硫黄島(1973)

劇場公開日:

解説

太平洋戦争において、日米両軍が国を賭けた“世界で一番熱い場所”といわれた硫黄島攻防戦の凄惨な全貌を、米海兵隊が撮影した記録映画で、二十七年間、未公開のまま米国防総省に保管されていたフィルムを一般公開用に編集したものである。

1973年製作/98分/日本
配給:NCC
劇場公開日:1973年3月3日

ストーリー

一九四四年六月、ノルマンディ上陸作戦の成功を境にして、アメリカ軍は戦争の重点を太平洋に置いた。六月サイパン、七月二十一日グァム、二四日テニアン、一〇月レイテと上陸作戦が開始された。一方、サイパン島基地から発進したB29は、東京の上空に姿をあらわした。そして、東京空襲の際の中間基地として、硫黄島が焦点に浮び上った。硫黄島は全島が日本軍の要塞でもあった。この島を死守する日本軍は、栗林忠道中将以下二万三千の歩兵九個大隊と海軍部隊五五〇〇名。ことに栗林中将が全力をあげて防備を固めた驚くべき特徴は、彼独特の洞窟陣地の完璧なまでの築城法であった。二月一五日。六週間にわたって硫黄島はB29の爆撃を受けた。しかし最も激烈な攻撃は艦砲射撃でこの日までに二一、九二六発の砲弾が撃ち込まれた。二月十六日。アメリカ艦船は島を完全に包囲した。二月十七日。海岸から七〇〇メートルにあった掃海艇が日本軍の射撃を受けた。しかし、逆に日本軍にとって敵に攻撃目標を知らせるはめになった。二月十八日午前七時四五分、一斉射撃開始。二月十九日。擢鉢山へ、ロケット及びナパーム弾、普通銃弾でじゅうたん爆撃、艦砲射撃と交互に凄絶な爆撃が行なわれた。硫黄島は島の形を変えた。しかし、日本軍の損失は戦死一〇名、負傷八七名。擢鉢山の山頂を四分の一吹き飛ばした砲撃の成果がこれであった。日本軍は全軍もぐらのように地下にもぐり敵が上陸して来るのを持っていたのだ……。次々とアメリカ兵が上陸。その上陸地点へ向けて、日本軍の反撃が開始された。二月二〇日。海岸は、日本軍の激しい砲撃で血みどろの死骸が散乱していた。二月二三日。上陸四日目、米軍はようやく擢鉢山を完全包囲し、一〇時二〇分、遂に山頂に星条旗を押立てた。海兵隊は七万人の上陸が終了していた。二月二六日。日がたつにつれて、アメリカ本土で硫黄島攻略の米指揮官への風あたりが強くなってきた。三月五日。洞窟の中から始めて人間が姿を表わした。強制的に徴用された朝鮮人労務者たちである。三月八日。日本軍の抵抗に手を焼いたアメリカ軍は、火炎放射器で洞窟内を攻撃した、日本兵は次次と自決していった。栗林中将の命令を無視して、突撃に出る部隊が出て来た。しかし、すべて十字砲火のために消えていった。三月二二日、太平洋戦争でもっとも凄惨な戦いは終った。アメリカ軍上陸部隊七万五千のうち、30%が負傷、四九一六名が死んだ。日本軍二万三千のうち、生き残ったのは一〇三三名だった……。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

構成
須藤出穂
企画協力
緒方克行
撮影
米・海兵隊第3司令部
カメラ
マックロシュ軍曹
A・S・トレッシー伍長
ロフット中尉
マクダモット
音楽
利根常昭
編集
御法川清一
協力
米・海軍省
国防総省
ナレーション
中西龍
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映画レビュー

3.5・・・・

2021年5月12日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

アメリカの目から見たドキュメント映画 敗戦国だけに見ていてつらかったが、アメリカ兵が亡くなられた方のお墓を建ててくれていたのが救い。どんどん風化されていく第二次世界大戦、貴重なフィルムだとおもう 亡くなられた方のご冥福を祈りたい

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Elton Shin