チャッピーのレビュー・感想・評価
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理屈で考える人には向かない映画
チャッピーはバッテリーがボディ癒着してるからバッテリー切れで「死ぬ」て…
パソコンがバッテリー切れして落ちても壊れないよね
首(頭脳部分)だけ別の胴体に移せば良いだけじゃん?
てか人間用ヘルメットでチャッピーもokなんだ…頭形ぜんぜん違うよ雑やなぁw
人間の意識をロボットにコピーしたから永遠に生きるわけでは無い。
死んだひとの周りの人達に、その人に近い物「コピー」が存在し続けるだけ
癒しにはなるが死んでない訳ではない
死体から魂がロボットに移る的な表現は
モヤモヤして楽しめない
みな同じ
人間がロボットを教育し成長していく過程は面白く、良いアイディアだと思いました。
「未来は本当にこのようになるのか?」 「そしたら人間はどうなってしまうのだう」
などいろいろ考えさせられた。
世の中にはいろいろな人がいるが、みな同じ人間なのだ。外国人も障害者も女性も男性もみな変わらない。その事をこの映画を見てあらためて思いました。
さらに人間とロボットの対比によって
人間の愚かさ、醜さを感じました。
ありそうでなかった
こんな面白い脚本が書けたら脚本家冥利に尽きるだろう。初めはコンピュータープログラマーが主人公のように見えてそれから徐々にロボットを主人公に うつしていった。その移り変わりが見事だった。またそのプロセスがとても面白かった。 ロボットが主人公なのでそのキャラクター作りが大変なところだが実にリアルによく書けていた。また個性的なキャラで可笑しさがあり、なおかつリアリティがあった。さらには主人公だけでなく脇役のキャラもしっかり書けていた。彼らの善悪の意識のバランスの描き方が絶妙だった。それによってクライマックスのドラマが一層盛り上がった。ロボットが主人公なので他の脇役が主人公になってしまわないように配役がうまく抑えられていた。
映画脚本は基本的に早い段階で主人公が何をしなければいけないのが示される。しかしこの脚本はそのようになっていない。ストーリーの途中まで主人公たちがどこに向かっていくのか分からない。それでもプロセス、エピソードの一つ一つが面白いので楽しんで見れた。エピソードが面白いということがどれほど重要か、脚本家は改めて認識するとよいだろう。中盤というより終盤に入ってようやく主人公が何をしなければいけないのかが示されて、そっからはまさにローラーコースターなった。
あえて難点を言えばクライマックスの付近でプログラマーのディオンが何をしようとしているのかよく分からなかった。こういうタイプのロボットがバッテリー交換や充電ができないのはありえないと思った。意識をデータとして保存できないのも理解しがたかった。などと思ったがストーリー全体がうまく描かれていたので細かいところはあんまり気にならなかった。
監督は脚本に時間をかけるタイプなようだ。次もまたじっくり練りこんで面白い映画を見せて欲しい。
ボクをなぜ怖がるの?
2020年8月23日
映画 #チャッピー (2015年)鑑賞
#ロボコップ 思い出すな
いや、それよりもロボットの動き的には #トランスフォーマー の方?
#シガニー・ウィーバー いたから、#エイリアン を連想してもいいかも
#ヒュー・ジャックマン いたから、#リアル・スティール にも感じられるな
よくある映画
ビックリ!
撮影当時
パパ役、ママ役のニンジャとヨーランディは夫婦だったんですね💕
知ってて観たらほっこりしたかも。
最初あまり感情移入出来なかったのに気付いたらヨーランディ並みにチャッピーの応援してた😃
ヒュージャックマン、演技に脱帽👍
【AIロボット チャッピーがストリートギャングに育てられ、人間の感情を得る様とロボット製作会社からの圧力に対してチャッピーが取った行動を描く】
ニール・ブロムカンプ監督の「エリジウム」に次ぐSF作品。
2016年、南アフリカ・ヨハネスブルグが舞台(最早、近未来でもない設定)
多発する犯罪に対抗するため、ヨハネスブルグ警察は「ロボット製造会社テトラバール社」に自律型ロボット警官スカウトを発注し、犯罪抑止に成果を上げつつあった・・。
「テトラバール社」
・ミシェル・ブラッドリーCEO:野心家でシビアな経営者(シガニー・ウィーバー)
・ヴィンセント・ムーア:反AI主義者、かなりのエゴイスト(ヒュー・ジャックマン)
・ディオン・ウィルソン:チャッピーの生みの親、人好きあいが苦手だが、ロボットを愛する気持ちは誰にも負けない(デヴ・パテル)
「裏社会の人々」
・ヒッポ:裏社会のボス。非常な男
・ニンジャ&ヨ―ランディ:ギャングだが、意外と優しい。特にヨ―ランディはチャッピーに母性をくすぐられ、優しく接する。(ニンジャ&ヨ―ランディ:レイブ&ラップグループのメンバー。普段の格好で出演(でも、相当奇抜な恰好である))
<両者の間で人間味溢れるチャッピーが煩悶しながら、人として成長する姿を描くロボット版ビルドゥングスロマン映画。ニール・ブロムカンプ監督がロボット映画の新ジャンルに踏み込んだ作品でもある>
<2015年5月23日 劇場にて鑑賞>
死について
全体的なストーリーは面白かった。CGもいい感じで、チャッピーのリアルな動きや表情の変化なども面白かった。
ただラストにディオンとヨーランディ、チャッピーの誰も死ぬ事がなく永遠の命を得たのはあまり良い結末とは思えない。あれだけ死について語っていながらも。
死が軽視されてしまうみたいな感じかな?
