そして父になるのレビュー・感想・評価
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静かに始まり静かに終わる
昔話題になった映画。
地上波を録画していたものを、時間ができたのでやっと見た。
感想としては淡々とした日本映画、の印象。
俳優陣の演技は引き込ませるほど良かったが
淡々として取り違えという取ってつけたような設定が
つまらなかった。
これもまたレンタル落ちDVD200円。 赤ちゃん取り違えの悲劇。実...
これもまたレンタル落ちDVD200円。
赤ちゃん取り違えの悲劇。実際にたくさんあったというのが恐ろしい。気づかぬままの家族もあるだろうとか。
是枝作品は配役が絶妙ですね。今回MVPは真木よう子。こわ可愛い母役最高、この頃の彼女は良かった。
結論がちょっと甘いぞ!どうせならどちらの子からも嫌われ、嫁には見捨てられ、朽ち果てていくエリート福山を見たかったぞ。
タイトルは「そしてウツになる」もしくは「そしてヤケになる」
子供が取り違えられた事への親の怒りがあまりにも淡々としていて違和感...
子供が取り違えられた事への親の怒りがあまりにも淡々としていて違和感が。一方子供も6歳であればもっと激しい戸惑いがあるはず。いろいろな意味での人間臭い感情が感じられなかった。
ケイタ君が不憫だ
自分の事しか考えてない父親に振り回されて可哀想に。明日からあっちの家に行け、もう帰ってくるな。かと思えば約束破って会いに来ちゃった。。
こういう時子供に選択権は無いのか?
最後のケイタがカメラでいっぱい自分を撮っていた事を知って泣くシーン、どれだけ自分大好きなんだよ。
結婚も出産もしたくない人はどう感じるか
『そして父になる』(2013)
劇中で昭和40年代以降は、赤ん坊の足の裏に名前を書くなどして防備して、今はほとんどないような事が説明されているが、赤ん坊取り違えによって起きた物語である。DNA鑑定のシーンが出てくるが、これは取り違えによってなされるが、他にも男女の乱交によって、誰が本当の子供かわからないところから鑑定になったりするのは、芸能人がそれをしてワイドショー沙汰になったりもした。男女の乱交問題も現代の日本社会がもっと問題視すべき点だが、この映画では、取り違えられた男の子二人は小学校入学半年前の時期らしく、それぞれの夫婦(福山雅治と尾野真千子の夫婦役と真木よう子とリリー・フランキーの夫婦役)が、どちらの子供をそれぞれが引き取るかという話になっていくだろう。6歳くらいまで大事に育ててきた思い出と、血のつながっていると言われてきたが遺伝子を引き継いだ実の子と。6歳くらいまでも育ててしまうと、簡単に取り換えなおす気にはなれない。ぶっちゃけて言えば、取り換えた後も、夫婦二組と子供二人も定期的に会うなどして、気軽に出来ないのかという考えもありそうなものだが、感情はそう簡単なものではないだろう。筆者に子供がいない現在、この気持ちは私に強くはわからないだろう。二つの家庭は、子供連れで一緒に会う。子供たちは取り違えなんて知らないし、それぞれの二人と、リリー演ずるほうは2人他にいて、一緒に遊び始める。二つの家庭のキャラクターの違いも経緯に作用するが、福山は育ての子も実の子も両方引き取ろうとする。友人の弁護士役が田中哲司。実物は仲間由紀恵と再婚して双子の父親になったばかり。この映画は現在の5年前。双方の夫婦と福山側の弁護士と病院担当者と、リリー側の弁護士もか、話し合いを持ち、どうしていくのかみていく。ただ、現在の日本人の中には、結婚もいらないし子供もいらないとする個人主義者が増えたようなイメージがあるから、この映画では、そういう場合よりも夫婦もクリアしているし、子供だって取り違いがなければクリアしていた段階の人達だった。子供を交換して様子をみるが、福山側は都会のエリートの生活。リリー側はかなり田舎の個人商店、育て上げられてきた雰囲気がまるで違う感じなのだ。ただ、6歳頃の子供なら、だんだん新たな環境に適応していくような気もする。でも何か大変な異文化体験な気もする。リリー側は放任的だが、福山側は習い事などもさせていて、気持ちが複雑かも知れない。