園子温過去作の「部屋」みたいだった。
寝不足の時は見ないほうがいいです。
必ず寝落ちします。
映画館で見るなら、ポップコーンは買わない方がいいです。
静かな映画なので、音がいちいち響きます。
まぁ館内、イビキだらけでしたけど…笑
25年前に書いた脚本と、福島を混ぜ合わせた作品のようで。
監督はあまり今作を言葉で表したくないとのこと。陳腐になるから。
でも無理矢理に言葉にすれば、
たぶんこういう事。
声の音量は、放射線量の比喩
音を立てる空き缶は、ずーっと付きまとう被災の記憶(放射能を含む)
恐らくそんなイメージだと思う。
監督自身が被災地に足を運び、被災者の声をきき、何本か福島絡みの映画を撮ってきたことで、彼なりに行き着いたのが「記憶」なんだろう。25年前の脚本ということで、そういう意味でも「記憶」なのだろう。
監督の福島映画の完成系は恐らくこれだと思う。少なくとも希望の国とかヒミズとかよりもグッと核心に近付いた。
削ぎ落として、削ぎ落として、辿り着いたのがこの形だったという事だと思う。
音よりも匂いを感じる
全篇モノクロの作品。
自分は園監督作品は血だったり汗だったり涙であったりこの映画の匂いやべえな
って気持ちでいままで見ていたのだけど
全く匂いがしない。
宇宙というテーマ、ロボットという主人公
だからなのかな?なんか物足りないな
と思っていても荷物を届けるために出会った人物と触れ合う時に自分は微かな匂いを感じました。会うたんびに匂いが伝わって
くるんです。
出演者の一部は福島の市井の人たちで
プロではない独特の雰囲気がまたいい感じなんです。ただひそひそ星というタイトル通りひそひそとしか喋らないので
夢の中に入ってるお客さんが何人かいました。 夢の中でどんな夢を見たのか?
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