パリ20区、僕たちのクラスのレビュー・感想・評価
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臨場感すごい。
他の映画とは違う魅力を持った120分。
先生の戸惑いと笑顔、生徒たちの、真剣な瑞々しい(そしてやはり可愛い)眼差しが目に焼き付く。
というか、観る方も教師になって生徒になって、一緒にその教室にいる気になってしまう。臨場感ものすごい。素人のこどもが参加した、って…。ナチュラル感たっぷりでとてもよかった。
この生徒たちの言う意見は聞いていてなかなかおもしろい。(意見言うだけマシという感じもする)
最後の学年末のシーンは、言いたいことはわかるが、綺麗にまとめすぎてる感はあった。
生徒はそれぞれに自分でコントロールしがたい複雑な気持ちを抱えてトラブルを起こす。でも今後変わる可能性は秘めている。一方、教師はちゃんと勉強を教え、学校全体を維持していかなくちゃいけない。事あるごとに、どう対処するのか、判断する基準が難しそうだ。
こんな学校はたいへんだ
母校は学校教師を多く輩出している。
それゆえ同級会などで教職の多難を聞く機会があり、かれらのご苦労を知っている。
教員の不祥事のニュースを見ると怒りがこみあげてくる。が、同窓が苦労しているのを知っているので、相殺して、ばかな教員が教職の風評をいちじるしく下げていること──それを被る真面目な教員を気の毒に思う。
昭和時代に学生だった多くの人がそうだ(と思う)が、わたしも学校教師にいい思い出がない。
わかいころは、すべての教師に憎しみをいだいていた。
が、大人になって、教師になった同窓に話を聞いて、その苦労がわかった。わけである。獣をテイムする作業──ととらえていい。
ゆたぼんやグレタみたいなのが束になっている──と考えると、わかりやすい。
誰でもすべてにおいて正確でいることはできない。
珍獣あいてならばなおさらであろう。
(カンヌの)パルムドールとアカデミー外国語映画賞──非英語圏最高の2冠を獲得したフランス映画。
先生が、とても深く介入する教育現場。
おそらく移民の多い特殊な地域・環境であってフランスの学校教育はすべてこうです。──ではないと思われるが、まるで肉弾戦のごとく、先生が生徒に生身の感情をぶつけていく授業は刺激的だった。
さらに驚愕するのは学校の教員会議に、生徒代表がオブザーバー出席すること。
教師が生徒を名指ししながら格付けする会議を生徒が聴取している──って、どれだけ公平な世界なんだろうか。じっさい、マラン先生は、そこでの発言を密告されて窮地に立たされ、さらにその悶着がヒートアップして生徒を売女呼ばわりして、さらに問題化する。──すごい教育現場だった。
映画はリアルでエネルギッシュ。カメラや演出はアブデラティフケシシュのよう。まるでドキュメンタリー。すごく引き込まれた。
日本の教育現場とはくらべようもないが二部や夜間──山田洋次の学校には近いかもしれない。これだけ親身になってぶつかってきてくれる先生だったら、生徒は育つにちがいない──と思わせるが、フランスの学校教育が良いのなら、フランス人はなんであんな嫌なやつばっかしなの──とは思う。(狭いフランス人観ではあるが・・・。)
教育の問題をひたすら問われてるような感じがした。 教室の中でほぼ完...
教育の問題をひたすら問われてるような感じがした。
教室の中でほぼ完結していてドキュメンタリー調にストーリーが進行していく。
映像の展開としては単調なのでパッとしないが
劣等生と教師との埋まらない溝の会話劇が興味深い。
映画に書かれているのは、近い未来私たちが直面することになる教育の事...
