劇場公開日 2015年10月3日

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顔のないヒトラーたちのレビュー・感想・評価

全24件中、1~20件目を表示

4.0【第二次世界大戦中に全体主義に覆われたドイツ。終戦後もアウシュビッツ収容所で働いていた戦犯は普通の顔をして生きていたが、或る検事が収容所の戦犯を執念で探す骨太な作品。】

2023年11月6日
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鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

幸せ

ー ドイツが自国を裁いたアウシュヴィッツ裁判までの真実を描いた作品。-

■ドイツ人自らナチスの犯罪を裁き、自国の歴史認識を変えた1963年の「アウシュビッツ裁判」までの道程を描く骨太ドラマ。

■1958年。経済復興の波に乗る西ドイツでは、大戦時に自国が犯した罪が忘れ去られつつあった。
 そんな中、元ナチス親衛隊員が教師をしていることを知った駆け出し検事ヨハンは、さまざまな圧力を受けながらも、生存者の証言などから収容所の実態を執念で調べ上げていく。

◆感想

・冒頭の、ドイツの若者達がアウシュビッツの存在すら知らなかった事に、戦慄を覚える。
ー その後もアウシュビッツの存在自体を否定する者(この辺りは「肯定と否定」で描かれている。)や、今やネオナチが勢力を伸ばしているドイツ。-

・そんな中、若いヨハン・ラドマン検事は、アウシュビッツの戦犯を調べ上げていくのである。
ー だが、彼の両親や恋人の父もナチス党員だったことが分かる。-

<一度は、挫折しかけるヨハン・ラドマン検事だが、検事総長の後押しもあり、「アウシュビッツ裁判」に臨むのである。
 ラスト、テロップにもあった通り、「アウシュビッツ裁判」によりドイツ人の過去に犯した歴史意識が明らかになった事は有名であるが、それを描いたこの作品の価値は高いのである。>

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NOBU

4.5ユダヤ人に対する偏見はどこから来たのか。

2022年9月24日
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元ナチスドイツ軍の兵士たちによる悍ましい犯罪の過去を法で裁く経験浅い若き検事。
内容が濃くかなり悶々と考えさせられた。
戦争犯罪というより人種差別。
ユダヤ人に対する偏見や嫌悪がどこから来たのか..、
ほんとうにわからない。

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miharyi

2.0話はわかるが、

2022年6月12日
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鑑賞方法:VOD

重く受け止めようとすると、もちろん重く深い映画になる。

いろんな人、いろんな過去、いろんな思いに、コメントの的確な表現ができないとこもある。

ヒロインの女性がキレイだった(笑)

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けい

4.0国を愛するからこその闘い

2022年6月6日
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怖い

知的

戦後、日本は自国民が起こした残虐行為に向き合うことなく、隣国アジアから許しを得られず、現在に至っている。
個人が1人立ち上がる精神が求められる。

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ブロディー署長

3.0アウシュヴィッツを知らない世代

2022年2月21日
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自国の過去を追求し正義がなんであるか迷いながら回答を見つけた検事の記録

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ぽな

3.5予備知識が

2021年8月10日
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鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

難しい

あれば面白いのでは。
なければ伝わらないかも。

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T-KAZU

4.0本当の事実

2020年2月24日
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鑑賞方法:VOD

まず、ドイツ軍がユダヤ人に行ったことについて1968年まで世間に知られていなかったことが驚きでした。そのような事実を世界の人は知らなかったということに。そして、検事の人があなたは今教師をやっていますね?今の生徒達に自分が人を殺していたということを言えるのか?人を殺していた人が生徒に教育しているのですか?と昔収容所でユダヤ人を殺してたドイツ人に対して言っている所にすごく衝撃を受けました。そのような人も戦争が終わってからもずっと普通に生活をしているという事実に。もっと恋愛要素ではなく、そのような事実について詳しく描けばわかりやすいのになと思いました。

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arij

3.5戦争犯罪を個人が償う意味

2018年3月12日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

知的

難しい

相次ぐヒトラー映画。ドイツ本国では氾濫するヒトラーものをどのように受け止めているのだろう。

常に自戒の念を呼び起こされるのか、自分とは関係のない遠い過去のものとして捉えるのかー―この映画の若者たちのように。

ドイツ国内で、ナチスの行ったことがこんなにすぐ風化してしまっていたことに驚いた。日本では日本国民を鼓舞するために、軍部の行った非道を寧ろ喧伝していた歴史があるが、ドイツでは違ったということだろうか。