ヨーランディが死んでしまった結末の方が映画としては良かったのではないか。
人工知能だけの話ではなくて
言葉を覚えることから始まったチャッピーの知的活動は、自己が言葉と世界(環境)の二重らせんが生み出した「生物」だということを連想させる。
生み出されたがゆえに自身の物語を見出し、生きてゆく過程に「何が誰を作り出すのか」、
成育歴のモデルケースを見ているようで興味深かった。
監督独特の全員どこか悪党めいた登場人物たちに、本能剥き出しの疾走感も健在ながら、過去作に比べてマイルド路線の本作はSFというよりファンタジーめいていて、気楽に見ることができたように思う。
ぬるぬる動くチャッピーの自然さに、もう違和感も驚きも忘れ去るという画面の仕上がりは必見。
自我ゆえの暴走、チャッピー
心を取り入れた人工知能がなんやかんやあって悪党の元で育っていく話。
子供が親の背中を見て育つように人工知能も育て主を見て育つ。
心が人間と同じだと次は形が厄介になってくる。
人が人として生き、ロボットがロボットとして動くことの違いを考えさせられる映画でした。
逞しく育つAI
この監督の過去作「第9地区」にもあった描写で、
『みんなちがってみんないい』的な所が、南アフリカには響くのだろうか。
AIが出てくる映画ってホントに多くなったと感じるが、
これはAIの子育て話になっていて、
粗暴だったギャングがチャッピーという子どもに触れると、
母性に目覚めたり、チャッピーを守ろうという正義感に目覚めたりと、
子どもは環境によって育ち方も違ってくるが、
親も子供を持つことで人間性が溢れ出すという表現は、
AIを育てることで描くのは斬新。
時にその人間性が、独占的になってしまいがちになるメンド臭さは、
「her-世界で一つの彼女」を見ると分かり易い。
色々不問な点も多いが、
そーゆーメンドクサイ所をすっ飛ばすと、こーゆーツーカイな映画が出来上がる。
「意識の転送」やスカウト(ロボット警察)の組み立て方法、
ムース(スカウトのライバル機)の圧倒的破壊力とか、
説明してたら長くなっちゃう。
ウルヴァリンの悪役も良かったですよ。「皆殺しだぁ!」
まさかのラストでしたが、続編ありそう。
本作の提示する内容は深い
知的な興奮を味わった
見事な傑作だ
AIについては毎日ニュースで見ない日はないくらいだ
しかしそれについて真正面から取り上げた映画はどれくらいあるだろう
意識のあるロボット
それは鉄腕アトムが第一号だろう
日本のロボットアニメをルーツに持つトランスフォーマー達も意識がある
しかしメトロポリスのマリアやターミネーターに意識があったかどうかは怪しい
禁断の惑星のロビー、宇宙家族ロビンソンのフライデー、地球の静止する日のゴートもしかりだ
本作のスカウト達はほぼターミネーターと同じだ
意識はない、ただの自律マシンに過ぎない
有機質で作られたものを含めればフランケンシュタインは確実に意識があった
もちろんレプリカントは人間と変わらない
ターミネーターでも、サラコナークロニクルに登場するジョン・ヘンリーは意識を持っていた
自我を持ちはじめていた
スカイネットもきっと意識があるのかも知れない
2001年宇宙の旅のHAL9000もそうだ
動物達には明らかに意識があるし、自我もある
本作でも生きている犬、死んでいる犬の対比を見せる
本作はスピルバーグのAIのようなピノキオの翻案でもないし、創造者は登場してもキリスト教の制約も暗喩もない
人間が人間であることとはなにによってなのか?
意識の有無でも自我の有無でも、ましてや無機質、有機質という身体の組成すら関係がない
本作のテーマに一番近いのはブレードランナーかも知れない
レプリカントは双方とも有機質だからテーマは分かり易い
では本作ではどうか?
