秒速5センチメートルのレビュー・感想・評価
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青春の誰でもあるあるが良く出てていい!3話あるけど2話目がお勧め!
久し振りにこの映画を観ました。すっかり忘れてたけど、やっぱり好きだなあと思って観てたら、最後になって、えっ?!ってなった。
そうだった。前もここでえっ?!ってなって終わったんだった。(笑)
2話目の話が好き!何か青春の思いってこんなだよね。お互いすごく好きなのに言い出せなかったりずっと思ってたり。はっきり伝えないからすれ違ってしまって終わってしまったり。本当は両想いなのに…。
ラスト、電車が過ぎたら彼女が居てほしかったなあ。彼女は気付かなかったのか?私なら振り向くなあ、絶対。
山崎まさよしの曲がぴったりだった。監督は10年前に流行ったこの曲を山崎まさよしに頼んで使わせて貰ったとか。
曲から着想を得て物語を紡いだとしか思えない程のシンクロ率ですごく効いていた。
とても切なくてきれいな小品です。
題名のつけ方が秀逸。
これだけで、観てみようと思います。
初恋の甘酸っぱさ、片思いの切なさを存分に追体験できました。
20世紀は、行き違いもすれ違いもたくさんあって、常時接続の今では味わえない趣があります。
私は、子どもの頃より、大人になってからの方が楽しいです。
思春期の必死だった遠野君、素敵な大人になって欲しいな。
声要らないかも🌀🌀
これ小説あるよね?小説を読むでいいと思う。
映像が凄く繊細で綺麗なのに何故か語りに依存しているせいですごく頓珍漢。それなのに語りが凄く下手。プロの声優ではなく俳優や女優、新人を使うアニメーション映画はいっぱいあるし肯定派ではあるけどあまりにも聞き取りづらいし、語りに依存してる癖に語りでぶち壊される為あまりにもシラケる。
話そのものはそんなに悪くない…とは思う。在り来りだけど。新海誠、本当に刺さらないんだよなぁ〜…。
初期のころの作品だがおすすめ。
今年140本目(合計1,232本目/今月(2024年4月度)14本目)。
(前の作品 「フォロウィング」→この作品「秒速5センチメートル」→次の作品「流転の地球 太陽系脱出計画」)
古い作品の復刻上映があったので見てきました。
今でこそ日本を代表する有名な監督さんですが、当時(07年当時)はそうではなかったのか、本作品も60分ほどと短いため、映画の趣旨がよくわからず終わってしまうところがあります(少なくともすべての伏線は回収できていない。もちろん、映画の趣旨的に自分で考えてね、というものはありましょうが、60分ほどの作品ではやはり限界が来る)。
ただ、過去にこういった日本のアニメ作品があったこと、そして今でもまだまだ放映されている現在の最新作の有名作品ほかが放映されている同監督さんの初期のころの作品がどうったのか、という点について触れられた点はとても大きかったところです。
採点上、確かに60分ほどでわかりにくいなと思ったところはあったものの、現在ではネットフリックスほかでVODでも(課金すれば)見られるようで、あれもこれも書き始めるとネタバレどころの話ではありませんので、特に何も書かずフルスコア扱いにしています(かつ、法律上も怪しい描写が見当たらない)。
人間交差点
「今振り返れば、その人はきっと振り返ると強く感じていた」
「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の3編からなる新海誠監督の劇場公開3作目。題意は「桜の花びらが舞い落ちる速度」を意味する。個人的には新海誠作品の中で2番目に好きな作品である。
山崎まさよし「One more time, One more chance」の印象が強い本作だが、全体を俯瞰しても美しい詩篇と言っていい。スマートフォンのない時代、時刻表と路線図を頼りに離れ離れになった幼馴染に会いに行く不便さが物語の美しさを惹き立たせている。
同時に、悔しくもある。この頃の新海監督は坂の上の雲を目指して駆け上がっていた。資金や環境の制約もあったことだろう。しかしその不便さがこれだけの作品を作り上げたし、同時に作りたいものを作れていたから、風景の艶というものが出せたのではないかと思う。