戦争下では残虐の限りを尽くした人間が、平和になった街角でパンを売っている。この矛盾。
主人公の行おうとしていることは、自分等国民のために戦った同胞を、非難し貶める行為でもある。故に反発を招く。

確かに戦争という常軌を逸した条件下で、何が正気で正義であったかを個人に問いただすのは見当違いなのかもしれない。
しかし個人の罪を問うことで、戦争下の人間がいかに非道になりうるかを世間に知らしめ、それにより戦争の抑止力とすることはできるのだと思う。

映画では人体実験を積極的に行った医師を、捕まえるべき最大の悪として描かれるが、逮捕されたのはほぼ一般市民だ。
この題材、同じドイツのベストセラー【朗読者】を思い出した。
主人公が思いを寄せた年上の女性も、同じように裁判にかけられた。
その時、彼女は言った。
「一体どうすればよかったんですか」

私も同じ立場だったら惑うだろう。
軍に逆らい自分の命を危うくしてまで、ちっぽけな正義を貫けるのかと。縁もゆかりもない人間に情けをかけることによって、家族や自分の安全を差し出せるのか、と。

たまたま生きている時代に戦争が起きて、たまたま敵をいたぶってしまった「元々は罪のない」個人を糾弾してどうするのですか、と。言ってしまうかもしれない。

結局、戦争で一番矛盾を抱えて苦しむのは、戦争を始めた国家ではなく、戦争をさせられた一般市民。

自分だったら…と、自問し続けた二時間だった。

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REX

5.0やはり、一人が頑張らなければならない。

2017年11月13日
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大方の人は事なかれ主義で、現状を否定してくる人に対して、なだめたり、貶したり、愛国主義に反するとか。そんななか、真実を突き詰める。正義感に貫かれるというか、そういうことができるのはやっぱり、本当に一人の勇気や行動。ドイツですら、あのような状態だったのかと驚く、日本ではいわんや。やはり、私や、あなた具体的な誰かが勇気を持って行動しなければならない。

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Kentaro

4.51人の検事の存在が、アウシュビッツの真実を伝える!

2017年7月20日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

スタンフォードの監獄実験や、ミルグラム実験のように、全良な一般市民でもその場の状況や環境によって、人は命令に従い悪魔のようになれる恐ろしさを感じました。

アウシュビッツの看守達も、戦争が終わればパン屋だったり教師だったり普通の生活を送っています。

数十年前は何十人、何百人もの命を殺めたはずなのが信じられません…。

裁判によってその真実が明かされますが、反省の色を一切見せない彼らは一体どんな心境なのでしょうか…。

裁判で少しでも、加害者達の心の内が見えてくることを願います。

第二次世界大戦は、誰もが被害者であり加害者でもあったのだと、改めて感じました。

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ガーコ

4.01960年代初頭のドイツ

2017年6月8日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

怖い

知的

1960年代初頭の西ドイツ、若い人の中にはアウシュヴィッツを知らない人が増え、世論も今更もういいではないか、という空気に支配されようとしていた。
若い検事がある訴えから調査を開始、検事総長はユダヤ人で収容された経験があったため、正式に認められる。
恐ろしい強制収容所の実態が明らかになるが、戦争犯罪を自国で裁くという途方もない試みには障害が多かった。
自分たちの父親がナチ党員だったことが大きな負い目を背負わせる。
ドイツはきちんとけじめをつけていた。

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いやよセブン

3.5今のヒトラー

2016年10月23日
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鑑賞方法:映画館

戦後ドイツは、ナチス ヒトラーと向き合っている。
我ら、東亜圏の構築に動いた日本はどうなのだろうと思いながら、これらの映画を必ず見ようと思う。

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ぽっくん

1.5タイトルをあらめてみて納得しました笑 「顔のないヒトラー達」ヒトラ...