意識がシリコンベースか有機質ベースかの違いに意味はなく、同等の存在であるということを、本作では映像としてクライマックスでそのものズバリで見せている
つまりそれが本作のテーマなのだ
いずれAIが意識を持つことはいつか近い将来確実に起こるだろう
その時、その人工知能をどのように教育するのか?
どのように価値観や倫理感を人間に合わせることができるのか?教育できるのか?
その価値観とか倫理感とは相対的なもので誰による基準なのか?
そもそも人間性とは何か?
その解答を得ずして、このまま人工知能の開発は進んでいったとしたら、ある日意識と自我を持ったとき一体どうなってしまうのか?
本作のような寓話では済むはずがない
スカイネットやHAL9000との関係のように人類と人工知能の生き残りをかけた闘争となる古典的な展開の怖さではなく、その境目が曖昧となり何処までが人間かロボットなのかあやふやになっていく、その怖さを感じた
本作の提示する内容は深い
そして今こそ取り上げるべきテーマなのだ
世界観をもっとSFにしてほしかったです。 ロボットは精巧に作られて...
世界観をもっとSFにしてほしかったです。
ロボットは精巧に作られているのに、違和感が少しあります。
主人公も、あれだけ凄いものを作っているのに、社内の上司に
目の敵?にされているのも説明があまりないのも、イマイチ納得
しかねます。ヒュー・ジャックマンも小物感が溢れているので、
なんか嫌です笑。
人工知能を超えた愛
アクションあり、ハートフルあり、とても泣けるいい映画だった。
チャッピーというオモチャのようなネーミングも可愛らしくて良かったが、パッケージの可愛らしさにはまんまとやられた。(いい意味で)
ギャングのキャラが何か幼い
登場するギャングのキャラクターが幼いというか、頭が悪そうで全然魅力がなかったし、最初出てきたときは脇役なのだと思っていたら、最後までメインキャラですごく萎えた。
全然魅力がなかったので、最後に片割れを生き返らせても、はぁって感じで何もカタルシスなかった。
観れたけど… しょっぱなから第9地区感はんぱない。 そして結局展開...
観れたけど…
しょっぱなから第9地区感はんぱない。
そして結局展開も第9地区。
最終的な終わり方も第9地区。
結局、第9地区のエビをロボットに変えただけ。
これは本当に。
これ高評価してるやつきっと第9地区観てないんだろうな。
観てて高評価ならもう失笑。
チャッピーの吹き替えの声や話し方もむかつくし。
第9地区をロボット版で観たい人にオススメ(失笑)
レビューで「テンション」が多いのはラストシーンを観れば分かる。
あのテンションだけは評価する。
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自宅で鑑賞。監督が初めて撮った短篇"Tetra Vaal('04)"を長篇化。相変わらず画面は圧巻。虐げられ追われる存在と変容と云う監督の一貫したテーマに本作もプロットの核として貧民街のギャングが登場する。良くも悪くも『第9地区('09)』の焼き直しだが、細かい綻びや言葉(描写)足らずでやや見劣りする。監督と高校の友人だった常連のC.コプリーが出てないなと思ったら“チャッピー”役だった。“ヴィンセント・ムーア”のH.ジャックマン、出身のオーストラリア訛りの演技と胸板のぶ厚さで印象変わった。60/100点。
・“チャッピー”のネーミングは監督の母国南アフリカ共和国のガム(マスコットキャラはシマリス)の名称から来ているらしい。“スカウト”の両耳のアンテナは監督がファンだと云う士郎正宗の漫画『アップルシード』に登場する“ブリアレオス”に由来する。この“スカウト”に似たデザインのロボットは、監督の"Tetra Vaal('04)"以外にも短篇"Tempbot('06)"、『エリジウム('13)』にも登場している。“ムース”は『ロボコップ』シリーズ('87・'90・'92・'14)の“ED-209”を想起した。
・監督と同郷のラッパーグループ、ダイ・アントワードのニンジャ(「テンション」と書かれたパンツ姿を披露)とY-L.(クレジットではO-L.名義)ヴィッサーはキャスト以外に楽曲八曲を提供しており、プロダクションデザイナーとして二人は隠れ家の落書きや装飾等を担当している。そもそも監督のファンだと公言しているニンジャは『第9地区('09)』に因んだタトゥーを内唇に入れている。
・監督作では常連、B.オーレット演じる“ヒッポ”の隠れ家は、監督がカナダに移住する前の実家だと云う。
・ブルーレイに収録された「もうひとつのエンディング」では、“チャッピー”の意識が全“スカウト”に転送される。
・鑑賞日:2016年1月15日(金)
全302件中、21~40件目を表示