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解説

フランスの自動車王アンドレ・シトロエンの起したアジア探険の隊の行動と経緯とを一九三一年より一九三三年にかけて記録したアンドレ・シトロエン製作の映画で、撮影監督にはかつて記録映画「ゴンゴ旅行」等を作った経験のあるアンドレ・ソーヴァージュがあたり、撮影した映画の編集には「ヴェルダン 歴史の幻想」を作ったレオン・ポアリエが参与した。撮影と録音はジョルジュ・ミリオン、ムーゼエ、ジョルジュ・スペクト、シヴェルの四氏の協力したもので、音楽にはJ・E・シーフェルが主となり他に二氏が協力した。

ストーリー

探険隊は中国班とパミール班とに分れ無電で連絡をとりながら雨地点から出発した。即ち、天津から出発する七台の自動車が北京、中国北境、内蒙古を経て、ゴビの砂漠を横断、新彊省のカシュガルに至って、ベイルートを発しヒマラヤを越えて東漸して来たパミール班と会する計画であった。一九三一年四月四日、シリヤのベイルートをG・マリー・ハルト指揮の下にパミール班出発。一日遅れてヴィクトル・ポアン指揮の下に中国班出発。中国班はその後、新彊省でモハメッドの反乱が起り、同班は同省によって抑留されたが、一方パミール班はよく進み、アラビヤ、イラク、バグダッド、テヘラン、ペルシヤ、アフガニスタン、イギリス領インドと進み、その途カブールのヘルマンド町を越え、またバミヤン峡谷のガンダラ文化の跡を眺めた。そして更に世界の屋根ヒマラヤの天嶮を、ダイナマイトで岩を砕き、激流を渡り、自動車を解体して人の背に負って進んだ。三千五百米の個所にあるアリアン人の最後の集落、四千二百米に於てはプルジルの峡路。キルギットに到着した一行は無電により中国班の椿事を知り、彼等の檻禁されたオルムに向け、パミール高原を馬で旅した。五千二百米に達するキリク峡路を越えたのは三一年九月一日である。それから数週の後、ハルト一行はポアン一行に合し、雨班が一隊となり極寒十二月の砂漠と闘い、黄河を越えて二月十二日、北京に入った。北京に到着した一行は遠征隊を再び二つに分ち、自動車をオードアン・デュプルイユ指揮の下にハノイに向け出荷して出した。その後、ハルトとポアンは戦乱の巷たる上海に到着した。ハルトはこの地でペストにかかり、香港へ着いたのが最後の旅となった。...

作品データ

原題 La Croisiere Jaune
製作年 1933年
製作国 フランス

提供:株式会社キネマ旬報社

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