劇場公開日 2015年10月24日

アクトレス 女たちの舞台 : 映画評論・批評

2015年10月20日更新

2015年10月24日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー

ラストシーンの主人公の表情は、あらゆる人生を集め映し出すスクリーンそのもの

原題は「シルス・マリア」というスイスの山岳地帯の地名。自分の育ての親とも言える演出家の突然死もあって、主人公の女優はシルス・マリアにある演出家の家で暮らすことになる。そこでは「マローナのヘビ」と呼ばれる、渓谷をまるでヘビのように動く奇妙な雲を観ることができる。死んだ演出家にも「マローナのヘビ」という戯曲があって、若き日の主人公はそれに出演することで「女優」としての地位を築いたのだ。それから20年が過ぎた今、リメイクされようとしているその戯曲への、別な役への出演を彼女は承諾した。その戯曲には、20歳の女性と40歳の女性というふたりの主人公がいて、当然、今回は40歳の方を演じることになるのである。

彼女が新たな役を演じる時、彼女にはかつて自分がやった別の役の記憶が流れ込む。当時の現実の記憶も流れ込む。さらに新たな役の役柄の人生も流れ込む。今の自分の人生も引き受けている。目の前には若さを身体中にみなぎらせるアシスタントと若手女優がいる。死んでしまった演出家はもちろん何も言わず、残された家だけが彼女を現実に引き止めている。いや、そここそが次の一歩への出口でもあるかのように、彼女はその家にいる。いくつもの時間を集め、じっとそこにとどまりつつ、気がつくとヘビのように流れ出す。

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時間は雲のようなものであるのかもしれない。いくつも水滴のような小さな時間=記憶=予感が集まりひとつの形をなし流れを作る。その意味で女優もまた雲のようなものであるのかもしれない。彼女の中に集められるいくつもの小さな時間とそれを観るわたしたちの間に雲が流れ始める。わたしたちの現実の時間が彼女の中にも流れ込み、そこにわたしたちだけの映画が生まれることになるだろう。映画を観るとはそういうことだ。この映画の最後、もはや何もやることもなく考えることもないといった表情でこちらを見つめるジュリエット・ビノシュに、ちょっとドキドキする。それはあらゆる人生を集め映し出す、スクリーンそのものの表情だとも言いたくなる。

樋口泰人

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