劇場公開日 2015年5月30日

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「「ダライラマ14世」という存在の意味するもの」ダライ・ラマ14世 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5「ダライラマ14世」という存在の意味するもの

2015年7月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

幸せ

法王密着ドキュメンタリ。
時にお茶目で、時に大声で笑い、人がいても鼻をかむし、かしこまらずにお茶を飲む。まさに本人の言うように一人の人間なのだ。
けしてかしこまらず、それでいてチベットのために心骨を砕いて活動している姿がとても尊い。
そんな法王にホテルのロビーで対面した留学生たちの、感謝の念でいっぱいの清らかな表情をみたら、もうそれだけで涙があふれてきた。チベット人にとって、法王という存在が、太くてぶれない重心となって心の底に根付いている事実を強く感じる場面だった。

ところどころに、日本の若者たちから法王への質問を挟む。
平和とは?、から、女性と付き合ったことはあるか?、まで、多種多様の質問の数々。下世話な質問は不要では?という意見もあるが、僕はこれはこれでいいのだと思う。日本の若者にとっての法王との距離感がとてもよくあらわされているからだ。つまり、よその国の、聞いたことあるくらいの、有名らしい坊さん。そんな程度。
だからこそ、法王は、世界をまわるのだ。英語で語るのだ。たくさんの人に、チベットの実情を知ってもらうために。
法王は、いくつかの質問に対し「I don't know」と答える。それは答えが見つからないのではなく、「あなたの問題です。」という意味だ。突き放すではなく、あなた自身の力で解決しなさいと諭すように。
そしてまた、その質問の中の一つで、若者が、暴力と非暴力の違いを問う。武力に限らず言葉だって暴力にもなるが、結局両者の違いはなにか?と。
法王は、動機が問題なのだと言った。はっとした。暴力とはつまり、他人への気遣いがないのだ。思いやる気持ちがあるかどうかだ。それは、法王のいう慈悲なのだろう。そこからくる行動が利他なのであろう。
そんな法王の教えをまもる大人たちに育てられている、ダラムサラの子供たちの、なんと幸せそうなことか。勉強が好き、人の役に立ちたいという瞳の、なんと澄んでいることか。

最後、インド最北部のラダックに住む人々の3日間にわたる祭礼「チベットの日」(だと思うが失念)の様子をとらえる。
精肉屋の前掛けのようなものを胴回りにして、数百人もの人々が、祈りのたびにわずか身の丈ずつの歩みを続けながら、5kmもの道程を行く。行くというよりも、這いつくばるというほうが正しそうで、大地に抱き付いていくといってもいいかもしれない。
とにかく、それを3日で5km。どれほどの信仰心であろうか。その埃まみれの集団ののっそりと愚直な行進を目の当たりにして、また涙であふれてきた。

栗太郎