ジョン・ラーベ 南京のシンドラーのレビュー・感想・評価

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5.0日本未公開だとは残念

2020年12月3日
PCから投稿

これは以前観たことがあるので、よく覚えている話だった。ジョン ラーベ(Ulrich Tukur)、ナチ党員が南京の人を助ける話。それも、以前南京でナチのリーダーだったこともあるらしい。ただ、ドイツに戻っていなかったのでドイツの現状を知らなかったらしい。いつ、どこでも、どんな境遇においてでも人を助けることは勇気がいることだ。人を助ける話はいつまでも心にのこるし、助けられたものはこの恩を一生忘れないだろう。そして、こういう
日記は古今東西、だれかの目に止まって作品になる。私は、何十というユダヤ人が助けられた話を聞いているし、読んでいる。

つい最近の映画『アーニャはきっと来る』のジョー青年のユダヤ人の子供を救うシーンに涙をこぼした人も多いに違いない。それに、有名な『戦場のピアニスト』はピアニストのシュピルマンの自叙伝を元にしている。この作品は多くの人がドイツ将校、ヘーセンフェルドの体制の中の倫理観に感動したろう。ユダヤ人を救う映画は数多くある。こんなことを言ってはよくないが、これでもか、これでもかというほど、ナチスの酷い残虐な行為はマスコミに取っ替え引っ替え取りあげられる。そして、日本の配給会社も競って買う。

しかし、ドイツ出身やアメリカからの市民が当時、南京在住の人々を日本軍から守った話はこれだけしか私は知らない。特に、ジョン ラーベの日記であり、当時、南京の安全地帯を作り上げた本人のだから、もっと興奮するだろう。侵略したりされたりする側、中国と日本の見解でない映画になっている。それも、『目撃者』の目でこの作品が書かれているし、枢軸国(日本、イタリア、ドイツ)ドイツのジョン ラーベ(シーメンの社員)やアメリカ人のロバート(医者)は実在したし、歴史的にも名を残している人物だし、ロバートの日記の一部もネットにも公開されている。ラーベの経験に基づいて日記は力強い。

千九百三十四年、ラーベはナチ党員となる。ヒットラーの思想に傾倒したようだ。
ラーベとドイツ政府のジョージ ローゼン(ダニエル・ブリュール)という外交官で弁護士とアメリカ人の医者ロバートウィルソン(スティーブ・ブシェーミ)と宣教師などの力もあり、南京の人々を助けることができた。
ジョンラーベは一般市民、あるシーメンという会社の社員でドイツに帰還するところだった。それも、彼が、ナチスの大きな旗を車からだして、それを傘にして、枢軸国であるという証拠を見せて人々を救った。

ユダヤ人がナチスの餌食になるのを救った人がいるという映画をみると、それが信憑性があるかどうか問わず、映画でも、涙を出して泣いて、『わー悲しい』と絶叫する。そのなかには『ドイツ人が嫌いになった』というひともいる始末。
しかし、日本軍の汚点であり、殺害現場なとが映画になると、『史実は違うようだ』なんて急に翻る。実はこういうかなりの日本人にあっている。現実は『日本』を批判されるのは辛いだろうが、日本軍のやった負の遺産は認めて、二度と戦争を起こさないように、家庭、学校で教育する必要があると思う。そのためにも、感情だけで行動するだけでなく、因果応報をふまえて個人のレベルで考えても良いと思う。

朝香宮鳩彦王は日本人の俳優香川照之で、オセという日本兵の役を井浦新という人が演じている。オセという日本兵がジョン・ラーベたちを助ける良い役をする。こういう体制のなかにも倫理観のあるものはいる。

ラーベの孫たちがこの日記に目を通すチャンスがあって、祖父のことを語っている。ここに書くまでもなくラーベの人間としての功績を称えている。

下記は日本でなぜ一般公開されなかったか監督が語っています。
米国NPRより(June 14, 2010)
One Japanese distributor showed some interest, Gallenberger says, on the condition that the filmmaker cut out the figure of Prince Asaka -- the royal family member who commanded the Japanese army in Nanjing, and who is shown in Gallenberger's drama coldly ordering the mass execution of Chinese prisoners of war. The director refused.
下記の日本語はグーグル翻訳に私が少し足したものだ。

ある日本の配給会社は、映画製作者が南京で日本軍を指揮した朝香宮鳩彦王、の姿を切り取ることを条件に、(皇族のメンバーで南京の日本軍の指揮官で中国人の捕虜を殺害した)ある程度の関心を示したと監督ガレンバーガーは言います。 監督は拒否したと。

その後二千十七年に日本で自主上映されている。
戦争の悲惨さをユダヤ人殺害よりもっと身近に語れるのに、一般公開されなかったこと残念です。

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