フレンチアルプスで起きたことのレビュー・感想・評価
全64件中、1~20件目を表示
Introspective Art Thriller
This story of a family's deconstruction in a mountain resort is a Neo-Shining master work with all the finer points of European arthouse. A literary observation of the human psyche when confronted with a life-threatening event. There's humor and sarcasm in its pessimistic tale--a stalker-like hotel janitor feels like a caricature of the director's own insecurities. It makes lemonade out of lemons.
人間の本性をあけすけに暴くユーモア
知的興奮、というのはこういう映画のためにある言葉だと思う。人間は追い詰められた時にその本性を現すが、まさに本性を表してしまった人間への見方が一変する体験を見事に描いている。
頼れる父親だったはずの男が、いざ雪崩という危機が起きると家族を置いて一人で逃げてしまう。そこから家族の絆に日々が入る。おそらく本人もそんな危機に直面するまでは、自分がそんな人間だと思いもしなかったのだろう。良き父親、良き夫という「仮面」を生命の危機によって強引に剥がされてしまった男の惨めな姿。観ていてつらく滑稽だ。
リューベン・オストルンド監督の観察眼は、まるで人間を昆虫を観察するかのように見つめる。何かの実験をするかのように、こういう状況に置くと人間がどんな行動を取るのか、というような冷徹な視線がある。この距離感がコメディに最適だ。
プライドをなんとしてでも守りたくてアホみたいに嘘をつく男性と、自分...
プライドをなんとしてでも守りたくてアホみたいに嘘をつく男性と、自分の正義を貫くためにアホみたいに感情を剥き出しにする女性を、的確に描いた作品だと感じました。
それぞれの特性がそれほど過剰にデフォルメされることなく、おしゃれで誠実で素敵な夫婦が、男と女であれば起きえる範囲のリアリティで描かれているところが見事だと感じました。
ラストシーンで、それほどスッキリさせずに投げかけてこられたのも私には適度に感じました。それでも完全に頼りにされるような存在ではなくなってしまった、それでも共に歩かなければならない、という状況には、不思議な味わい深さがありました。
ジュラシック・パークを思い出したら…
【鑑賞のきっかけ】
画像配信サービスで、ウォッチリストに登録したものの、長らく未見でした。
しかし、このサイトを始めとして、ネット上での評価は悪くなく、一見の価値はありと判断し、鑑賞してみました。
【率直な感想】
<テーマが最初はよく分からず>
私は、映画鑑賞に当たっては、予告編くらいしか予備知識を入れないようにしています。
本作品は、スキー場でバカンスを過ごす4人家族の物語ということ、人工的な雪崩がきかっけになり、家族の危機が訪れるということは、予備知識として頭に入れて鑑賞開始。
物語の早い段階で、雪崩が起きるシーンが流れます。
私は何となく、この雪崩で、スキー場に閉じ込められてしまい、密閉状態からくる、心理的葛藤が描かれていくものと思っていました。
ところが、雪崩の実害はなく、主人公の4人家族を始めとした宿泊客は全員無事。
その後、ストーリー的には、何か特別な出来事が起こるわけではなく、淡々と進行。
そのうちに、雪崩が起きた際、夫のトマスが2人の子どもと妻のエバを残して、自分だけ逃げてしまったことに、妻のエバがわだかまりを感じていて、ここから、夫婦間に亀裂が走っていくことが分かりました。
でも、私は、妻のエバの主張が過剰反応のように思えて、最後まで、この妻への感情移入が出来ず、鑑賞を終えました。
鑑賞直後は、何だか今ひとつの作品だな、という感じでした。
<そうだ!ジュラシック・パークと同じではないか!>
そして、数時間後。
あの「ジュラシック・パーク」第1作(1993年)の記憶が甦ってきて、本作品への感じ方が変わりました。
「ジュラシック・パーク」での、中盤の見どころとして、停電で高圧電流の通らなくなった柵を乗り越えたティラノサウルスが、主人公たちを襲うシーンがありましたよね。
あのとき、主人公たちは2台の車に分乗していて、前方の車に、2人の子どもと、調査役の中年男性。後方の車には、2人の男性の博士が乗っていた。
ここで、前方車の中年男性は、恐怖を感じ、「2人の子どもを残して、車外に逃げて、トイレに閉じこもります」。
そして、子ども2人だけとなった車にティラノサウルスが向かっていくのを見て、2人の博士は身の危険を顧みず、救出に向かう、という流れでした。
この子どもを残して、車外に逃げ出した中年男性の行動は、正に、本作品の夫トマスの行動と同じです。
このシーンを観て、多くの方は「この中年男性は、悪い大人だな」と感じたのではないでしょうか。
自分の子どもではないにしても、子どもを残して逃げてしまうのは、大人の行動としては、失格ではないか。
2人の博士は大人として当たり前の行動を取っただけだよ、と。
ここで、私は気づいたのです。
あれ?妻のエバがこだわっていたこと、そのものではないか?