映画に書かれているのは、近い未来私たちが直面することになる教育の事実。日本人が実感しにくいのは、グローバルの浸透が教育現場にまで行き届いてないから。
救いの無い似非ドキュメンタリー
全く救いの無い似非ドキュメンタリー作品。
一見ドキュメンタリー映画の様に見せてはいるが、実際は主人公の国語の先生が歩く・喋る・憤る一歩先を、常にカメラが回り込むポジションから撮影されている。この《川口浩》状態のオンパレード。
これは作品全体にシナリオが存在しており、それに基づいて撮影されている。
観ていてもフランスの社会生活に於ける人種の問題等は、フランスの教育現場に於いて切実な問題なのだなぁ〜と、実感出来る。
だからこそ、何故似非ドキュメンタリーの手法を取っているのか?…は、さっぱりと理解出来ない。
まだそれとなく観客側にバレない撮影ならばわかるが、とにかく全編で似非ドキュメンタリーとわかる。例えば、転校生がやって来ればカメラは反対側へ…。
問題児が教室を退出させられる場面では、前と後ろからカメラが待ち構え、怪我をする女子生徒の顔をご丁寧にアップで撮影…と。終始こんな感じで映画は進んで行く。
そんな撮影や・編集では、誰も「これはドキュメンタリーなんだ…」とは普通感じ無いんじゃないかな?これではどう観ても“やらせ”だ!
内容自体もの凄く面白い。小さな波紋が、やがて大きな津波となってクラスや学校にのし掛かって来る辺り等は、上映時間の2時間以上を全く退屈させずに見せ切ってしまう。
それだけに、「どうです!僕の演出プラン?」的なしたり顔が、スクリーンの向こう側から透けて見えるのが、どうにも個人的には我慢がならなかった。
(2010年7月16日岩波ホール)
※日付けは公開年度
やるせない
やるせない不思議な雰囲気のドキュメンタリー風物語。
子どもに対して自分で目標を見つけてがんばることができるような環境をつくってやることが大人の役割だと思う。
このパリの学校はそんなポジティブな空気感がなく、淡々と毎日がすぎていく。
感慨深い映画だとは思うが、、、
フランスの教育現場の一例ををドキュメンタリーとして観る分には興味深い映画だったと素直に感じられた。しかし、観た後で「面白かった」「感動した」などと感想を挙げる映画ではかった。
生徒たちは人種や国籍、性格や家庭問題等の悩みを抱えているのは理解できるが、その鬱憤を他人を小馬鹿にして発散しているよう見受けられる。更には教師たちも、生徒の話を聞かず、ユーモアもなく、怒鳴ることでしか生徒の耳を傾けられないクソ教師と感じた。主役教師ですら、感情移入できないのだから相当である。
物語も起承転結もわかり難く、勧善懲悪や登場人物が改心するなど、日本人には好みにくい内容であった。
評価が軒並み高いのだから、賢い人が観れば、得るものがあるのだろうが、 少なくとも私は他人に勧めようとは思えない作品である。
子ども達が活き活きして素晴らしい!こんな学校見てみたい!
フランスの教育事情には全く知識が無い私であるが、そう言う事を抜きにしてこの映画は色々考える事が一杯の映画で、とっても楽しかった。
国語の担任教師とそのクラスの生徒との学校生活の描写がとても、ナチュラルだったのだ。
24人の生徒全員が、子役俳優では無かったと言うけれど、全く信じられない!!!
フランスの学校へTVクルーを派遣して撮影した様な感覚で、ドキュメンタリーでも観ている気に錯覚してしまう程に、生徒の一人一人が活き活きとリアルに描かれていた。
日本のTVでも学校ものは、多数有るし、「ごくせん」「金ハ先生」いえいえ、映画なら、山田洋次監督の「学校」と言う名作もあるし、もっと古くは「24の瞳」もある。
どれも、生徒と先生の関係性の中から、様々な家庭での生徒のドラマ事情を描いて、教育の意義や、生きる事の意味、仕事に対する意味など、様々な問題を提起してくるのが、この学園ものだ。
しかし、日本の場合は、様々な家庭事情を描いていると言っても、その殆んどは、日本人と言う単一民族の事で、人種や、民族の違い、そこから来る言語や、文化背景の違い迄を含めた、本当に日本の学園もののドラマでは絶対描く事が出来ない問題まで、深く切り込んでいるのだ!本当に奥が深い!
