劇場公開日 2014年5月24日

青天の霹靂 : インタビュー

2014年5月22日更新
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劇団ひとり監督×大泉洋、ストイックな姿勢の先にある見果てぬ夢

お笑い芸人、作家、俳優としてマルチな活躍をみせる劇団ひとりが、またひとつ、映画監督という新たな肩書きを手に入れた。それも、とびきり完成度の高いデビュー作「青天の霹靂」を携えて。今作で主演を務めたのは、劇団ひとりと同様にあらゆるジャンルで才能を発揮し、誰からも好かれる大泉洋。互いの存在をリスペクトし合う2人が、撮影現場ではどのように対峙(たいじ)していたのか。パブリックイメージとは異なる、ストイックなまでに真摯な眼差しを注ぐ2人の姿が、そこにはあった。(取材・文/編集部、写真/江藤海彦)

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昨年8月、ひとり監督と大泉は長野・上田市にある大正6(1917)年創業の老舗劇場「上田映劇」のステージ上で話し合っていた。その直前まで、出演も兼ねるひとり監督が初共演となる大泉とともに顔を朱に染めるほどの本気モードで押し問答を繰り広げていたとは思えないほどに、穏やかな口調で「……という感じでお願いします」と説明する。大泉は、「監督は段取りに重きを置かず、流れを説明するだけ。とにかくテンポが良くて、全ては本番に照準を合わせている」と納得顔だ。

この演出手法について、ひとり監督は「特に芝居場とされるシーンは、最初にいいものが出るだろうなとカメラマンとも話していました。1発目を大事にしたかったので、なるべく1発撮りにしたかった。テストの段階でその感情がちょっとでも抜けてしまうのはイヤだったんです」と話す。そんな中にあって、大泉扮する晴夫の父・正太郎役としても出演しているが、いわば“二刀流”には困難を強いられたようだ。

現場でも「はっきり言って後悔しています。考えが浅はかでした。こんなにやり辛いものはないですよ。やってみるまで分かりませんでした」と語っていたが、作品が完成した現在は、どのような心境なのだろうか。「物理的には確かに大変でした。監督に集中したいときに『衣装チェンジ、お願いします』ということもありましたし。ただ、大変は大変でしたが、役者目線でいうと、普段よりは楽でしたね。そもそも役作りも必要ないというか、どういう気持ちで……というのは、脚本を書いている段階で見えていたことなので」。

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今作は、累計発行部数100万部を突破した「陰日向に咲く」に続く、ひとり監督の書き下ろし小説第2弾。天涯孤独の売れないマジシャン・晴夫が、40年前の浅草にタイムスリップし、若き日の両親と出会いながら自分の出生の秘密を知る姿を、ユーモアを交えながら描いている。原作発売当時から映画化を熱望するひとり監督の思いを知っていた東宝の川村元気プロデューサーが、ひとり監督の大抜てきという英断をくだした。

大泉は、二刀流に挑戦したひとり監督に対し「やっぱり共演していて安心感がありますね。なんたって監督が自ら演じているわけですから、おっしゃる通り誰よりも世界観は分かっていらっしゃるし、セリフのミスも少なかった」と最敬礼。共演シーンでいえば、ふたりがマジシャンコンビ「ぺぺとチン(インド人と中国人という設定)」として舞台に立つくだりだけではなく、シリアスな場面も用意されている。大泉は、「長回しでかなりシビアなケンカをしなくちゃいけないところでも、ひとりさんは大変気持ちの入ったお芝居をしてくれました。お芝居って、どうやったって相手がいて成立することなので、僕は事前に考えていかないんですよね。自分の考えていたアプローチがあったとしても、相手の出方次第で変わってくると思うので。今回は共演の皆さんそうでしたが、監督のお芝居にも引っ張ってもらいましたね」と振り返る。

また、マジック監修を務めるマジシャンの魔耶一星氏から手ほどきを受けるなか、コインとカードを使ったマジックに苦戦した。現場でのコメント取りの際にも、常にカードを手放すことなく「手元のテクニックが必要なので、イヤになる。底なしですよ」とぼやいていたが、魔耶氏は大泉を「イメージを具現化する能力は高くて器用だし、本番にも強い。しかし練習態度は非常にネガティブ」と評する。