ジュラシック・パークでは、子どもたちは、中年男性の子どもではなかったけれど、人は非難したくなる。
本作品の場合、残された子どもは夫トマスの実の子どもなのだから、妻のエバがこだわるのはむしろ当然といえる、と。
ここに至り、本作品は、実に興味深いテーマを取り上げた作品であることに気づきました。
【全体評価】
普通、映画は鑑賞直後が一番、感銘を受けた状態なのですが、本作品は、鑑賞後、過去の作品を思い出して、じわじわと感銘を受けるようになった珍しい作品でした。
結論的には、良作であったと感じています。
非常時にあらわになる人間の本性
2015年(スウェーデン他合作)
この監督の(リューベン・オストルンド)2017年作品「ザ・スクエア思いやりの聖域」を
以前に観ていました。
一見完璧な善人に見える人間が何か事が起こった時に取る行動。
とっさに身勝手で思いやりのカケラもない本性が露わになってしまう。
「ザ・スクエア・・・」ほどのインパクトはないのだけれど、
十分に意地悪な映画です。
フレンチ・アルプスにスキー・バカンスに来た家族4人。
若い夫婦と幼い娘と息子。
昼ごはんを展望テラスで食べようとしていたその時、突然目の前の雪山が崩れて雪嵐が
凄いスピードで襲ってきます。
お父さんのトマスの逃げ足の速いこと速いこと・・子供に見向きもせずに、自分1人逃走したのです。
結局、雪崩はレストランのオープンテラスを超えず事故には至りません。
しかしトマスの妻エバが感じた夫への不信感は、拭い去れない大きなものでした。
基本的にお洒落な映画ですし、スマートです。
白人夫婦と白人の子ども達が見るからに美しく、日本人家族には真似出来ない、
ハイソ感がありました。
だけど責めに責める妻のエバ。
言い訳の言葉を言えない(言う気がない?)トマス。
そこに年の離れた夫婦が参入して、彼らもお互いに腹の中の探り合いを
始める始末。
そしてラスト。
帰宅する彼らが乗る中継点行きのバス。
運転手はなぜかめちゃくちゃ危険な運転をします。
このシーンになんの意図が隠されているか私には不明でした。
結局、この家族はどこに着地点を見出すのか?
Wikipediaにはコメディ映画と書いてあるけれど、コメディにしては、
笑えないし不思議な映画でした。
兎も角、お父さんは子供を2人、両腕に抱えて逃げましょうね!
