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解説

明治37年の日露戦争から昭和20年の第二次大戦終戦まで日本が関係した戦争・戦闘を記録映像で回顧するドキュメンタリー。解説は宮田輝。

ストーリー

明治三十七年二月十日、日露戦争。旅順要塞、二〇三高地の攻防戦を経て日本海海戦は大勝利に終り、明治四十三年韓国を合併した。昭和四年、米国に起った大恐慌は、日本をテロと不況の時代へと陥し入れた。五年十一月、浜口首相暗殺、七年五月犬養首相殺害、十年八月、永田鉄山殺害……である。これより先、昭和三年満州の完全支配を目論む陸軍の急進派は張作霖を爆死させ、六年柳条溝事件を契機として忽ち満州事変となり、日本は全満州を制圧、七年、清朝の廃帝溥儀をひっぱりだして満州建国を宣言した。ここに日本は中国本土侵略への地歩を固め、国際連盟脱退、二・二六事件、日独防共共定の成立と、日本の軍国主義の波は急速に増大していった。昭和十二年、蘆溝橋事件によって日華事変が勃発した。北京、天津を占領、戦火は中支、上海に飛び海軍機の初の南京渡洋爆撃から杭州湾上陸とやつぎばやに進展していった。蒋介石は中国民衆と共に抗日徹底を決意した。南京陥落、漢口攻略、重慶爆撃、広東占領と広漠の中国大陸に日本軍の戦線は急速度に拡がっていった。それは、終結のメドを何等もたないこの戦争が次第に泥沼の様相を呈してきた。昭和十六年、ときの外相で南進強行論者の松岡洋祐は日ソ中立条約に調印した。それは、経済的資源の貧弱な日本が、ソ連との中立条約で北からの脅威を回避し軍事資源の豊富な東南アジアへの侵出を暗示したものだった。当然、米英の対日態度は硬化した。アメリカは軍需生産に力を入れ、日本への石油輸出を禁止した。そして、香港、シンガポール、マレー、フィリピンなどでABCDラインが形成され対日戦争体制が強化されていった。そして昭和十六年、大東亜戦争がはじまった。十二月八日、海軍は真珠湾を襲い、陸軍はマレーに上陸した。この緒戦の大勝利は、米英への劣等感を吹き飛ばし、昭和十七年の新春から日本の攻勢は止むところをしらぬ破竹の勢だった。日の丸の旗はビスマルク諸島、チモール島、蘭印、アンダマン島、北進してキスカ島と、南北太平洋からインド洋にと広大な地域に打ちたてられた。しかし、日本の戦争指導者達は、勝って兜の緒をしめる何等のプランも持ち合わせなかった。特にアメリカの巨大な生産力による捲返しは時間の問題だったにも拘らず、日本の防備体制、軍事力の増強、まして戦争終結の手段と方策もゼロに等しく、すでに敗戦を意味しているものでもあった。それは、昭和十七年ミッドウェー海戦で、日本海軍が致命的な打撃を蒙ったことによって、軍首脳部は否応なしにその事実を認めざるを得なかった。しかし、時すでにおそかった。形勢は逆転した。七月米海軍はソロモン海域で強力な反撃に出た。翌十八年、日本軍はガ島撤退。四月連合艦隊司令長官山本五十六戦死と戦局は急激に悪化していった。十九年米軍のサイパン島上陸、十月米第六軍を護衛した大艦隊がレイテ湾に現われた。第一航空艦隊の大西司令長官は、局面打開に肉弾特攻を命じた。だが、戦局は好転せず、米軍はマニラを奪還した。二十年硫黄島に上陸、三月守備隊玉砕。四月米軍は沖縄に上陸した。日本の陸・海・空と全力をあげての特攻攻撃も、大勢を覆えすことはできなかった。七月二十六日ポツダム宣言が発せられた。八月六日、八時十五分、広島にB二九から原爆が投下された。つづいて九日、長崎に第二の原爆が投下された。かくして八月十五日、日本の戦争は終りを告げたのであった。...

スタッフ

製作
毎日映画社
音楽
片岡良和
解説
宮田輝

キャスト

作品データ

原題 Japan and the Sword
製作年 1963年
製作国 日本
配給 日活
上映時間 77分

提供:株式会社キネマ旬報社

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