「君の名は」(2016)も良かったがこの辺りからどこか物足りなさを覚えるようになった。登場人物から肌艶が失われ、世間受けを狙っているような描写が多くなってきたように感じる。公開されれば観るには観るが、本作や「言の葉の庭」(2013)で味わった五臓六腑に染み渡る切なさが今ひとつ足りていない。一度観たらそれでいいやとなってしまう自分が悲しい。
僕が東京を好きになったのは新海監督の描写によるところが大きい。またあのみずみずしい東京の風景をスクリーンで見せて欲しい。そんな寂しさを、星が落ちそうな夜だから偽れない。
エピローグをプロローグに
10年以上ぶり、劇場では初鑑賞。
第1話と第2話における初恋の描写は、異常なほどに当時を思い起こさせるものがある。
『桜花抄』での諸々の設定が絶妙。
物理的な距離、金銭的な負担、日常的な行動範囲なとが有機的に繋がり、説明を省いても色々と伝わる。
あの時代は世界が狭く、その中でずっと一緒にいられると勘違いしてしまう。
逆に、そこから外れた瞬間に手が届かないように感じるのもそのためだろう。
『コスモナウト』の花苗は一番好きなキャラ。
純真で、真っすぐで、でも相手を慮ってしまう優しさや年相応の臆病さもあって、率直に眩しい。
飲み物ひとつにも、「どれを選べばかわいいと思ってもらえるか」なんて悩んでるんだろう。
最後の『秒速5センチメートル』は、踏切に本当に明里がいたかも含めて空白が多い。
しかし、最後の表情で貴樹が初恋に区切りをつけられたのかな、と感じさせる演出が上手い。
きっかけなんて、案外大きくもなければ具体的でもなかったりするんですよね。
明里と離れてからの貴樹は、その後の人生を本編を終えたエピローグのように捉えていたように思う。
それをプロローグと捉え直して一歩を踏み出すラストが、切ないながら爽やか。
淡い色彩や明滅する照明、揺れる列車の連結部、雲、鳥、蛇口など、心情の投影は素晴らしいのひと言。
物足りない部分は、清家雪子版のコミカライズが秀逸なので、帰ったら読み返したいと思う。
すでにフォトリアリズム的表現が完成の域に達していることに驚いてしまう一作
2007年公開の本作ですが、ようやく鑑賞の機会を得ました。後年、『君の名は。』(2016)以降の諸作品でその映像美を広く知らしめることになる新海誠監督ですが、すでに本作でその描写力は完成の域に達しているようでした。
事物の物理的な動きや質感を緻密に捉え、様々な光学的な現象を盛り込んだ上で監督が描く世界は、写実的である一方で何らかの感情を喚起しないではいられないような情感がこもっていて、明らかにフォトリアリズム的ではあるんだけど、さらに新たな地平を拓いたかのようです。
作品全体は約70分ほど短く、さらに3つの短編から成り立っているため、映像に目を奪われているとあっという間に観終わってしまいます。それぞれの挿話に登場する、貴樹という主人公の成長物語という側面もあるんですが、一方で作中では彼が同一人物であるとは(確か)明言していなかったため、それぞれを別の物語として観賞する、あるいは平行世界的な世界観と理解して観賞することも可能です。
空や水など、後年の新開作品の代名詞的な要素はすでに本作で重要な鍵として登場しているので、これらの要素をどのように扱っているのかを探る、という現在ならではの視点で作品を鑑賞することも可能です。観終わった後は山崎まさよしの歌声が耳から離れなくなることうけあい!
新海誠監督が一杯詰まっている
初めて観ましたが面白かった。あかりの言葉「ねえ知ってる?」で始まる冒頭のシーンで魅了されてしまった。小説読んでPrime Videoでもう一回観た。2007年の映画だけど、既に後の名作の原型があって、今作では最後に二人は会えなかったけど「君の名は」では会えた。短いけど、細部まで心配りされた映像は、監督の魅了が一杯の映画だった。
卓越した思春期の描写
自宅TVで鑑賞した事があったが、映画館で再上映していると知り時間潰しにチケット購入。
スクリーンで観ると映像も音楽も世界観に入り込め、想像以上に良かった。
中年の今となっては正直観ていて恥ずかしいような初恋のストーリーだが、あの10代の頃の恋心とか冒険心、切なさ、、新海誠はゾワっとするような思春期の感傷を描写するのが本当に上手い。多感な時期に見えている世界は、作品に描写されているとおりもっと美しかったのかもしれない。
ラストで過去に囚われながらも、少し微笑んでるように見える主人公には新しい一歩を連想させられて未来を感じて良かった。
3話構成。全体で1時間だから一話20分?3話は短く感じたけども。 ...