例えば、日本人は一般的には、他国の人々に比べ、語学習得が不得手だと良く言われ、特に話すのが苦手だと言われているが、この映画を観ると、やはりヨーロッパなどの様に、大陸続きで国が有ると異民族や、異国の人が交流出来易い環境にあると、そこから発生する、文化習慣の違いを克服し、理解し合う為には自然と話をすると言う行為が、日常生活の中で育まれ、訓練されていくし、人間としてもより幅の有る見識豊かな、人間形成が成されていく様に思われた。
ローラン・カンテ監督の作品を観るのは本作が初めてである。彼は社会派の映画監督との事であるらしいのだが、私は残念であるが、この監督の映画である「ヒューマンリソース」1999年及び「タイムアウト」2001年の両作品共に未だ観ていないのだ。
その為に、彼の他の作品と比較して、本作の出来について感想を言う事が出来ないのだが、こう言う傾向の社会派作品は個人的にはとても大好きな映画の部類に属するため、文句無く高得点を入れたくなるし、一人でも多くの人に観て欲しい作品として推薦したい言う思いに駆られたのだった。
映画の効用の1つには、異文化を映画から理解すると言う要素も大きいと思うのだが、この作品はそう言う意味でもとても有効な作品だ。
この映画は、単なる熱血教師と、問題生徒との学園生活を描いているだけでは無く、教育をしっかり受けられない子供達の問題や、移民が強制送還になってしまう問題や、フランス国内の教育の問題点も付き付ける。思春期の子供たちは、色々な問題に悩み、自己の確立と、自己の将来への展望に悩み苦しむ多感で不安定な年頃である。そこへ更に教育制度の問題点を描き出しているのに、これ程自然にそして観る者に異和感を感じさせずに、フランスの学校の日常を描き出したこのローラン・カンテ監督の手腕には脱帽する!
監督と共に脚本も書いたと言う原作者であり、教師役で出演もしたと言うフランソワ・ベゴドーと言う才能豊かな作家の存在抜きにしては、この素晴らしい作品の成立は無かった事だろう!2人の才能豊かな作家たちと、何よりも、この24の活き活きとした生徒達を演じた若者たちにエールを送りたい!
考えさせられるドキュメント映画?
特に映画らしく、BGMが流れて盛り上がったり、特殊効果があるわけでは全くない。ただ、日常の学校の風景を写し、それをそのまま放送している感じがした。それでも、何だか単調になってつまらなくなることはなかった。さまざまな人種や、各個人のバックグラウンドが全く違う教室。そんな中で起こる、さまざまな問題だったり…いろいろなことを考えさせてくれる映画であると思います。この映画は、生徒たちは本当にパリの20区に住んでいる子たちだとか…それを聞いて余計にいろいろ考えさせられました。そして、教師って大変だな…と思った。特に、この映画のようにいろいろな人種の子供たちが入り混じっていればなおのこと。そして、移民の問題など、いろいろな視点からこの映画を見ることができるので、すごく面白いと思います。
銃なき戦士に、祝福を
フランス映画復興の切り札と目されているローラン・カンテ監督が、自国のベストセラーを題材にして描く、ドキュメンタリータッチの青春映画。
本作を、「金八先生」や、「スクールウォーズ」のように熱血、かつ生徒への深い、深い愛情をもった教師と、生徒達の衝突と、熱い繋がりを描く作品と考えてはいけない。
生徒、親、同僚の教師という様々な人間関係の中で一人、孤軍奮闘している教師の姿を主観に置いて作られる物語は、さながら銃弾が乱れ飛ぶ戦場で、武器を持たずに被弾を避け続ける戦士の姿が見えてくる。
冷静に、丁寧に生徒と国語教師、フランソワのやり取りを追いかけていく。しかし、この物語は単純に毎日のありふれた会話を重ねて、何となくやり過ごしていく学園生活を郷愁を持って見つめるノスタルジックな雰囲気はない。
むしろ、日々の討論、疑問、小さな衝突を堅実に積み重ねていくことで、徐々に、かつ確実に熱を帯びていく沸騰、緊張感が画面全体を覆っていく。近年のフランス映画に顕著である、曖昧な要素から観客の想像力に委ねていく作り方とは一線と画した、明確な主張と躍動感。心が追い詰められていく最前線に突き進む戦争映画の恐怖心に似た高揚感すら滲み出す。
