宮城広場

劇場公開日:

解説

製作は「羅生門」の箕浦甚吾、原作は川口松太郎の夕刊読売連載の小説、脚本は「ごろつき船」の成澤昌茂、監督は「指名犯人」の久松静児である。出演者の主なるものは「鬼あざみ」の山根寿子、「処女峰」の乙羽信子に二本柳寛、「奥様に御用心」の森雅之、「姉妹星」の三益愛子、「黒い花」の久我美子それに、英百合子の息子でニュー・フェースとして初登場の長谷部健なのである。

1951年製作/85分/日本
配給:大映
劇場公開日:1951年1月6日

ストーリー

戦時中総理大臣を勤めた木島公爵の息、木島文彦は、密航によって帰還したが、日本を敗戦に追い込んだのは木島公爵の責任のように思い込んでいる世間の人々の眼をさけて、腹心の相棒徹男と一緒に宮城広場の一隅で自動車一台を家として起居していた。そして妹絢子を捨て去った許婚の田代を追求していた。木島の親友島津直太郎は、大学教授であったが、木島家所蔵の古代土器類を宮本骨董品店に勤める恋人水上史江に依頼して、自分の家で売り立てを行い、文彦のために五十万円の金を作ってやった。史江は烏森に天ぷら屋をやっているお民の娘であったが、キャバレーでピアノを弾いている妹の公江と一緒に築地のアパートに別居をしていた。お民の息子英次は、やはり悪友にさそわれて家出していたが、絢子の相手田代の居所をいえと文彦にピストルで脅迫されているところへ公江が通りかかり、文彦のピストルをあずかってしまう。それが縁になって文彦と急速に近づいた。そして文彦と共に京都へ絢子の行方を探しに行こうとしていた矢先、文彦から出た木島家の古代土器が偽造品であったということから、売り立てをした直太郎が世の糾弾を浴びることになったが、史江は弁済の金策をお民に相談した。お民は直太郎の父とは知らず最近よく店へ飲みに来る客の直吉に話したので、直吉はその金を出したばかりでなく、直太郎と史江との結婚も取りきめることにした。しかし公江は文彦と京都へ出発しようとしたときに絢子を捨て去った相手が弟の英次であったことを知ると文彦に赦しを乞い単身京都へ行って絢子を伴って帰京した。宮城広場で、文彦が妹を裏切った英次を成敗しようと対峙していたとき絢子と公江はようやく駆けつけ、絢子は未だ英次を愛していることを告白して英次と共に去って行った。文彦は公江とは二人の幸福そうな後ろ姿を共に見送るのだった。

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