2016年10月18日
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タイトルをあらめてみて納得しました笑

「顔のないヒトラー達」ヒトラーが猛威を振るっていた時代から少し後、アウシュビッツでの出来事を国から隠されているせいで若い世代はその悲劇を知らないという時代設定。
上司に「命令されたから」悲惨な事をしたわけでなく、アウシュビッツでは命令はないはずなのに人が殺され しかもそれが隠蔽され世間に隠されていた。あの悲劇はヒトラーだけでなく 時代の雰囲気に呑まれていただれもが生み出した。
「顔のないヒトラー達」というのは、ヒトラーの波に呑まれていた だれもかれもを示す言葉なのだとおもいます。

同時期にヒトラーに関する映画がいくつか出ていましたが、ヒトラーがいた時代でなく その悲劇を知らない人(と、知っているけれど立ち上がれなかった人々)がアウシュビッツでの出来事を紐解いていくという、少し時代が過ぎたあとで、違った良さがありました。

主人公が真面目な検事というのも面白い設定だと思いました。きっと検事でありそのことを誇りに思っている彼にしかこんなことは成し得なかったのだろうなと思います。

そんな彼は、お父さんを尊敬していたけど実はその父も党員だったと知ってヤケ酒したり自暴自棄になっていましたが きっと彼のような体験はあの頃には彼と同じような若者達のほとんどが体験した事なんじゃないかなと思います。

ドイツはヒトラー時代の事を歴史上 悪と為すのか、また それは一体だれの責任なのかという事が議論されてその概念をもとに歴史の扱いが変わっていますが、これがその始まりだったのかなと思いました。

戦争での悲劇は「知らない」では済まされない そんな思いも感じました。

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☆

3.5ナチスが戦時中に行っていたことを知らないドイツ国民が1958年当時...

2016年9月24日
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ナチスが戦時中に行っていたことを知らないドイツ国民が1958年当時いたという事実。それを自国民が裁いていく軋轢は凄かったと思う。
歴史の真実をどこまで把握しているのか、自分に対しても教育に対しても問いたくなるそんな映画だった。

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susumu takeda

4.0こうゆう映画を作れない日本って・・・

2016年8月14日
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鑑賞方法:DVD/BD

興奮

知的

誤解を恐れずに書けば、法定サスペンスとしてスリリングで凄く面白い映画。

しかし、それは逆に良い事だと思う。

気難しく歴史事実を本やネットで学ぶより、こうゆう映画を観る方がより入りやすく感じやすいと思う。

ドイツがナチスとゆう暗部を目を逸らさずに向き合うキッカケになったアウシュビッツ裁判。

日本は何故こうゆう映画を作れないんだろう?
戦争被害者的な側面ばかりクローズアップして、加害者としての部分に蓋をしてきたからだろう。

戦時下の中国では旧日本陸軍の731部隊とゆう、劇中に名前が出てくるナチスのメンゲレと同じような人体実験を繰り返していた事実もあるのだ。
(司法取引で無罪にしたのはアメリカだけど)

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マサミチ

4.0巧い邦題。

2016年5月8日
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鑑賞方法:映画館

怖い

知的

難しい

顔のない、とは巧い邦題だと思った。ハンナ・アーレント曰く
思考停止の凡庸が生む悪が良き市民だったはずのドイツ人を
大量虐殺へと駆り立てた忌まわしき戦争の実態。誰もが消し
去りたいと思う過去の出来事を蒸し返そうとする新米検事が
迫害を受ける。自国民が自国民を裁くというのは苦渋に満ち
た決断であることはよく分かる。しかし彼の蒸し返しにより、
アウシュビッツを知らないドイツ人がどれほどいたかという
信じられない事実も浮かびあがる。ナチス親衛隊だった男が
教師を勤めていることを突き止めたジャーナリストの告発に
より「アウシュビッツ裁判」までの長い道のりが語られていく。
いや、よく頑張ったものだと思う。自国に敵視されながらも
真実を追い求める検事・ジャーナリスト・生き残ったユダヤ人。
自国民の戦争犯罪を認め裁判にかけることの重要性と、この
事実に蓋をして何事もなく日々を謳歌する(顔のない)加害者
達が更なる支配者を生むきっかけとなり得ることを示唆する。
日本にも真摯に向き合ってこなかった犯罪がありはしないか。

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ハチコ

4.0凡庸な悪に対して

2016年3月17日
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ナチス時代をひどい時代だった、でももう過去の事だ、ニュールンベルクで裁かれて終わったのだと思っていたドイツがあったというのが、少し驚きだった。

