劇場公開日 2016年5月20日

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ガルム・ウォーズ : インタビュー

2016年5月19日更新
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押井守監督&鈴木敏夫プロデューサー、両雄並び立っての大放談

構想から15年以上を費やした「ガルム・ウォーズ」が、ついに日本で公開を迎える押井守監督。日本語版のプロデューサーとして作品に新たな息吹を宿したスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー。出会いから30年余。気が置けない2人の対話は、互いに毒を吐きながらもユーモアにあふれ、機知に富んだものとなった。長きにわたり映画界の最前線で戦い続けてきたからこそ言える、両雄並び立っての大放談。いざ開幕。(取材・文/鈴木元)

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「ガルム・ウォーズ」は、1990年代に「G.R.M.」として発表された企画が原型。60億円とも80億円とも言われた資金調達の問題などで99年に製作が凍結されたが、押井監督の熱が冷めることはなく、「プロダクション I.G」を率いる盟友・石川光久氏に何度も話を持ちかけた。

「やれる可能性があるとしたらI.Gしかないと思っていたから、けっこうしつこく食い下がったけれど、その度に断られた。企画どうこうじゃなく、実写をやらないからという理由。3DCGアニメはどうなのって言われても、逆にこっちがやりたくなかった。だから、すべてがかみ合わなかった。なぜ石川が変節したのか、いまだに分からない。スタートした時点では、びた一文出したくないって言っていたんだよ」

実現に至った経緯には、CG技術などの進歩により製作面でのメドがついたことあるが、カナダの税制優遇制度「タックス・クレジット」が活用できたことが大きく寄与している。「アヴァロン Avalon」など海外での撮影経験がある押井監督にとっては想定内だった。

「日本人の役者さんでこういうファンタジーをやること自体、どう考えても無理があると思った。向こうで撮るのか、向こうの役者さんに来てもらうのか、どっちかしかないなって途中で思い始めていて、どっちが安いだろうって計算までしていたから。日本語でファンタジーをやることにも抵抗があった。『アヴァロン』もポーランド語だったから、ああいう世界観になったんだしね」

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現地のスタッフを雇用して撮影された映画に対し、税金の一部を政府が負担するという制度だが、完成するまでは自己資金で賄わなければならない。撮影は1日に20カット撮れれば御の字という状況で、製作を断念しなければならない危機にも陥ったという。

「泥沼化したわけ。抜けるとそこで全部が終わっちゃって、欠損しか残らない。映画の怖さだよね。底なし沼を渡り切っちゃうか、引き返すのか、立ち止まっていると沈むだけという典型。石川が偉いのは、とにかく渡り切る決心をしたこと。普通の会社だったら、とっくにつぶれているよ。こんな危ない橋を渡ったのは初めて」

ガルムと呼ばれるクローン戦士が住む戦いの星・アンヌンの創造主ダナンが去ったことによって、8つの部族間に戦いが生じる。戦闘は激化の一方で3つの部族だけが生き残り、その渦中で空を支配するコルンバの女性飛行士カラ(メラニー・サンピエール)と陸を制するブリガの兵士スケリグ(ケビン・デュランド)が出会う。そこから未知なる新たな戦いへと身を投じていく壮大な叙事詩だ。

2014年の東京国際映画祭でオリジナルの英語版がお披露目されたが、公開に当たっては日本語版を制作することに。ここで鈴木氏の出番である。

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鈴木「押井さんの個性が非常に強い作品でしょ。英語版を見た時に思ったのは、(カラとスケリグの)2人がしゃべっているシーンが全体の真ん中あたりで、あそこだけが静かな映画。それを戦闘だらけで取り囲むっていう構成だから、あっ、ナウシカにソックリだなあって思ったんですよ。だから2人がしゃべっているところで、間に流れる情愛みたいなものが見えればお客さん来るかなって。そういうことを考えちゃうんですよ」

鈴木氏は演出と声優のキャスティングを外国映画の日本語版制作においてはエキスパートの打越領一氏に一任。押井監督の執筆した脚本を基に改稿された日本語版用の脚本や、カラの声を担当した朴瑠美の起用などには手応え十分で、押井監督も納得の表情だ。

鈴木「脚本は僕が読んだ段階で、押井さんが書いたものをすごく尊重してくれていたので何の問題もない。なおかつ、リップシンクまで考えてやっているから、なかなかのものでした。朴瑠美さんもすごく良かったですよ。なかなかの腕っこきだから、いろんな種類のしゃべり方ができる。英語版と日本語版を見たある人が、『どこを編集したんですか?』って感想をもらしたんです。それを聞いた時に、いけるなと思ったんです」

押井「感心した。違和感はビックリするくらいないんですよ。前にイタリア語版を見て、それがすさまじいものだったので。もちろん、ダメな方。マカロニウエスタンみたい。フラットで、音響のバランス的になじませようという努力がほとんど感じられない。カラなんて、おばちゃんだもん。けっこうショックだった」

鈴木氏の言にもあったように、押井監督は作家性が強いと言われる。だが本人は「テーブルをひっくり返してやめちゃうタイプじゃない」と言い切る。事実、「ガルム・ウォーズ」も当初思い描いていたイメージに対し、達成度は半分ほど。画コンテの段階で3割ほど削り、撮影中にもそこから3割ほど欠番ができたという。

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「どんな監督だって、妥協の連続で完成にこぎつけるので。自分の初期設定にこだわっていると自爆するだけ。ただ、無制限に後退しちゃうと何のためにやっているのか分からない。それは誰にも相談できないから、自分で決めるしかない。アニメの場合は特にそうだけれど、監督ってすごく孤独なんです。どんな作品でも撤退戦だから。そういう意味じゃ今回は本当にやばかったというか、撤退しながら戦ったわけだけれど」

しかも、「ガルム・ウォーズ」は明らかに序章という位置付けで、これから物語がいかに発展するか期待が膨らむ。押井監督の頭の中には当然、結末は用意されているが、現在の日本映画界においてオリジナルの大作を継続させるのは難しいことも認識している。それに対しては鈴木氏も同意見だ。

押井「ある時期みたいに、お金さえ集まればすぐできるっていう時代はもう来ない気がする」
 鈴木「今の世の中が、昔みたいにいろんなものの多様性を許してくれない感じがあるんじゃないですかね。押井作品なんかその最たるものだから、皆認めたくないんでしょうね」
 押井「そう思うよ。今までよくやってこられたと思うもん」
 鈴木「だから、いい時代を生きたんですよ。でなきゃ、押井さん、こんなにいろいろ作れなかったはず」
 押井「間違いない。それは認める。フィクションというか架空のお話、架空の人間に対する需要がどんどん減っていっている」
 鈴木「皆が知っているヤツじゃなきゃダメなんだよ」
 押井「ゼロから付き合い始めることに億劫なんだよね。それは間違いないと思う」

2人の提言がいつか生かされ、「ガルム・ウォーズ」の第2章が見られることを願うばかりだ。

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