劇場公開日 2013年2月15日

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ゼロ・ダーク・サーティ : 映画評論・批評

2013年2月5日更新

2013年2月15日よりTOHOシネマズ有楽座ほかにてロードショー

憎しみと恐怖に満ちた世界に決着をつける、孤高のヒロインの闘い

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あれほどまでに報復の連鎖がもたらす不毛を思い知ったにもかかわらず、チェンジを遂げたはずの米国オバマ政権下で、超法規的に遂行されたビン・ラディン殺害計画。キャスリン・ビグローは事実の断片を冷徹に積み重ね、「9・11」を引き起こし姿をくらませた首謀者とされるターゲットに迫っていく。世紀の暗殺劇から間髪置かず、当事者の証言に基づくリアリティを重視したあまりにも生々しい物語は、情報入手のあり方や事実歪曲の疑いによって物議を醸しているが、緻密に構成されたフィクションから炙り出される真実の価値は一向に揺るがない。

これは「復讐」を賛美し、国威発揚を図るプロパガンダなのか。とんでもない。冒頭延々と続く、尊厳を無視した卑劣な拷問からして、国家の威信失墜を象徴する。情報を読み解く能力に秀でるゆえ高卒でリクルートされ、いきなり捕縛任務に投入された主人公、分析官マヤの存在自体も、CIAの焦燥の現われではないか。彼女は、憎しみと恐怖に充ち満ちた世界を生き抜くため、あらかじめ感情を鈍麻させたようなキャラクターだ。五里霧中の追跡の果て憔悴し、テロで多くの仲間を失い、死の恐怖に晒され、決然となっていく様にキャメラは寄り添う。冷ややかに青く燃える孤高の魂が、正義の在処も覚束ない状況下、コケの一念で男社会の官僚組織を突破し、精鋭部隊をも突き動かす。作劇上は聖戦ではない。自らの手で、テロの脅威を終わらせたいと願うマヤ自身の闘いである。

決して娯楽活劇ではない。クライマックスの襲撃作戦に興奮を覚えたなら、戦争に潜む快楽の罠に気づかなければいけない。これで平穏は訪れるのか。標的の消えたマヤの心の漂流が辿り着く先を思うと、虚しく空恐ろしい。

清水節

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