3話構成。全体で1時間だから一話20分?3話は短く感じたけども。
出てくるのは遠野貴樹と篠原明里、澄田花苗の三人だけ。エンドロールでもわかるようにスタッフが非常に少なくて、低予算で作られてると想像出来るが、その割には、映像は美しくストーリーも良いのでこの映画が高く評価されているのはよく分かる。
公開当時に鑑賞していたら高評価すると思うけど、今頃観た私からすると、やっぱりもう古い映像だと思ったので星3くらい。散っている桜の描き方が不自然に感じたし、全体的にちょっと古い。最新技術でフルリメイクできたらなぁ。
1話 桜花抄
遠野貴樹と篠原明里は同じ小学校に転校してきた。お互いに病弱で図書館で過ごすことも多かった。
やがて篠原明里は小学校卒業とともに、栃木へと引っ越しが決まる。二人は離れ離れになるが、篠原明里が手紙を送るなどして関係性は続いていた。
やがて遠野貴樹も鹿児島へ引っ越しが決まる。更に二人は離れていく。
引っ越し前に遠野貴樹は篠原明里に会うべく電車で栃木へと向かう。しかし、雪の影響でなかなか進まない。
ようやく駅に着くとそこには篠原明里がいて二人は再会する。
2話 コスモナウト
遠野貴樹は鹿児島の種子島にいる。高校時代の話なのかな?
遠野貴樹に片思いの澄田花苗。澄田花苗は告白をしようとするが遠野貴樹に気持ちがないことを悟り告白をせずに諦める。
ロケットが打ち上がる。
3話 秒速5センチメートル
社会人になった遠野貴樹。リモートワークしている。しかし、退職してしまう。街を歩いていると篠原明里に似た女性と踏切ですれ違う。お互いに振り返るが電車が走り抜けていく。電車が通り過ぎたあと、遠野貴樹の視線の先に女性はいなかった。
携帯電話って便利だよな
「美しい」
美しい。読み方は「うつくしい」
「偶然会う」「偶然合わない」
「運命的な出会い」「運悪く出会わなかった」
それはもしかしたら数ミリしか違わないのかも知れない
色んな「はやさ」があるんだなあ
やまちゃきまちゃあきが威風堂々としておりました
幼稚園の時は女の先生かな
小学生は片思い、写真を見て心臓が動悸を打つ
倉木麻衣、宇多田ヒカル、ラジオで流れている
世界から[犠牲]が無くなりますように。
これまたやるでしょ😼前の作品を、センスあるよね👍ラピュタ何回もやってた、火垂るの墓、何回もやってた、カリオストロ、何回もやってた、レオン、何回もやってた、ナウシカもセブンも。やっぱ配給する人扇子あるわ👏
桜花賞って馬やろ?
