最後の橋

劇場公開日:

解説

一九五四年カンヌ国際映画祭で国際賞と女優演技賞(マリア・シェル)、同年ベルリン国際映画祭で一等賞及び監督賞(ヘルムート・コイトナー)、同年セルズニック・ゴールデン・ローレル賞と数々の受賞に輝くオーストリア=ユーゴ合作映画の問題作。第二次大戦中、人道的な見地から献身的働きをしたドイツ女医の物語。「題名のない映画(1948)」のヘルムート・コイトナーがノルベール・クンツェと共同で脚本執筆の上、監督した。撮影はエライオ・カルニール、音楽はカール・デ・グルーフ。出演者は「居酒屋(1956)」のマリア・シェルをはじめスイスの舞台兼映画俳優ベルンハルト・ヴィッキ、「誰が祖国を売ったか!」の西独女優バルバラ・リュティンク、オーストリアのカール・メーナー、助監督のホルスト・ヘヒラーの他、オーストリア、西独、スイス、ユーゴの俳優たちが助演している。

1954年製作/102分/オーストリア・ユーゴスラビア合作
原題:Die Letzte Brucke
配給:NCC=北欧映画
劇場公開日:1956年12月14日

ストーリー

第二次大戦中の一九四三年の春。ユーゴ中南部の小都市モスタールの独軍野戦病院の看護婦長ヘルガ(マリア・シェル)はマルティン曽長(カール・メーナー)と恋におちた。ある日、二人はネレトヴァ川にかかる橋を渡りかけたとき突然銃声が響き、橋を渡ってきたパルティザンが射殺された。この時ヘルガはパルティザンという名を初めて聞いた。パルティザンが死んだモスタールの橋はヘルガにとって最初の橋であった。六週間後ヘルガは北方の野戦病院へ転任したが、九月に伊軍が降伏したため、この地方はパルティザンの蠢動する地帯となった。そしてある日、ヘルガは救急車もろともパルティザンに襲撃され、パルティザンに属するミリツァ(バルバラ・リュティンク)に拉致された。ヘルガはそこで傷病兵の看護を強制された。パルティザンの隊長ボロ(ベルンハルト・ヴィッキ)の「傷ついた敵も人間だ」という言葉に、ヘルガは手当を始めたが、医者としての義務とドイツ人としての祖国愛の板狭みに悩んだ。二度の逃亡もボロに見つけられた。パルティザンにチフスが発生した。独軍は次第に迫りパルティザンは安全な上流へ移動を始めた。傷病兵がネレトヴァ川にかかる吊橋を渡りかけたとき突然独軍のモーターボート部隊が現れ銃火の中に吊橋は落ちた。しかし人の肩に支えられた橋で傷病兵は川を渡った。ヘルガにとっての第二の橋である。パルティザンは連合軍に薬の手配を連絡した。ヘルガはミリツァと回教の農婦に変装、ネレトヴァ川の向うの独軍占領地に潜む英人の許へ薬を取りにゆくことになった。橋を渡りかけたヘルガは今度は逃げようと思ったが容易な道を進めなかった。ミリツァと第三の橋--最後の橋を渡り対岸へ急いだ。二人は酒倉に潜む英人から薬を受取ったが帰途、道路工事に狩立てられた。周りはドイツ人ばかり、ヘルガはいつでも逃げられた。その時ミリツァは独りで帰ろうと工事場を飛出したが折ら爆発した発破の中へ飛込んでしまった。薬を持返れるのはヘルガだけ。彼女は酒倉へ戻った。そこで思いがけなくマルティンと出会った。だがヘルガは彼を振切って橋を渡り始めた。そこへパルチザンの増援部隊が到着、独軍を射ち始めた。激しい砲火の応酬。しかし両軍とも橋の上にヘルガを発見し射撃を止めた。が一弾はヘルガに当った。彼女は漸く橋を渡りボロに薬を渡し再び愛人の許へと橋を渡り始めた。しかしヘルガの体は橋の上に崩折れたまま遂に動かなくなった。

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