と、教訓になる映画でした。
まさに「ある視点部門」受賞
個人評価:4.2
どちらの意見にたつのか。それによって自分がどちら側なのかを知る事となる。
本作を見ながら、自然と旦那側の行動を正当化する理由を探しながら見ている事に気付かされる。
ストーリーを追うのではなく、登場人物達の頭の中を深く潜っていく様な構図。
まさに「ある視点部門」受賞の映画だ。
小心と鈍重。夫婦おもろきかな。but!結婚や家庭への憧れ、そして自己肯定感まで、がらがらと崩落する恐れw
富士山での大崩落を覚えておられるだろうか
1980年の8月、夏山登山のハイカーの群れを 大量の落石が襲った。12名が死亡、29名が負傷の惨事だ。
「富士山大規模落石事故」、
震撼のWikipedia。
ところが
あの最中に、あのパニック状況を切り抜けた一家があったのだと 後日話を聞いた、
他の登山客は坂道を駆け下って下へ逃げたのだが、(本能だろう。当然だ。)、結果として背後から襲い来る1~2mの巨石50個に軒並みやられてしまった中で、
その家族は違ったのだと。⇒
その父親はこうだったのだ、
彼は富士の頂上に向かって静かに正対する。
上方をまっすぐに見据えて立ち、自分の後ろに真一列に妻子を並ばせて、斜面をふっ飛んで来る岩石を
父親が
【 右っ!→ → 】
【 ← ←左っ! 】と、
よける方向を手で指示し号令をしながら、家族縦一列で右へ左へ横っ飛びを続けて、
とうとう落石のすべてを避け切ったというのである。
嗚呼・・自分ならばそのように咄嗟に機転を利かせることが出来ただろうかと、そのニュースを震えながら聞いたものだった。(まだ独身だったけれど)。
誠にあっぱれだ。
あの時妻と子は、恐ろしい落石をではなく、父親の頼もしい大きな背中だけを見て難を逃れたのだ。
感服。
いやまさにこれは男の鑑、父親像の誉れ。
輝ける夫の有り様だなぁと、僕は深く嘆息したものだ。
・・・・・・・・・・・・
残念ながらこの映画は・・辛い結果なんです。
お父さんをそこまで苛めるなよ!と擁護してやりたい(笑)
夫の沽券、形無しです、
父ちゃんの威厳も瓦解。
哀れ、雪崩れと共に崩れ去った楽しいはずのバカンス。
一体何がいけなかったのか、
女には女語でしゃべらなきゃいけなかったんです。
「ごめんよー、恐かったね、雪崩が恐くって逃げちゃったんだ」。
「君はあの時どうしてあんなに強くあれたの?」
「みっともなくて自分が惨めだ。赦してね」。
・・その時にその場で、いち早くこう言えれば良かったんだけど。
男はプライドが邪魔をして自分の失敗を認めようとしないし、ましてや自分の弱点をシェアすることに慣れていない。訓練を受けていない。相手の立場になって謝ることが一番の不得手。
逆に
「泣くな」
「強くなきゃ男じゃない」
「結果を出せない者は落伍者だ」と親からも社会からも小さい時から躾られてきたから。
だから男の自殺率は女とは比べものにならないほど高い。7割が男性。女性の2.4倍男は死ぬ。
責められて、お前は失格者だと指摘されると、彼らは呆気なく心が折れて死ぬのだ。
いやー、
ヘッドホンを着けてDVDで鑑賞しましたが、ホテルの吹き抜けに面している部屋の前のシーンでは、遠くダンスラウンジから聞こえてくるバスドラム?の音が、まんまサブリミナル。=早鐘の動悸のようでたまらんかったです。
あとビバルディもね、しつこく不穏感を煽りすぎ。
・・・・・・・・・・・・
男の弱点・急所を突く、お見事な脚本ではありました。
男なら誰しも思い当たる昔の脛のキズ。忘れてしまいたい過去の失態や失言を、ここまで辛辣に暴くとか・・
“古傷”を切開されたい殊勝な方にはオススメかも。
しかし
あー、やれやれ。疲れた。