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「マジックをノースタントで、大泉自らにやってもらう」。これはひとり監督のこだわったポイントで、細かい編集やCGでマジックを成立させるのではなく、本当のマジックに執心した。クランクイン4カ月前に練習をスタートさせ、ときには深夜に太田プロの稽古場を訪れ、黙々と練習に励んだが思うようにはいかなかったようで「監督は僕がなんとなくマジックができそうだと思われたみたいですね。僕も、なんとなくできるんじゃないかと思っていたんですが、マジックに関しては非常に不器用でした。『こんなにできないのか、コインロール!』と思いましたから」と苦悶の表情を浮かべる。

魔耶氏の“練習態度は非常にネガティブ”発言に対しても、「僕はぼやき体質で、常にぼやいていたい人なんです。弱音をはいて、はいて、生きている人間なものですから、それが練習態度がネガティブだったということなんですよ。ちょっとやってできないと、『いやあ、もうできない。なんでこんなにできないんですかねえ。大体ね、マジシャンが演技を覚えてやった方が早いですよ』とかね。そうやって20~30分くらいぼやいて、『さて、じゃあやろうか』と練習を再開するわけです」と説明する。

ひとり監督は、「本番に間に合わせてくれたっていうイメージはありますね。いつかメイキングでお見せしたいんですが、最初って本当に何もできなかったんですよ。ちょっと血の気が引くというか、僕の思い描いていたシーンは不可能に近いんじゃないかなと思ったくらいでした」と述懐。「特にカードと、クライマックスのマジック。クライマックスのくだりは、どうにか間に合いそうだなと思ったのは、撮影の1週間くらい前だった気がする」と苦笑いを浮かべた。

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これには大泉も、「監督は焦ったと思いますよ。『この段階でこの人、これしかできないの?』みたいな。僕の中では撮影当日までにという計算はありましたけれど、監督は慌てるだろうなと感じました」と同調する。常に突貫工事のようだったと話し、「撮影が近づいている順番に習得していく感じでしたね。ただ、何とか奇跡的に撮れてはいたんです。常に綱渡りって感じではありましたが。人前で見せるマジックと、映画で見せるマジックは違うなと思いました」。

大変なことを大変だと感じさせない言い方は、大泉ならではの気配りといえる。本編冒頭で披露するカードマジックのシーンは、撮影最終日に行われたが、ひとり監督が24テイクでOKを出したのに対し、大泉は続行を直訴し86テイクを数えた。スタッフによれば腱鞘(けんしょう)炎になっていたというが、そんなことは一切口にしない。どんな現場であれ、そこはかとなく穏やかな空気を醸し出しているのが大泉という俳優の美徳なのかもしれない。大泉に、国民的人気キャラクター“寅さん”で知られる故渥美清さんの姿を重ね合わせる関係者も少なくない。

「恐れ多い」と恐縮しきりの大泉は、「いろんな記者さんが僕のことをコメディ俳優って書いてくださいますが、実はあんまりコメディってやっていないんですよ。ハートウォーミングなお話やシリアスなものが多いものですから。でも、渥美さんのようになれれば、それは素晴らしいですよね」と表情をほころばせる。さらに、「先日もある関係者の方とお話をしていて、渥美さんが生きていらした頃は本当のことを言えば毎年、どんな映画賞も最優秀主演男優賞は渥美さんだよ、渥美さん以上に上手い役者なんていないんだからっておっしゃっていた。本当に素晴らしい方ですよね」と思いをはせる。

「男はつらいよ」シリーズの大ファンで知られるひとり監督は、「すごい称号を手に入れましたね」とニッコリ。そして、俳優としての大泉の魅力について「すごく心配性。マジックはもちろんですが、お芝居のことでも。あらゆるシーンで『ここはどうなんだろう』という疑問をいっぱい投げかけてこられましたし、それがまた的を得ていることが多かったから、一緒につくり上げていくシーンというのは多々ありました。心配性って、この仕事をしていくうえで、すごく大事な要素だと思います」と語ってくれた。今後も引っ張りだこの状態が続く大泉だが、近い将来、監督として非凡な才能を開花させた劇団ひとりとの再タッグを願わずにはいられない。

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