黒い砂漠
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解説

イタリア国営炭火水素公社の総裁として怪腕をふるっていたマッテイが謎の事故死をとげた“マッテイ事件”を素材に、国際独占資本の恐るべきメカニズムを暴く。製作はフランコ・クリスタルディ、監督は「シシリーの黒い霧」「総進撃」のフランチェスコ・ロージ、脚本はロージとトニーノ・グエッラ、撮影はパスカリーノ・デ・サンティス、音楽はピエロ・ピッチオーニが各々担当。出演はジャン・マリア・ヴォロンテ、ルイジ・スカルツィーナ、ピーター・ボールドウィン、レナート・ロマノ、ジャンフランコ・オンブエン、エデ・フェロナオなど。一九七二年度カンヌ映画祭グランプリ受賞。

ストーリー

一九六二年十月二十七日の夜、イタリア・ミラノ地方は豪雨に見舞われていた。ミラノ空港の管制官は、数分前に着陸を伝えてきた小型ジェット機の機影が、レーダー・スクリーンから消えたのを確認した。翌朝、ジェット機墜落現場は惨たんたる様相を呈していた。塔乗者はイタリア国営炭火水素公社(EMI)の総裁エンリコ・マッテイだった。総ガラスばりの巨大なビル。ここにEMIの本社があり、総裁としてマッテイ(G・M・ヴォロンテ)は、ここから政界に大きな影響力をおよぼしていただけでなく、イタリア工業界の驚異的な発展をもたらした大実力者だった。それだけにマッテイ事故死のニュースは伊国内はもとより全世界に伝わった。ニューヨークのある通信社は独力で調査を開始した。マッテイがエネルギー開発に打ちこみ始めたのは一九四五年、イタリアがドイツから解放された直後のことである。彼はパルチザンに加わり、ドイツと戦った。マッテイは“ムッソリーニの遺産”といわれるエネルギー開発プランを作成したフェラーリ(G・オンブエン)技師を呼びつけ、ファシスト協力者として追放されているその身柄を解放し、協力者にしたて、ポー渓谷のメタンガス試掘現場にフェラーリを連れていった。数ヵ月後、ここから強力なガスが噴き出し、それに火をつけると、メタンの炎が暗黒の空に燃え上がった。この炎こそイタリアという農業国を工業国に変容させるタイマツとなったのだ。マッテイのエネルギー開発の努力は、北部イタリアをうるおしただけでなく、一九四九年にはイタリアを国際石油戦争に勝たせたのだ。一九六〇年、アメリカの石油大資本の石油価格値上げに反対し、ソ連やアラブ諸国と石油協定を結んだ。彼はインタビューにくる記者には、自分は苦学実行の男だといい、石油は趣味さ、といった。だが、今では国際資本からは、なぜ奴を殺せんかねといわれるまで憎まれる存在になっていた。しかも国内では、テレビ討論会で大臣が記者の鋭い質問に弱腰になったときなど、電話で大臣をどなりつけるくらいの大物になったのである。そんなマッテイをデマウロ記者(L・スカルツィーナ)が取材した。彼は右翼との関係も否定せず、「右翼はタクシーみたいなものだ。乗ることはある。そしておりる。当然金は払う」と答えた。さらに彼はいう。「私が負けたら喜ぶのは石油資本だ」と。一九七〇年、マッテイの死因を追ったこのデマウロがシシリーで何者かに誘拐された。マッテイは最後の二日間をシシリーで過ごしている。シシリーにもメタンが埋蔵されていることが発見され、アルジェリア--シシリー--イタリア本土を結ぶ石油のパイプライン計画を立てていた。彼はシシリー島民に、メタンの権利について説得にきた。「シシリーの資源はシシリーのものだ。外国に出稼ぎにいっている男たちを呼び戻しなさい。貧しさはなくなるのだ。」マッテイの演説は大拍手によってとじられた。島民は口々に「マッテイ万才」を叫んだ。マッテイは再来を約して飛び立った。だがそれはついに果たされなかった。シシリー島を飛び立つ日、マッテイの専用機に誰が何を仕かけたのか。いったい誰がマッテイを殺したのか……。...

作品データ

原題 Il Caso Mattei
製作年 1972年
製作国 イタリア
配給 ヘラルド

提供:株式会社キネマ旬報社

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