ここまで男の恥部を晒すとか、逆に反感を買うでしょうな。
なお、個人的にはホテルの清掃員の男(たびたび登場)にツボりました。
似ているので監督・脚本のリューベン・オストルンド本人かもしれませんね。
楽曲提供のアントニオ・ビバルディ氏は、16c .のカトリックの司祭です。
「君子危うきを避く」という賢明なシステムに守られ、結婚を避け“清貧”を貫く神父さんとしては、妻も子も艱難もなかった訳ですが、300年後にこの映画に採用された自作に震え上がっていることでしょう。
映画の終結は
ハッピーエンドではなかったです。
ショボくれたまま台詞も与えられずに空手で徒歩で下山するトマスと、娘ヴェラを夫にではなくひげ面の男に託し、
バスの運転手男にはダメ出しを通告して窮地を脱し、
「強い女」になって帰宅するエバの雄姿で幕なのでした。
・・・・・・・・・・・・
口閉ざす
妻より怖いものはなし
口開く
妻は記憶の宝庫なり
・・・・・・・・・・・・
で、
【この映画のコンセプトは何なのか???】、
受賞多数の“好評”の理由はどこにあるのか、
3度ほど鑑賞して探ってみた。腹立ったので。
男の「分析者」としての精神構造と、
女の「共感者」としての精神構造+「母性本能」と、
この対立するすれ違いは永遠のものかもしれない。そこを暴いた作品ではあるのだが
でももしも《自己啓発のためのカウンセリング映画》にしたかったのであれば「ケーススタディ用の5分の短編」で用をなしたはず。
ブラック認定ですね。
鑑賞者の男と女にとって、この映画からポジティブな有益性を得られるとは余り思えなかった。
後味が悪い。
破壊だけが残る。
悪趣味な作品だと思った。
泣き出した旦那にウンザリ
人間の本性ってほどのことかな?床につっぷして泣いちゃうって、、、。面倒くさいわ。
私が小さい頃地震が起きて、母が子供たちを家に残して裸足で外に飛び出したっていうのが、我が家の笑い話になっておりますが、何か?
見方を変えるとコメディにもなる話だと思った。
【妻子持ちの男にとっては、ヒジョーに辛い気持ちになる映画。リューベン・オストルンドの映画は、鑑賞後は心穏やかではいられないのである・・。】
ー リューベン・オストルンドの映画は、人間の深層心理にある”罪悪感”を呼び起こす・・。ー
◆感想
・フレンチアルプスにスキーリゾートに来た、トマス&エバ夫妻と幼きベラ&ハリーに起きた”ある出来事が切っ掛けで、夫婦関係、親子関係に不穏な空気が立ち込める、心理劇である。
・冒頭から、表層雪崩を人工的に起こす爆発音が、何度も起こる。
◇作中、頻繁に流れる”ヴィバルディの四季”の激しく弦楽器が掻き鳴らされる”夏”が、この不穏な空気感を煽り立てる・・。
・自らが、咄嗟に取ってしまった行動により、ドンドン心理的に追い詰められていく、トマス。
ー 翌日の子供達のよそよそしい、態度・・。ー
・エバは、夫の行動が許せずに、何度も詰問する。認めない、トマスに対しトマスの友人、マッツとその恋人に、”その動画”を見せる・・。
”トマスを呼んだ‥。でも、彼はいなかった・・。”
ー もう、止めてあげて・・。ー
・そして、トマスの友人、マッツとその恋人にもその影響は波及するのである。
・マッツはトマスと、新雪のパウダースノーを楽しませるためにスキーに連れ出すが、トマスの家族は来ない・・。大声で、ストレス発散を試みるが・・。
・到頭、トマスは
”こんな性格は、捨てたい!”と妻の前で号泣する。それを聴きながら涙する子供達。そして、パパの元に・・。
・最終日、トマスはホワイトアウトに近いゲレンデに家族を連れて行き、先頭に立つ。エバが迷子になり掛けるが、トマスが助けに行く。そして、トマスがエバを助け・・。