リリー側は食事も豪快だが、福山は、実の子に箸の持ち方から教えようとする。だが子供は別に拒否もせず、教わる。適応、再適応は子供の年齢にもよるだろう。この作品が6歳頃に子供を設定したのは、年齢によっても、家族の考え方によっても、経過が違ってくるだろう。電車での母と子の陰影とか、福山が「壊れたヒーターも直してもらおうか」というセリフなども、なにか思わせる。福山役のエリートサラリーマンのキャラと、リリーのそれとの違いが考えさせる。福山役が二人の子供を引き取ろうとするところでいざこざが生じる。リリーのセリフ、「負けたことのない奴は人の気持ちがわからないんだな」。この映画は福山役のようなエリートサラリーマンがどうこの事件によって変化していくかというのもあるのか。そして、裁判の現場になる。取り違えたと思われる看護師も出廷していたが、そこで看護師が幸福そうな一流企業の赤ちゃんに嫉妬して、
わざと取り換えたという。私には書ききれないが、時効の問題や、それぞれの取り違えられた人達がどう考えるかなど細かい。考えさせられる。福山役の実家も出てきて、父親役の夏八木勲が存在感を出しているが、この映画の放映年に亡くなっていたのか。父親は血で似てくるから、早く交換して相手の家族と会わなくなることをアドバイスする。そう簡単に行かないという福山役に、後で、
夏八木役の後妻役の風吹ジュンが、育てていると血以上に親密化するようなことを福山役にいう。
夏八木、風吹と、渋い演技だ。雲空のシーンが少し入ったり、細かい工夫だ。エリート人間もいろいろとそれによって言われるシーンも多い。エリート対庶民、社会的有能対非有能という部分も
是枝作品には意識されているのか。取り換えたくない気持ちを残しながらも、取り換え違えられた二人は交換されて、それぞれ血のつながったほうへ向かう。別れの辛さを言葉なしに演技で表す。
これは是枝監督のカンヌ最高賞記念に新たに監督が編集して民放テレビで放映されたのを録画しておいたのをみたものである。本当にその後はそれぞれ会わないほうが良いのかどうかは私にはなんとも言えない。それぞれの父親、母親が、友情のようなものも感じさせていたりした。個性はあるものの、誰もが悪人ではなかった。映画の宣伝でもみられた、双方の家族全員での記念写真のシーンになった。実の子がやってきた段階も、これまでの躾の違いから親子とも大変かも知れないが、それぞれの躾をはじめる。福山役が風吹役の義母と電話で会話するシーンも泣かせる。福山側に戻った子供が元のリリー家にいってしまうのだが、福山役が連れ戻す。寝ている子の前で夫が妻に、昔同じことをしたんだと語るシーンは深いものを感じるシーンだ。福山役の男は社会的にはエリートだが、基本的に不器用なのに、器用なリリーの家で育った息子がだんだん親子に慣れていくシーンはかなり泣ける。それからも複雑でデリケートな親たちの心情が映される。その後も思い出すことでの泣かせるシーンなど、連続する。そしてまだ複雑な関係性が描かれる。もう涙が止まらなくなる。そして、別に会ってはいけないということもなかった。不器用なほうと器用なほうと、それぞれ補完し合っているようにも思えた。育ての親というテーマもあるが、それでも結婚も出産も子育てもしたくないという人がいるという側面を間接的に垣間見させる。
父親になるということを自覚させる
そして父となる、は子供を取り違えるというショッキングなことがテーマですが、そこに焦点があるわけではなく、あくまで福山雅治の演じる父親が、父親として自覚するまでの成長物語の側面が強い。取り違えの話はあくまで背景としてしか意味はない。そこに対しての社会的なメッセージなどは全くない。病院との裁判もほぼ描かれないし、加害者との話も多くはない。加害者とのエピソードと、母と子との絆を主人公に印象付ける役割でしかなく、批判的ではない。
子供が生まれたからといって、男は自動的に父親になれるわけではない。子供にとってかけがえのない存在であると自覚すること、子供との時間をいかに大事にしたかによって、それは徐々に父親らしくなっていくのだ。
