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黒澤明監督の『行きる』黒澤明監督の『行きる』と洋画の『最高の人生の見つけ方、『死ぬまでにしたい10のこと』では、死期を知らされた人々が死ぬまでにどのように生きるか、という共通のことを題材としていますが、『行きる』は日本映画、『最高の人生の見つけ方』、『死ぬまでにしたい10のこと』は洋画ということで、文化、物語の展開の仕方、また技術的な違いは何だと思いますか?たとえば、『生きる』は最終的に、主人公が自分のためでなく他人のために偉業を残して死んでいき、『最高の人生の見つけ方、『死ぬまでにしたい10のこと』は自分のために何かをして死んでいきます。これって文化的な違いなどが影響しているのでしょうか?individualism と collectivismの違いなどでしょうか?物語の展開の仕方にも決定的な違いがあれば教えてください。
質問日時: 2009/10/08 19:15:48
解決日時: 2009/10/22 21:19:33
黒澤明監督の『生きる』は、何度か見た映画で黒沢作品の中では一番好きです。洋画の方では、『死ぬまでにしたい10のこと』は見ましたが、『最高の人生の見つけ方』は見ようと思ってDVDを買ったのに、まだ見ていない映画です。『最高の人生の見つけ方』を見てから回答しようかとも思いましたが、いつになるかわからないので、今の時点で私なりの考えを述べたいと思います。individualism と collectivismと書いてありますが、個人主義と集団主義(集団の中の一員)というとらえ方でよろしいでしょうか。たしかに欧米と日本では文化が違い、考え方が異なると思います。ですが、人の死に関してはさほど違いがないのではと思うのです。『死ぬまでにしたい10のこと』の方は、主人公サラ・ポーリーが医師から告げられ期間は「余命2~3ヶ月」、もはやいくばくも余裕はありません。残された期間を自分のしたいようにするためには、それなりの計画が必要だったとも言えます。それに対して黒澤明監督の『生きる』は、真面目だけが取り柄で無遅刻無欠勤の市民課長が胃がんであることを知った話です。初めは落胆し何もする気力も起きてこないが、今までの人生で何一つとしてして楽しい想い出がなかった彼は、部下の若い女の子を食事に誘ったりプレゼントしたり、自由気ままに振る舞うことで、残りの人生を過ごそうとします。しかしそれがむなしいことだと知った時、折しも市民課に寄せられた子どもの遊び場を設置するという陳情に、真剣になって取り組みます。それが自分に残された最後の課題であると思ったのでしょう。自分のためと他人のためという視点で見れば、違いはあるかもしれませんが、残された期間を自分がやりたいことをやり通すという点については、共通だと思うのです。私も「生きる」と言う映画を見て、自分も同じ境遇だったら、主役の志村さんとまったく同じ態度を取るような気がして、大変共感を覚えました。
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