巨人軍物語
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解説

日本プロ野球界の名門「東京読売巨人軍」の創立二十五周年を記念して、その生い立ちから、川上選手の引退に至るまでの歩みを逐一捉えた記録映画。構成演出・岡田弘、大峰晴。撮影・橋本正、平木靖、飯野博三郎。音楽・平井哲三郎。歴史篇の部分は、正力・鈴木・市岡等のプロ野球発生期の原動力となった人たちに登場してもらい、当時の秘蔵写真を紹介しながら話を進めて行く形式をとり、現代篇はワイド画面で、巨人軍全選手が登場する。

ストーリー

◇球団の発足と球団名の由来--昭和六年、第一回来日のアメリカ・チームを迎えうった全日本軍は殆ど六大学選手で構成されていたが、その後、入場料をとる野球への学生出場の禁止令が出されたため、正力読売新聞社社長はプロ野球チームの必要を痛感、市岡忠男、鈴木惣太郎両氏の協力を得て昭和九年六月、“東京読売巨人軍”の母体“大日本東京野球倶楽部”を結成した。翌十年、東京倶楽部は第一回アメリカ遠征を行い、これを機としてアメリカの大チーム、ジャイアンツに因んでニックネームをトーキョー・ジャイアンツと呼ぶことに決めたのである。◇背番号十四の偉業--市岡総監督の名で全選手が招集された昭和十年一月十四日、その中に京都商業から馳せ参じた弱冠十七歳の天才投手、沢村栄治がいた。三宅大輔監督のコーチで懸河のドロップをマスター、その後の渡米で目覚しい成績をあげた。が沢村は、昭和二十年応召して戦死、彼の背番号十四は、その後欠番として残されることになった。◇一億総蹶起時代の出来事--太平洋戦争突入前後の昭和十六年春のリーグ戦からプロ球団名は片カナを日本字に変えられ、ジャイアンツは巨人と名を改めた。またポジションの呼び方、野球用語も敵性外国語として、例えばキャッチャーは捕手に、ストライクは、よし一本、というように変えられたのである。◇川上の引退--巨人と西鉄が三年つづけて対決した三十三年度のプロ野球日本選手権シリーズは三たび巨人の敗北となった。そして、この日、平打均率三割を誇りジャイアンツに輝かしい貢献をした川上哲治一塁手が遂に引退を声明した。...

キャスト

作品データ

製作年 1958年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 78分

提供:株式会社キネマ旬報社

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