主人公の父親は血縁という、母親は血縁ではないという。
何をして父親というかは正解はない。
しかし、自分がどういう父親であろうとするかは各個人で答えを持っているべきだ。
子供にとって父親は1人しかいないのだから。
家族になってゆく
2度目の鑑賞
正解のない父親の姿
替えのきかない父親という役割
それぞれの父親があって
それがどんなでも子供にとっては
たった1人の父親
大人だって気づかないことがある
大人だって間違えることがある
それでも1番に、沢山の愛を、子供に注ぐ
家族みんなで家族になっていく
時が父親にはしてくれない
みんなで家族を考え、家族になる
何度見ても泣いてしまうと思う
心にしっかり入ってきます
ぜひ万引き家族も劇場でみたい
普遍的なテーマ
やるせなさや息苦しさを沢山感じることを想像していたが、そんな事はなかった。意外とさわやか。
父とは何か、家族とは何か。
子供を愛し、育てるとはどういうことか。
子供の取り違いという今では馴染みがない事件を発端にはしているが、問いかけているテーマは人の親なら誰にでも当てはまる普遍的なもの。
役者陣の演技がとても素晴らしく、ずっと二つの家族の行く末を見ていたい、見届けたいと感じさせてくれる映画だった。
是枝監督の映画は大好きだ。
万引き家族、観に行こう。
おうち-95
「父」になった。
上流階級の子供と庶民的な家庭の子供が、生まれたときに取り違われて育った話。
視点が上流階級側というのが面白い。
是枝監督は、むしろ庶民的な暮らしを描いてきたと思ってたので意外。
都会で必死こいて働いてる身としては、福山さんにもリリー・フランキーさんにも同情できる部分があって、その心の痛みが伝わりました。
6歳くらいの子供を持つパパってちょうど仕事も任される身になったりして、家庭を犠牲にしなきゃいけない部分もあるし、
でも家族と過ごす時間が一番だっていうのはすごくわかるし。
私の父も仕事人間なので、海外赴任、単身赴任、出張、毎日残業…で、父親と夜ご飯を一緒に食べた記憶があまりないくらいだけど、一家の大黒柱として働いてくれて、遠目から暖かく見守ってくれてたから自信持って「愛されてた」って言えます。
斉木家のほうが幸せそうに映るけど、決して野々宮家も不幸ではないと思います。
どちらも幸せな家族。
子供取り違え問題は、ちょっと違うけど『八日目の蟬』だったり、ポップには『塔の上のラプンツェル』だったり、結構映画では観るテーマだったりしますが、現実味を持って悩ませられるのはこの作品が随一かも。
是枝作品は肌に合うみたいなので、これからも追っかけたいと思います。
正解が無いことが正解なのかも?
"土曜プレミアム" で2回目の鑑賞(特別編集版)。
ノベライズは未読です。
誰にでも訪れる人生の岐路における選択の場面で下さなければいけない答えには、正解なんてものは端から存在しない。
もしも決断して選んだ道が間違った方向へ導くルートだったとしても、また考え直して新たに選択し直せばそれでいい。
節目節目で考えて、考え抜いた末に選択し決断することが、人間の行動としての正解なのかもしれないと思いました。
血の繋がりか過ごした時間か。究極の二者択一を突きつけられた良多(福山雅治)は苦悩の末に後者を選択しました。
その選択も、あくまでも良多が自分なりに考えて下した決断でしかなく、決して正解などではないのかもしれない。
それからの親子の様子を描かなかった辺りに、是枝監督自身そのことを伝えたかったのではないかなと思いました。
※修正(2023/09/06)
テレビで再見
独身の時にリアルタイム(映画館)で見た。子供が出来てから見ると思うところが大分違う。どうしても我が身に置き換えてしまう。子供のことを考えると、涙が止まらない。これから登場人物たちは、新しい家族の形を築いていくのかな。それぞれの子供にとって、両方の両親が大切な存在になるといいな。
しかし現実的にこんなのってあり??設定がリアルじゃないのに、そこから始まるドラマがリアルすぎる。子役。題名の意味。是枝さんは本当にすごい。
「家族」に対する解答の1つ
