劇場公開日 2008年2月9日

潜水服は蝶の夢を見る : インタビュー

2008年2月4日更新

マチュー・アマルリック インタビュー
「今回の役柄で苦労したといった実感はなかったですね」

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――左目以外動かない役柄で、カメラはあなたの左目になっています。どうやって撮影されたのですか?

「カメラがジャン=ドー(ジャン=ドミニク・ボビーの愛称)自身となることは、あらかじめ脚本にあったのですが、現場でさらにそのシーンが付け加えられました。ジャン=ドーの“頭の中にいる”ことが事前に分かっていたんです。つまり技術的に言うと、(私以外の)俳優たちはカメラのレンズに向かって演じることになったのですが、私はカメラの脇にいることもできず、要するに、視線を返すこともできない状態で彼を演じたのです。

「ミュンヘン」でも印象的だった マチュー・アマルリック
「ミュンヘン」でも印象的だった マチュー・アマルリック

私の語りのオフの声は、オフではなくジャン=ドーのオン、“内なる声”です。後から録音して映像にペーストしたのではなく、撮影と同時に録音したいと全員で感じていました。そこで、カメラマンが同時に語る私の声、つまり私の考えている内容を聞き、それに合わせてカメラを移動させて撮ったのです」

――セリフの発声で、留意された点は?

「音響のジャン=ポール・ミュゲルはフランスを代表する音響技師です。私はあたかもジャン=ドーの“頭の中”にいるかと思えるくらいの、小さいブースに敢えて入り、中からモニターを通してカメラマンがとらえた映像を見ながら、エルビス・ブレスリーやフランク・シナトラのように、マイクに口を付けて話すと、本当に優しい声と化し、“頭の中”を的確に表現した臨場感あふれる録音になりました。

ジュリアン・シュナーベル監督の仕事に携わる者は否応なしに芸術家へと変わります。監督はスタッフに、技術者である以前に人間であることを強調し、要求します。ジャン=ドーが気管切開を受けているので、呼吸を強調すると、ミュゲルはその録音素材を巧みにミキシングするなど試みたのです」

――全身が動かない役を演じる上で、どのような役作りをされたのですか?

実際に痛みを感じながらの撮影だった
実際に痛みを感じながらの撮影だった

「はい。確かに訓練を要しましたが、どう演じるかを考えることが仕事との“関わり方”であり、演じていることすら忘れてしまうので、今回の役柄で苦労したといった実感はなかったですね。実際に大変だったかは分かりにくいものです。役作りにあたって、例えば、粘土で5時間かけて特殊メイクをすることも出来ましたが、そうではなく入れ歯を特注しました。その入れ歯は口を下へ引っ張るように作られていて、意図的に痛みを伴うように作られました。だから、撮影中は終始、私はジャン=ドーが体験した“痛み”を感じることで、集中することができたのです。加えて、ジュリアンはリハーサルを一切なしに、いきなりカメラを回し始めるので、結局は恐ろしいほど長い時間、入れ歯を入れたままでいることを余儀なくされました」

――主人公の悲しい一生が描かれた脚本を初めて読んだ時、どう感じられましたか? それをビジュアル化したヤヌス・カミンスキーのカメラワークについて、完成した映画を見た感想は?

「脚本とは撮影が終了したらごみ箱行きとなる、過渡的なオブジェにしかありません。その上に書き込んだり、セリフを変更したりしていくものです。脚本家のロナルド・ハーウッドは今回、途中で投げ出しそうになるほど、この脚本に相当追い込まれました。途中でギャラを返して手を引くことも試みたほどです。そんな時、どのようにジャン=ドーを描くのか、セリフや、彼を襲った運転中の発作を最後に回すなど、素晴らしいアイデアが一瞬にしてひらめいたと言っています。

現場のアーティストの才能の掛け合いで 生まれていった
現場のアーティストの才能の掛け合いで 生まれていった

そう、ジャズに譬えることもできます。つまり、リズムとなるベースのテーマが定まると、後はアドリブで綺麗なメロディーが生まれるといったように。シュナーベル監督は画家、音楽家、スポーツマン、監督……。彼は完全な総合アーチストです。撮影監督のヤヌス・カミンスキーは監督にこれまで試みたことのない撮影を要求されました。例えば、映像に映る足や手は実際は私のではありません、カミンスキーのです。いくらなんでも、私はもっとキレイな足をしてますよ(笑)。加えて、技術なくしては何の足しにもなりません。今回、カミンスキーはカメラをスイングさせては、ピントをぼかしたり、フレームの1カ所だけを鮮明にするなどの手段を用いたことも効果的でした」

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