追伸🔋友人はきっと「うんこ」という言葉を使わないような人間なんだと思います、友人だから似た者同士って思う人が大半だと思いますが、僕から言わせれば長く生きた経験から言うと、実は友人と結婚相手は逆に自分と違うタイプの人間を無意識に選んでいるんです、それをフィーリングと呼んでいますが、人間性とフィーリングは別物なんです、僕も知人とは感性が合わないし、嫁は僕が興味あるもの殆どに興味がありません😀
山崎まさよしの歌が本当に良い
気が向いたらまた見るかも。よかった。恋したくなるね!まじつらい!山崎まさよしの歌が凄く良いです。ラブラブな話じゃないです。おすすめです。13.8.12
時間と距離の物語り
「君の名は。」→「言の葉の庭」→「秒速5センチメートル」と新海誠監督作を過去へ。
もうこの作品の頃から背景映像の美しさは確立されていたんだなと。そしてやはり空、光、電車、これは新海監督の演出必須アイテムなのだろう。
物語は、主人公の初恋、その主人公(高校時代)に恋する高校生、大人になった主人公を3部作で描く。
速さ=距離÷時間。秒速5センチメートルというタイトルから、速さをテーマにしていることはわかるが、速さで捉えるのではなくて、距離と時間に分解してみたくなる。
遠く離れていてもすぐ近くに心を感じる初恋の人に電車で会いに行く中学生。中学生の彼には出会うまでの距離は遠く、時間は恐ろしく長く感じる。
毎日会えて直ぐ近くにいる好きな人。時間も距離も近いはずなのに、心の距離はものすごく遠く感じる女子高校生。
時間と距離が離れてもずっと初恋の人を忘れられない大人になった主人公。近くにいた恋人には「近づけなかった」とメールで告げられる。物理的には近くても心理的には大きな距離があった2人。
物語はいい大人が観るとちょっとナイーブでセンチメンタルで感情移入はしづらいが、自分もこんな想いをしたときもあったなあ、と懐かしくなる。
なんとはなしに観ていると、絶妙なタイミングで「One more time, One more chance」が流れてくるので、感情を揺さぶられる。
この映画を作った当時の監督はまだ若く、作品自体にも若さというか、青臭さを感じるのだが、その後の作品で脚本や映像や音楽に磨きがかかっていく原点を感じられるような作品。
(DVDで鑑賞。2024年春に桜前線上映するらしい。)
短い時間なところもありがたい
新海誠のエモエモ映画
引っ越しで離れ離れになりながらも、お互いを思い合う男女の出会いと別れを描いた映画 正直キャラクターはあまり魅力的ではないけど、人物の細かな心理描写が素晴らしく一気に引き込まれ感情移入させられた
また、背景描写やそれを使った大胆なカメラワークがおしゃれで思わずうっとりした 何より、あったかもしれない人生の可能性の残酷さみたいなものが描かれていて、胸が締め付けられると同時に、どこかスッとした清々しい綺麗な気持ちになった
何回も見て初見では拾えなかった演出や感情を拾いたいようないい映画
環境ビデオ
とにかく背景、特に光の表現が美しい。
得点はそこ。
内容は、まあ、この手の感じのものは
小説ではありがちで、むしろいい雰囲気と
言われるものの系統ではある。
実写映画でもうまく作ってあれば、
日常を切り取って切なくて眩しい青春の時間を描いた名作。
になりうるかもしれない。
しかし(個人的な期待でもあるが)アニメなのだ。
現実では描くのが難しかったり、
アニメだからこそ表せるものがあって欲しいと
勝手に期待してしまうために、
正直こんな、顔だけ良くて過去の思い出に縋って
ウジくじしてる厨二病の男の話なんて
膨大に手間暇かけたアニメで作らなくても・・・。
と感じてしまった。
最も野性味に溢れていた頃
「秒速」
「新海監督と言えば、君の名は。よりも秒速」
「でもその映画、秒速の人のやつでしょ…」
「秒速最高だろ」
「秒速みたいなの、また見たい」
「二度と見たくない」
まるで都市伝説ように、時が経っても畏怖と尊敬の間を飛ぶ「秒速5センチメートル」
まあデートムービーだと思って、映画館デートでこれ見たら呪詛も吐きたくなるだろう。
おうちデートで見ることすらおすすめできない、
「想いは想えど一方通行。執着して想い続けても、いいことなんて何もなかったね。運命の人なんて、近くにいた人ってだけだからね。でもそれはそれで生きる力を与えてくれるんだよね」(それが僕達の生きるリアルだよね)
という散文・純文学的な内容をストレートに打ち出した作品。