家族とは生物学的な血の繋がりなのか、或いは人生経験における共に過ごした時間から生ずる絆なのか... 是枝監督が『万引き家族』でも世界に問うた「家族とは何か」を主題とする作品。
と、同時に「幸福とは何か」を問題提起している。幸福とは「金銭的裕福さ」と一意的に対応するものなのだろうか?我々が身を置くのは資本主義社会であるが、子供にとってその即物的でユートピア的な思考は、子供の想像力や感性を頭打ちしてしまう檻となってしまうのではないだろうか?確かに幸福は様々な形があっても良いのだろう。しかし、大人になるにつれてますます理性の束縛を受けるこの日本の社会において、子供の溌剌さを抑制するというのは、彼らの自由を奪い、退屈さの監獄に閉じ込めることを意味する。
社会的に自立している、所謂「ちゃんとしている」ことが全てではない。ある程度の社会ズレはしていないに越した事はないが、子供には、たくさんの世界を見せる必要がある。高級マンションの一室でピアノを練習しているだけでは得ることができない、地域との密接な交流や、両親の職能をその目に焼き付け、尊ぶといった、幅広い人生経験が子供にとっては必要不可欠だと考える。
そういう意味で、家族が「人生経験や愛情を教える先生・仲間」であるとするならば、血の繋がりは、もはや家族の必要条件ではないのだろう。
という是枝監督の解答を与えた優等生的作品。
この是枝監督の「家族とは何か」についての論考は『万引き家族』でより深化、複雑化する。
自身に起これば大混乱
福山雅治の混乱は自然なもので、リリー・フランキーの方が「あんな達観できる人いるんだ?」と不思議に思えた。
不幸であってはならない出来事の上に成り立つドラマではあるが、福山雅治が父親に“成れていなかった”部分を抽出して見てしまった。
他者に起こる出来事として感動できるが、我が身に起こったらと思うと、ドラマだな…と思ってしまう。
血の繋がりって?
血縁って? 夫婦も元々は他人 時間を経て家族になって行く その過程に子供が生まれて 家族が構成されて たまたま そこ子が他人の子供だっただけ 変わらぬ愛情を注げば 第三者はなんと言おうと 立派な家族だ
中立でみれる
赤ちゃん入れ替えによって二つの家族に起こった葛藤。エリートと庶民、都会と田舎、タイプが正反対の双方の父親と、入れ替わった子供。双方が極端なので、どちらの立場にも共感と違和感を覚えるため、中立の立場で観ることが出来る。父とは何か、親とは何か、家族とは何かを考えさせられる。
過酷な現実
色々考えさせられた。親子供関係なくこれが現実だと知らされたらどんな心境になるのか。本作はとても感動的であったが、そういう面ではとても恐ろしい。ヒューマンドラマゆえそれは当たり前だが、人物を一人一人丁寧に描いており、感情移入しやすい。それぞれの立場になって考えることができるため、よりこちらも胸が締め付けられる思いになるわけだ。だからこそやや自分勝手な考えだった福山演じる父親の最後の台詞、「出来損ないだけど、パパだったんだよ」が響くのだろう。
産みの親、育ての親…この問題は本当に難しいだろう。私にはまだ子供がいないため、もしかしたら本作の真意は分かっていないかもしれない。私に子供が生まれ、親としての自覚が現れた頃にもう一度鑑賞するとそれが分かってくるだろう。単なるいい映画ではなくて。
そして父になれたか
6年育てた子供は別の家の子でした。
是枝監督初経験。
一人一人の心情をしっかり描いており、評判に違わぬ良作。価値観は人によって家庭によって異なり、それぞれ良かれと思った行動をしているのだけれど、すれ違いが続いていく。
父親も母親も子供もいたたまれなくて、見ているのが苦しかった。
はっきりとしたラストは描いていないので、それが苦手な人には向かないかも。親との関係、子との関係、自分を司るアイデンティティ、登場人物がそれぞれ持論を述べていき、視聴者自身も見つめ直すこととなる。私は人間は育ちだと思うけれど、養子を育て言う事を聞かなかったら、それを血のせいにしてしまうかも。
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