幼きものは訴える

劇場公開日:

解説

戦犯で刑死した将軍の幼い遺児兄妹の放浪と死をめぐる悲劇。「赤城の血祭」の共同脚色者の一人八木保太郎の原作を彼自身が佐治乾と共同脚色し、「うちのおばあちゃん」の春原政久が監督、「女中ッ子」の伊佐山三郎が撮影を担当した。主なる出演者は「暴力街(1955)」の加藤嘉、「月夜の傘」の宇野重吉、「こころ」の安井昌二、その他、若草、NBK、コマドリの諸劇団から少年俳優数名が参加している。

1955年製作/96分/日本
原題:Believe Me
配給:日活
劇場公開日:1955年11月6日

ストーリー

陸軍少将だった父の山崎剛が南方の孤島で絞首台の露と消えたあと、幼い勝と清子の兄妹と病弱な母は、鹿児島県谷山町で古本屋を営む伯父勇作の家に、間借りをしていた。ある日、兄妹を残して、母は薄倖な生涯を閉じた。鹿児島市から祖父の信助が来たが、弔問よりも年十万円の恩給が目当で、勝だけ恩給と共に引取られることになった。信助は勝に父の跡を継がせるため、自衛隊に入れることを夢としていた。その後、祖父と伯父が恩給のことで殴り合いの喧嘩をしているのを見た勝は、夢中で家を飛び出し、浮浪児の仲間に入った。「運命の遺児の悲劇」として新聞に取扱われると、戦時中、剛の部下だった秋山が救いの手をさしのべた。しかし、この抜け目のない興行会社の社長は宣伝に利用したいからで、所詮は冷たい家庭でしかなく、たまたま浮浪児時代の友達に再会した勝は、初めて肉親と会ったような気がするのだった。故郷恋しさに夜汽車で帰ると、清子が悪童にいじめられていた。二人は北海道へ行くつもりで汽車に乗るが、思いがけなく浮浪児仲間の黄金虫、ピカハゲ、モンキーたちに会った。やっとのことで東北の高原に辿りついた彼らは、朽ちかゝった掘立小屋を見つけた。ほっとしたのも束の間、広島の孤児であるピカハゲが鼻血を出した。原爆病だったのである。ピカハゲは置手紙を残して小屋を去った。一同は何処かで見ているに違いないピカハゲを思いながら小屋に火を放った。勝と清子は海を渡り、トラピストを訪れた。しかしそこには、彼等を捕えに来た祖父と伯父が待っていた。帰り、青森駅で京都行の汽車に乗せられようとしたとき、勝は初めての、そして最後の幼い抵抗をした。汽車を飛びおりた勝は折から驀進して来る列車に飛びこんだ。

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