ー ヤレヤレ、これで一家は大丈夫・・、と思いきや・・。下りの山道で、今度は、奥さんが・・。
本当に、リューベン・オストルンドは、意地悪だ・・。ー
<身近に起こりうる些細な出来事を、人間の深層心理に基づいた行動学、もしくは社会心理学的な視点で、ブラックユーモアたっぷりに見せるリューベン・オストルンド監督が、一気に名を上げた作品。
苦笑いを浮かべざるを得ない、嫌ーな気分にさせる、オストルンド節全開作でもある。
次作は、もっと嫌ーな気分になります・・。>
以前と以後
ひとつのちょっとした出来事だったり行動だったりが、
何かを決定的に損なってしまうことってあると思う。
気持ちだとか絆だとかでつながった関係は、外的要因には強いけど内的要因には弱いみたいな。
ストーリーとしては救いがあって本当に良かったし、
ひとりの人間として、父親として、肝に銘じなきゃいけないことを示してくれた作品だったと思う。
タイトルなし
雪崩に家族を見捨て逃げ出す夫に失望し、人の前でいびり倒す妻の気持ちは良くわかるし、描写がうまく描かれてる。吹雪で助け出しハッピーエンドかと思いきや、バスの運転が下手だと妻が乗客をすべて下ろすがそこは賢明かと思い、何を伝えたいかわからなかった
フレンチアルプスで起きたよく分からないこと
『ザ・スクエア 思いやりの聖域』で2017年のカンヌ国際映画祭パルムドールに輝いたスウェーデンのリューベン・オストルンド監督の2014年の作品。
かの作品は分かる人には分かる、分からない人には分からない何ともシュールな作品であったが、こちらは割りとすんなり話に入っていけた。
…が、それも前半くらいまで。
フランスのスキーリゾートでバカンスを楽しむあるスウェーデン家族。
夫はエリートで、奥さんは美人で、幼い姉弟も可愛くて、画に描いたようなアットホームな理想の家族。
屋外レストランでランチを取っていると、人為的に起こした雪崩が。
夫は「大丈夫大丈夫、平気平気」と呑気にしていたが、予想を超えてみるみる迫ってくる。
一転してパニックに。すると夫は妻と子供たちを守らずに、我先にと逃げてしまう。
大惨事や被害者も出なかったのだが…、
その後、明らかに家族の態度が一変。
冷たく、よそよそしく。
ホテルへ帰るシーンが印象的。無言で、この家族はこれから何処へ向かうのか…?
妻は何ともないと装うが、アメリカ人夫婦との会食の席で。
口論になる。私たちを置いて先に逃げ出した、いやそんな事してない…の水掛け論。
部屋に戻ると、子供たちもぐずり出す。
理想的で素敵で頼りがいのあった夫/父親像はいとも簡単に崩壊。
序盤の幸せ家族姿は何処へ…? 最悪のバカンスに…!
人の本性が明かされる事態に見舞われた、ある家族の危機。
その模様をブラックに。
未曾有の事態に襲われて平静を保てる人は少ない。パニックになって当然。
だから、この夫の行動も一人の人間としてはあり得ない事ではない。
でも、一家の大黒柱としては…。
守るべき存在があるのならば、自然とそう身体が動くのではないのか…?
それともやはり、我が身が恋しいのか…?
何ともモヤモヤ…。
妻の言及。ヒステリック。
自責の念に押し潰され、子供のように号泣する夫。
そこまでは良かったのだが…、
アメリカ人夫婦のエピソード。
夫の友人のエピソード。
それらが交錯し、いまいちよく分からんシーンや描写も増えていき、良くも悪くも後の『ザ・スクエア』のようなシュールな作風に。
終盤の展開も、夫が雪霧の中で迷子になった娘を助け、家族の絆再び…という事でいいのかな??
その後のバスでのエピソードもよく分からん…。
最初はテーマ的にも良かったんだけど…、
フレンチアルプスで起きたよく分からないことであった。
全64件中、1~20件目を表示