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Momoko

4.0こういうナチの描き方もあるんだ

2016年3月6日
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1958年当時、アウシュビッツを知らない若い人がドイツにいたなんて、戦後70年経ってすっかり年老いても、ナチとばれれば今でも捕まるという徹底した責任追及をしている今のドイツからは想像できなかった。
この作品で描かれるのは終戦から10年以上経った若き検事の視点で、戦争が人間に残す傷は戦時中に留まらないのだと痛感する。
検事を演じる主演俳優が、時に正義感に燃える青年に、時に頼りない少年のように見えるのが良い。検事を取り巻く職場の人たち、特に秘書の女性も、何とも良い感じ。

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ミーノ

4.0「悪」は常に平凡な者を狙う。

2015年12月11日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

知的

罪を犯した個人が、自分を客観的に見つめることは、それだけで勇気がいる。
ましてや、国家ぐるみの戦争犯罪を、国家が率直に認めることは、なおさら難しい。ドイツはそれをやってのけた。
うがった見方をすれば、ドイツにはヒトラーという「独裁者」圧倒的な「ワルモノ」がいたことで、反省を早期に促す、ある種の触媒になったのではないだろうか?
ヒトラーという、人類史上類を見ない独裁者に罪を被せることで、ドイツは贖罪をしやすい土壌がすでにあったのかもしれない……と僕は、勝手にそう思い込んでいた。
ところが、本作を鑑賞してびっくりした。
本作で描かれる1950~1960年代。当時の西ドイツでは、けっして国全体で戦争犯罪を見つめようとする姿勢は、まだなかったことが伺い知れるのである。
というのも、その頃まだナチスに加担した人は存命であり、その数、なんと数千人。ごく普通の「善良な市民」として、ドイツ国内に紛れ込んでいたのである。
本作は、新米の裁判所検事ヨハンが、かつての「ナチス」党員の、アウシュヴィッツでの犯罪を徹底的に追及してゆく、というストーリーである。これは事実に基づいたセミ・ドキュメンタリーだ。
主人公の若い検察官ヨハン。彼にまわってくる事件、案件は、せいぜい交通違反の罰金をいくらにするか? などという小さな案件ばかりだ。
なにせ彼はまだ検察官になりたて、ペーペーの新人なのだ。お役所の中にあって、最も低いヒエラルキー、ポジションしか与えられていない。
ある日、ヨハンは新聞記者グルニカから、一つの情報を知らされる。
「元ナチの親衛隊員が教員をやってるんだ、こんなこと許されていいのか?!  そいつは元、どこにいたと思う? あのアウシュヴィッツだぜ」
このとき1958年、戦後すでに13年が経ち、ドイツの人々は、あの忌まわしい戦争を忘れよう、としていたのが、本作からうかがえる。
なんと当時、ドイツの若者の多くは「アウシュヴィッツ」という象徴的な「単語」さえ知らない者が多かったらしい。
グルニカからの有力情報は、お役所の中では誰も相手にされなかった。
しかし、ヨハンは若さゆえの正義感からだろうか、この新聞記者の告発を調べてみようと思い立つ。
しかし、それはまさに決して開けてはならない「パンドラの箱」「迷宮」「地獄への入り口」に他ならなかった。
ヨハンはまったくそれに気がつかずに、そのドアを開けてしまったのである。
ナチス容疑者の内偵を密かに進める、主人公ヨハン達検察チーム。
かつてのナチ党員は、ある者は学校教師として勤め、ある者は街のパン屋さんとして実直に働いている。
ニコニコしながら美味しいパンを焼く職人さん。この好人物が、まさか元ナチス党員とは誰も思わないだろう。
しかしアウシュヴィッツ強制収容所で、幼い子供を壁に何度もぶつけ、なぶり殺しにしたのは、今パンを運んでいる、まさにこの男なのだ。
また、大量のユダヤ人をガス室に送り込んでいた男が、いまや教師として平然と勤務していたりする。
やがて、この「アウシュヴィッツ」を巡る事件は、西ドイツに住む人々、ほぼすべての人が「ナチスに加担していた疑いがある」という問題に発展してゆく。ヨハンはやがて自分の父や母でさえ「ナチスの協力者」ではなかったか?
