ダライ・ラマ14世

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ダライ・ラマ14世

解説

1989年にノーベル平和賞を受賞した、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に密着したドキュメンタリー。「世界平和に貢献する人々」の撮影をライフワークとする写真家の薄井大還が、91年に法王のポートレイト撮影を許可されたことが縁となり、チベット亡命政府からドキュメンタリー映画製作の許可を得た。「おぎゃあ。」「大阪ハムレット」の光石冨士朗を監督に迎え、チベット亡命政府のあるインドのダラムサラと、いまもチベットの伝統と風習が受け継がれるラダックなどで取材を敢行。6年の歳月をかけて完成させ、脈々と受け継がれるチベット仏教の教えと、その源流であるダライ・ラマの存在、そして亡命後にダライ・ラマ法王14世が人々と作り上げてきたものを浮き彫りにする。

2014年製作/116分/日本
配給:ブエノスフィルム
劇場公開日:2015年5月30日

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映画レビュー

3.5●聖人の苦悩。

2016年7月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

生ける伝説、ダライ・ラマ14世。このネット社会で世界で唯一といっていいほど、その神聖が保たれている。
と思ったら、陽気で気さくなおっさんだ。チベットの歴史を考えたら、前向きに明るく振舞わなければやってらんないんだろうな。その強靭な精神には頭が下がる。

ちなみに、そもそもダライ・ラマとは。
チベット仏教で最上位クラスにある化身ラマの名跡。観音菩薩の化身。世襲ではなくて、先代が死ぬと、遺言やら予言、夢占いなどを元に僧たちが次のダライ・ラマを探すのだという。アタリを付けた地域の子供たちから、その予言やらに合致する候補者を探し出すのだ。先代ゆかりの品物に愛着があるとか、これを前世の記憶として認定する。つまり先代の転生者を特定するのだ。

そうして生まれたのがダライ・ラマ14世。2011年3月に引退するも、いまもチベット人の精神的支柱だ。

チベット動乱。亡命政府。非暴力。中国に属することは譲り、しかし自治を求める決断。北京オリンピックの妨害活動を止めるように声明を発表する。

彼はいう。もっと世界のことを知ろう。多角的なモノの見方をできるようにと。

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うり坊033

3.0ダライ・ラマ

2015年11月10日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

伝記や本を何冊か読んでいるので、ある程度知っていることが多かった。

チベットの人達の純粋な信仰を感じられたのが、とても良かった。

仏教を知的に理解してしまうが、信仰、生活信条として教えに生きることを学べた。

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Momoko

4.5「ダライラマ14世」という存在の意味するもの

2015年7月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

幸せ

法王密着ドキュメンタリ。
時にお茶目で、時に大声で笑い、人がいても鼻をかむし、かしこまらずにお茶を飲む。まさに本人の言うように一人の人間なのだ。
けしてかしこまらず、それでいてチベットのために心骨を砕いて活動している姿がとても尊い。
そんな法王にホテルのロビーで対面した留学生たちの、感謝の念でいっぱいの清らかな表情をみたら、もうそれだけで涙があふれてきた。チベット人にとって、法王という存在が、太くてぶれない重心となって心の底に根付いている事実を強く感じる場面だった。

ところどころに、日本の若者たちから法王への質問を挟む。
平和とは?、から、女性と付き合ったことはあるか?、まで、多種多様の質問の数々。下世話な質問は不要では?という意見もあるが、僕はこれはこれでいいのだと思う。日本の若者にとっての法王との距離感がとてもよくあらわされているからだ。つまり、よその国の、聞いたことあるくらいの、有名らしい坊さん。そんな程度。
だからこそ、法王は、世界をまわるのだ。英語で語るのだ。たくさんの人に、チベットの実情を知ってもらうために。
法王は、いくつかの質問に対し「I don't know」と答える。それは答えが見つからないのではなく、「あなたの問題です。」という意味だ。突き放すではなく、あなた自身の力で解決しなさいと諭すように。
そしてまた、その質問の中の一つで、若者が、暴力と非暴力の違いを問う。武力に限らず言葉だって暴力にもなるが、結局両者の違いはなにか?と。
法王は、動機が問題なのだと言った。はっとした。暴力とはつまり、他人への気遣いがないのだ。思いやる気持ちがあるかどうかだ。それは、法王のいう慈悲なのだろう。そこからくる行動が利他なのであろう。
そんな法王の教えをまもる大人たちに育てられている、ダラムサラの子供たちの、なんと幸せそうなことか。勉強が好き、人の役に立ちたいという瞳の、なんと澄んでいることか。

最後、インド最北部のラダックに住む人々の3日間にわたる祭礼「チベットの日」(だと思うが失念)の様子をとらえる。
精肉屋の前掛けのようなものを胴回りにして、数百人もの人々が、祈りのたびにわずか身の丈ずつの歩みを続けながら、5kmもの道程を行く。行くというよりも、這いつくばるというほうが正しそうで、大地に抱き付いていくといってもいいかもしれない。
とにかく、それを3日で5km。どれほどの信仰心であろうか。その埃まみれの集団ののっそりと愚直な行進を目の当たりにして、また涙であふれてきた。

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栗太郎

3.0魅力的な一人

2015年6月13日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

カルマとか幸せに生きるってなんだろう?と改めて考えることが出来た映画。気持ちが落ち着きました。

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おねい