それでも、作り手は教育という、答えと道筋のない戦いに絶望している訳ではない。仲違いと、食い違いを容赦なく描きながらも、生徒達が時折浮かべる笑顔は、底抜けに明るく、観客も気持ちが穏やかになる。絶対的な教師と生徒間の協力関係をさり気なく否定しつつ、一瞬の信頼を信じて生徒を肯定的に描く。何かと難しい現代の教育界に対して、的確なアプローチだ。
終盤、教師と生徒が一緒にサッカーに興じる場面がある。ここに、作り手の教育への希望が垣間見えてくる。「共存」という揺れ続ける答えという名のボールを、相手を信じ、パスし、奪い、一つのゴールへ導く。たとえ、卒業までにゴールに着かなくても、いい。共に、探していくのが答えだ。
銃なき現代教師たちの迷いと戦いに、心からの応援と祝福を送りたくなる、極めて豊かな示唆と愛情に満ち溢れた物語である。
生徒たちがすばらしい
生徒たちがすばらしい。ドキュメンタリーのように自然で、それぞれの個性が光っていて、生意気で張り倒したくなる。
自分の中学時代を振り返りながら、日本の生徒の方がもっと巧妙に自分を隠して教師を欺いていたなと考えた。
そう思うと、このクラスの生徒たちは思春期を真剣に生きている素直な少年少女たちだ。
フィルムメイカーたちに敬意を払わずにはいられない
歯並びの悪い女の子のスマイルに、つい微笑んでしまう。
素人だった生徒たちの芝居が、半端なくイイ。それはきっと、撮影前におよそ7ヶ月にもわたって行われたワークショップの成果の賜物。演出スタイルは、ジョン・キャメロン・ミッチェルのソフト版。長時間かけてじっくり熟成させた職人技だ。本当にドキュメンタリーのように日常を切り取っている。美男美女なんてそうそう身近にいない我々の実生活に近いから、それがまた共感を誘うのだ。
教育っていうものが、いかにその人間のパーソナリティ形成の比重を占めるか考えさせられた。勉強とは、人と人との会話や、自分というものを文字や言葉でどう表現するか、それ以外の方法でいかに表現するのか、はたまた表現しないのか、とにかく「考える」ことに基本があるのだと思う。考えるキッカケとしての学校のあり方がどうあるべきなのか、映画を通して鋭く問われている気がする。
映画鑑賞後、この小さなフィルムメイカーたちに敬意を払わずにはいられない。
リアルに映し出す映画的映画
ドキュメンタリータッチで静かに感情を映像に浮き出してゆく演出は近年のカンヌ映画祭ではお決まりのようになってきた。
ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』からかキアロスタミの『桜桃の味』からか。
所謂完璧な芸術映画というのがあまりないというのが原因かもしれない。
ヴィスコンティやフェリーニのような完璧なまでの総合芸術としての映画がなくなってきている。
というより作れなくなってきているのだ。
しかし僕個人はこういう作品が大好きであり、こういう作品こそ根本的な映画であり、映像の内に潜む力と作家独自の表現が強く滲み出ている感がある。
話しはいたって単純であり、普遍的である。
ジャンルでいったら学園ものだが教師と生徒という関係を見事なまでに『心理』的に描いた作品だ。
あまり他に例がないタイプの作品である。
いままでの普通の映画の教師と生徒は肉体的な、つまり表明的なものによって、見えない感情を引き立たせたが今回はそうではない。
それがカンヌで受ける作品の特徴であると言ってしまえばそれまでだが、説明が少ない分だけ映像の力によって我々観客に、ありのままの『感情』を伝えるのだ。
これは容易な事ではない
映画作家として非常に至難の業である。
しかしそれを見事にしてやったこの映画は素晴らしい傑作となっている。
教師と生徒という関係だけではない、注目すべきは教育問題や人間関係にも繋がってくる。
非常に見応えがある。
現在岩波ホールでしか上映されていない。
こういう秀作が全国で公開される映画界であって欲しい。
やはりパルムドールにハズレなし!
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