という壁にぶち当たる。
「しょうがないじゃない、そういう時代だったんだから!!」
誰もがそういう。ヨハンの恋人さえも。
だが、ヨハンには心強い味方がいた。
職場のトップ。首席検事バウアーである。
彼はユダヤ人だった。
「しっかりしろ、ヨハン。まず被害者と加害者を特定しろ。確実な証拠を掴むのだ。 明らかな犯罪行為を立証するんだ! 私がこの職にある間にな……」
この事件を引っ掻き回すことは、西ドイツ政府にとってもタブーであったのだ。首席検事バウアーは知っている。いつ自分が左遷されるかもしれないことを。
やがてヨハン達、検察チームは、十数人の容疑者の割り出しに成功。彼らを逮捕し、告訴に踏み切る。
こうして「アウシュヴィッツ裁判」が始まるのである。
しかし、ヨハン達が最も追及したかった男が捕まらない。
それは温厚な医師である。
彼は収容所で双子を選び出す。そして数多くの、おぞましい人体実験を行った。男の名前はヨーゼフ・メンゲレ。別名「死の天使」
1963年12月に始まったこの「アウシュヴィッツ裁判」によって、国家的な犯罪行為が明らかとなる。
本作の公式サイトでは、ドイツのメルケル首相が述べた、追悼式典でのコメントが紹介されている。
「私たちドイツ人は恥の気持ちでいっぱいです。何百万人もの人々を殺害した犯罪を見て見ぬふりをしたのは、ドイツ人自身だったからです。私たちドイツ人は過去を記憶しておく『責任』があります」
時に権力の地位にあるものは、都合の悪い過去を顧みようとしない。更には、「歴史など書き換えてしまえばいい」という、信じられないほど傲慢な態度をとる者もいる。一例を挙げれば、旧日本軍の731部隊については未だに謎の部分が多い。
本作で描かれる、裁判で告訴された被告達。彼らはある種の「みせしめ」に過ぎなかったのかもしれない。
「もっと悪い奴はいる」
おそらく被告達はそう思っていただろう。事実ヨゼーフ・メンゲレは、まんまと逃げおおせ、一度も逮捕されることもなく天寿を全うした。死因は水泳中の心臓発作だった。
本作のタイトルは「顔のないヒトラー達」
実は、善良な一般市民、僕も含め人の心の中には当然、すくなからず「悪」が存在し、残虐性や、攻撃性もある。
そしてなにより、それらは「凡庸な」「普通の」人々の、こころのなかに、そして日常生活の中に、こっそりと潜んでいる、ということである。
ガス室へ送られたのは普通の市民だった。
そしてガス室へ送ったのも、また、「普通の市民」だったのである。
人々の心の中に巣食う「小さな悪魔」をうまくあやつる「扇動者」が出現した時、小さな悪魔はその本性を剥き出しにする。
「巨悪」を平然と行う、「暴力装置」へと変貌するのだ。
その本質は、意思を持たない怪物、別名「群衆」なのである。
以前僕は「ハンナ・アーレント」という作品を鑑賞した。
ナチスの戦争犯罪者アイヒマンの裁判を傍聴した、哲学者ハンナ・アーレント女史の伝記映画である。ハンナ・アーレントは裁判を傍聴しながら気づく。アイヒマンは中身が空っぽの男なのだ、自分の意思というものがまるでないのだ。
被告席に座る男は、単なるヒトラーの「イエスマン」だったのだ。
裁判を傍聴する過程で彼女はやがてひとつの「確信」を得る。
「平凡な市民」の中に巣食う「悪」こそ着目すべきだ、ということを。
それは扇動者に利用されれば、恐るべき「浸透力」「伝染力」を持って「大衆」を瞬く間に支配するのだ。
ハンナ・アーレントは、これを「悪の凡庸さ」と名付けた。

ヒトラーは平凡な男だった、という。
そのあまりの平凡さが「悪のブラックホール」へと大衆を飲み込んでいったのかもしれない。その危険は今も続いている。

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ユキト@アマミヤ

3.5ジャスティスを貫くほど苦しむ

2015年11月7日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

知的

普通の人間が簡単に残酷になれてしまう。
正義、裁き、だけで片付かないからこその苦悩。

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Rubysparks