太平洋戦争と姫ゆり部隊

劇場公開日:

解説

大蔵貢の企画・製作・原作から、館岡謙之助と金田光夫、「東京湾の突風野郎」の小森白が共同で脚色、小森白が監督した沖縄攻防戦の裏面を描いたもの。撮影は「荒原の掠奪者」の吉田重業と「北上川悲歌」の岩崎秀光。(70ミリ・テクニラマ)

1962年製作/193分/日本
原題:The Pacific War and Himeyuri Corps
配給:大映
劇場公開日:1962年4月7日

ストーリー

太平洋戦争の戦局急迫するや、大本営では米軍の台湾進攻に備え、沖縄の第九師団を台湾に転出させた。現地の軍司令部では、残余の二個師団で沖縄を守備するとは不可能であると主張する川西参謀と、大本営の作戦計画を納得させようとする、着任早々の大島参謀とが激突したが、牛島司令官は「たとえ大本営が見捨てようとも、牛島は沖縄を見捨てぬ」といい切った。牛島中将麾下の第三十二軍と共に、若い学徒義勇隊、郷軍、姫ゆり部隊など軍官民一体となって、祖国防衛に立ち上った。姫ゆり部隊は、沖縄第一高等女学校の生徒たちで編成されたものである。四月一日、数百の船艇と強力な空軍に護られた数十万の米軍は、沖縄に来攻した。全く孤立無援となった第三十二軍は南部地区の陣地に拠り、数倍の米軍を迎撃、血みどろの攻防戦が続いた。幽霊山の陣地を視察した大島少佐は、姫ゆり部隊に会った。那覇で敵の空襲に遭ったとき助けた少女百合子もいた。彼女の姉大峰先生は少佐をわが家へ招き、心から歓待して護り札を贈った。まもなく卒業式を終えた姫ゆり部隊は陸軍病院に配属された。最前戦では友軍の全滅が相次いだ。米軍の沖縄進攻説を否定した大本営の作戦の誤算は大きく、戦艦大和を旗艦になぐり込みをかけた主力艦隊も惨敗を喫した。五月四日、牛島司令官は総攻撃を決定、物量を誇る米軍に決戦を挑んだが、この戦闘も失敗に終った。六月に入って我軍は南方の山岳陣地に撤退した。激戦の末、牛島司令官は辞世の句を残して自刃。斬込み隊を編成した大島、川西両少佐も壮烈な戦死を遂げた。一方、相次ぐ日本軍の玉砕でとり残された姫ゆりたちは、逃げまどいながらも、海辺に倒れている重傷の米兵に水を与えるのだった。彼女らは敵の包囲下にあることを知るや、敵に辱しめを受けるより、清い体を御国に捧げようと決心するのだった。乙女等は父母の名を呼んで今世の別れを告げ、毒薬で若い生命を絶って行った。邦子は妹百合子をかばうように折重なって死んでいた。間もなくそこへ進軍して来た米兵は、姫ゆり達の清らかな死に対して最敬礼を送るのだった。

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