旅路の果て

劇場公開日:

解説

一九三六年「幻の馬車」に先立ってジュリアン・デュヴィヴィエが監督制作した作品で、一九四二年に輸入され公開の予定であったが、戦時中のため未公開のまま今日にいたったものである。脚本はディヴィヴィエとジャック・フェーデの「女だけの都」をはじめ「地の果てを行く」「我等の仲間」などに彼と協力したシャルル・スパークの両名で、撮影には「格子なき牢獄」クリスチャン・マトラ、作曲には「パリ祭」のモーリス・ジョーベールが当っている。「戦いの前夜」「火の夜」「海のつわもの」のヴィクトル・フランサン、「女だけの都」「どん底」「フロウ氏の犯罪」のルイ・ジューヴェ、「上から下まで」「かりそめの幸福」「乙女の湖」のミシェル・シモン、「うたかたの恋」のガブリエル・ドルジア、「地の果てを行く」のガストン・モド、「モンパルナスの夜」のガストン・ジャッケらが顔をそろえている。

1936年製作/フランス
原題:La Fin Du Jours
劇場公開日:1948年3月

ストーリー

南仏サン・ジャン・リヴィエルにある俳優養老院、そこではかつての日のはなやかな舞台をただ一つの誇りとして、いま多くの俳優たちが余生を送っている。カブリサードは代役専門の役者だったが、主役のギトリーが健康だったため一度も舞台をふんだことがなかった。しかし、彼は自分の勝手に過去を創造しほらばかりふいている。マルニーは古典劇屈指の名優とうたわれていたが、愛人を同僚サンクレーに奪われて以来、俳優としての自信を失いここに隠退したのである。マルニーはその正直な性格の故にカブリサードを俳優として認めないために、両者の間に時折り小さな争いがあったが、ある日ここへ突然尾羽うち枯らしたサンクレールが現れるまでは、院内は平和な空気にみちていた。マルニーは恋人がサンクレールの許に走って間もなく変死したので、その死因を疑い、サンクレールにはげしい憎しみを抱いていた。サンクレールはいつも婦人の渇仰の的となっていると人から思われていたい性格の男で、養老院へきても早速近くのカフェーで働く娘ジャネットに眼をつけた。以前から経営難であった養老院は、いまでは万策つきいよいよ解散する破目になった。このとき院主の尽力でパリの新聞社が義えん金をだし、現役の名優たちによる慈善興行を行いこれを救うことになった。ところが公演の当夜、主役俳優が不意に事故のため出場できなくなったので一同はマルニーに代役をたのむことにした。カブリサードは生がいの思い出に、最初にして最後の舞台を踏みたいと決心しマルニーにたのむが許されない。彼は暴力でマルニーを倒し舞台に出たがかなしいかな一言のせりふもしゃべれなかった。大切な一幕をめちゃめちゃにして自分の部屋へかえった彼はその場に倒れてしまった。その夜サンクレールは純情のジャネットを自殺させようとしたが最後にマルニーに気付かれ、ジャネットは死の一歩前で救われた。数日後カブリサードの葬儀には、遺言により生前彼自身が書いた弔辞をマルニーが読むことになったが、生真面目な彼にはカブリサードを一世の名優としてほめたたえた弔辞を読むことができず、いくたびかためらったのち、弔辞を捨てて自分の思うままを述べた。「彼は俳優としてはとるに足らぬ男だ。しかし友人としては実にいい男だった。友よ安らかにねむれ」と。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

5.0これが現実の老人

2020年2月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

旅路の果ては、戦前の作品だが昭和23年に公開され、見て、圧倒された。 俳優たちの老人ホームの話だが、ジューベ・シモン等名優の個性が素晴らしく明解に描かれ、特にミッシェル・シモンは彼の最高の演技を示す。 万年代役NO1に甘んじた男が晴れの舞台デビューを果たそうという時の彼の表情としぐさのうまさは秀逸。
あくまで私見だが、倉本聰がこれを見て「やすらぎの刻」を思いついたのは間違いないと思う。

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浜千鳥

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