これを「一周回ってエンタメ」と言うのはかなりこじれた人たちの領域で、少なくともこれから世に出て行く監督が、注目のデビュー期に作るべきものではない。大衆作で十分すぎるほどのファンを獲得した後に、老境となってそのファンから信者を選別するときに作るものだ。
だが、テーマも泣ける恋愛映画のガワに見えるのも、未熟なクリエイターほどやりがちな「逆張り」や「意図的な露悪趣味」ですらなく、「作りたいものを思いきり作ったら、こうなっただけ」と思わせるから本物。
ただ、時代の文脈を語れば、本作公開は2007年だが、0年代前半の主人公が若者男性のエンタメ小説には、本作のような風味があふれていた。もし新海監督が2000年~2005年ぐらいの青春小説を読み漁っていたのなら、「それらの映画化」として問題作の意識や疑惑すらなく完走しただろう。むしろ当時最先端のトレンドに乗っていたつもりだったかもしれない。だが監督、映画と小説は当時にして客層が全然ちがうのだ。
まして結果としてデートムービーのオーラを纏ってしまったなら、ほんのり鬱になれる純文学をカップルで読み続けるようなやばい体験の強制となる。阿鼻叫喚も仕方がないだろう。
前置きが長くなったが、自分は好きである。
後の作品に比べて「必然性はないけど、こういうこともあると思うんだ。行間読んでよ」という若々しい粗さはマイナスだが、天気の子以降のような「とりあえず勝ちパターン」を意識しない豪腕は監督の作家性にあふれている。全編で60分程度なら、ダレずに見れられてむしろこれでいい。
---1話---
美しき東京に対して、地方(栃木。両毛線)をどこまでも絶望の闇の土地として描くのが素晴しい。攻めてる。「すずめの」では地方がどこもかしこも現実の10倍程度キラッキラに描かれているが、その100倍は「監督の、まごころの描写」でいい。
岩舟駅の駅員が地方らしからぬ無責任すぎる雑さ、「そうはならんやろ」と帰路途中で一晩過ごしたという展開も気持ち悪くて突っ込みどころ満載だが、いい。中学1年生男子・タカキが中学1年生女子・アカリを求める気持ちは、それぐらい気持ち悪く馬鹿らしく突き抜けていてほしいような願いがある。
---2話---
親の転勤で鹿児島の離島、種子島っぽい所に行った高校生の貴樹だが、心ここにあらず。というよりも「必ずアカリがいる東京(関東)に戻って再会する」という、ほの暗い情熱に憑かれている。同級生の女子カナエは、島の男子とは明らかに違うと感じるタカキに惚れているが、その理由が上述の通りなので叶うわけもない。タカキはアカリ以外は眼中にないゆえの天然ジゴロぷりを発揮して、知らずのうちにカナエを追い詰めていく。すごい話だ。
カナエがタカキに恋する理由は「達観していて優しくて頑張る、ひと味違う男子だから」なのだが、つまりそれは「タカキがアカリに惚れているから」なので、最初から叶う要素がない袋小路なのだ。
終盤はカナエ自身もそういうことだと気づき、ふっきれる。ここで終われば多少は救いがあるのだが…
---3話---
東京で、社会人・SEとなっているタカキ。それも、モーレツに働き続けて糸が切れ、世に倦んで失職した後。さらにアカリではない女性と3年間付き合っていたらしく、その女性から「どれだけ一緒にいても、心理的な距離が縮まらない」と別れを告げられている。
2話において「大学は東京に行く」と言っていたので、高校卒業後は上京し進学したのだろうが、学生時代に何があったのかは描かれない。
さらにアカリの方は、タカキではない男性と婚約して実家は祝福ムード、幸せの絶頂。
そして桜舞う頃に、二人は思い出の踏切ですれ違う。
タカキ曰く「今、振り向けば、きっとあの人も振り返ると、強く感じた」
足を止めるタカキとアカリ。二人の間を電車が二本すれ違い……間に何もなくなったとき、アカリはいなかった。
タカキは清々しい顔で、アカリとは逆方向に歩き出してエンド。
---つまり---
アカリ以外、誰も幸せになっていないのである。
タカキの最後の笑顔は「吹っ切れた笑顔」だが、その「吹っ切れた」というのはこの場合「世の中こういうものだと納得したことで落ち着きを得た」笑顔であり、「幸せには手が届かないと諦めたことで、ほんのり幸せに近づいた」程度。マイナスからゼロ付近に行ったぐらいの救済。アカリの、思い人と結ばれるという順風満帆な幸せとは雲泥の差がある。
もちろん、タカキはアカリを想って中学のころからずっと頑張り続け、自らの能力を高め、一端の大人になったという側面は第2話から推測できる。その側面は「アカリが、タカキを幸せにした」とも言える……はずなのだが、現時点では「世に倦んで辞職。フリーランスとしてぼんやりとした不安へ」という形なので、すんなりそうとは言えない。
種子島のカナエについては、タカキと自身のことを想って自ら身を引いたわけだが、そのタカキは東京でアカリ以外の女性と付き合っているのだ。じゃあカナエと付き合っとこうよと、フィクションのお約束的に感情をかき立てるが、現実はまあそんなものである。
描かれてはいないが、恐らくタカキは大学生の間にアカリに振られているのだろう。あそこまでアカリのために自己鍛錬できる人間が、メールでも繋がっていて、告白していないとは思えない。
付き合う前に振られたのか、付き合ってから振られたのかは定かではない。タカキの情念なら付き合った後にヘマをすることは無いと思えるので、上京したときにはアカリにすでに彼氏がいたのではないか。
「手紙の中のアカリは、なぜかひとりぼっちに思えた」と1話であるように、アカリは小学生の頃から孤独だ。駅舎のエピソードも、友人がいればあそこまでタカキを待ち続けることは無いだろう。親とも上手く行っていないのかもしれない(結婚式の祝福をしていたのは、親ではなく叔母たちだった)。心に隙間を抱えていて、優しくしてくれる男性に強く依存する女性なのだ。種子島に行った元カレよりも、側で優しくしてくれる相手に心を占められることは、人間としては「当然の選択」だ。
結果、タカキは状況的にアカリを諦めざるを得なくなり、SEとして入った会社で同僚と付き合い始めた。
しかし「この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて……ほとんど脅迫的とも思えるその想いが、どこから湧いてくるのかもわからずに」猛烈に頑張ってしまっていたというのは、「アカリに会うために頑張っていた」2話の精神性の悪化だ。
難しいことを言わずとも「いい男になって、アカリを今の彼氏から自分に振り向かせたい」のだ。リビドーであり、防衛機制の昇華であり、男性にはよくあることである。
そして、その糸が切れてしまった。
頑張って頑張って心をすり減らしても、アカリは振り向かないと本能で気付いてしまったからだ。
自分の感じていた「運命の人」は、アカリが小学中学での心の隙間を埋めるための状況的選択でしかなかったのだ。恐らく「アカリが、今の彼を選んだ理由と同じ」なのである。つまり自分がアカリに感じていた運命を、今のアカリの彼氏も感じているだろうし、アカリもタカキに注いだ愛情と同質のものを今の彼氏に注いでいるだろう。これはもう、先着1名の椅子に座るのが後先かという問題でしかなくて、他の要素で覆ることはない。「いい男になって振り向かせようと頑張っても無駄なのだ」ということに気付いてしまった。
踏切でアカリはいったん足を止めている。
しかし、電車が去った後にその姿はない。
決断的に「タカキとはもう話さない」ことを決めて、去ったのだ。
それが今のアカリの、自身が掴んだ幸せを守る手段だからだ。
となると、冒頭の「今、振り向けば、きっとあの人も振り返ると、強く感じた」もタカキの独り相撲であった、つまりタカキの執着というか願望でしかなかったということが判明する。
だから、タカキの最後の笑みは「やっぱり、自分の独り相撲だったか」だ。
少年少女の頃、タカキとアカリは間違いなく運命の人だった。
だが、運命の人なんて「側にいた人」と言い換えてもいいほど、「簡単に生まれるものでしかない」……
そんなことにも気付かないで、少なくとも二人の女性を傷つけて、俺って馬鹿だなぁ……
長い長い少年時代が終わり、タカキは大人になって桜舞う東京に消えていく――
国語の入試問題で出てきそうなぐらいの純文学だ。
よほど捻くれた人しかエンタメとして受け取れないだろう。
私はこのエンタメ、大好きです。
ただ、描き方がもろもろ雑だったり、タイトルやロケットがふんわりモチーフでしかなかったり、かっ飛ばして欲しくないところをかっ飛ばしたり惜しく感じるので、好きな上で星4。
タカキの声演はハマリ役で、その良さで1.2倍ぐらいの好印象になっていると感じる。新海映画は、声優の選択ミスというのがまず無くて、安心して見られる。本人が思っている以上に、「脚本」よりも「音」に特化した才能(執着)を持っていると思う。
天気の子の結末書き換えエピソードなどは、それが悪い方向に作用してしまったようだが。
本作ラスト前のミュービックビデオ風クライマックスは、結末から振り返るとそれはまあ辛い、心に来る内容だ。
映画は娯楽タイプだけではないと言いきれる人には、ぜひ見てほしい作品。
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