山の郵便配達のレビュー・感想・評価
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国家社会主義に於けるジャーナリストとは大学へ行くべきものなのかぁ?
郵便配達の話と言うと、イタリア映画の『イル・ポスティーノ』である。『イル・ポスティーノ』は二十世紀の終わりにレンタルビデオで見た。この映画はその後の世代になるので、ミレニアムから21世紀初等は余り映画は見ていなかったかも。従って、この映画も初見。郵便配達と言う事で『イル・ポスティーノ』を思い出す。
この映画は、同化政策が海千山千の頃の余裕のある頃の中国映画だ。しかし、間違いなく鄧小平指導の元で始まった改革・開放路線のプロパガンダ映画の様だ。
新しい中国と古い中国の共存を願って作ったのだろう。
さて、それから二十年彼の仕事はまだあるのか?あるとは思えない。
日本国よりもGNPの豊かな国。温故知新で意図的にやっている場所はあっても生活とは無関係だろう。ムシロ急勾配の多い日本国の郵便事業とか宅配事業のほうが大変なはずだ。
中国が民主化開放路線に変わった。と喜ぶ人は大変に多いと思う。しかし、、経済だけがキャピタリズム転換しただけで、政治は間違いなく、社会主義のままであろう。従って、ある部分ではどうしても国家社会主義の性格を残していると言わざるを得ない。つまり、三権が分立しない経済だからである。本来は経世済民で経済は人民のために設けられた仕組みだが、接頭語に国家がまとわりついてしまっている。僕はそれが、キャピタリズムの終焉を早めていると考える。もっとも、瓦解する前に新しいキャピタリズムに変わる経済システムが突然現れるかもしれない。しかし、既存のコミュニズムやましてやキャピタリズムでない事は確かである。
賢明な諸氏には自分の職業を振り返る事をお勧めする。なくなってしまって社会は困るか困らないか。若い内にもう一度考えると良いと思う。これだけ争いが多いと一番必要な職業が『兵士』なんて事もある。それでも満足な人は良いが、恒久的に必要とは言えず、万人が望む平和が訪れれば、一番不必要な職業となる。
追記すれば、災害から救助する行政は『消防庁』で生活の安全は『警視庁』で国土の安全は『海上保安庁』だと知っておくと良い。
追記
あぜ道が日本の様に真っ直ぐでない事に気付いたら、この作物が米ではないと気付いた。小麦なんだね。もっとも、陽炎が飛ぶ中、真っ直ぐなあぜを行く場面もあるが。やっぱり、あぜ道は曲げないよね。
追追記
国家社会主義に於けるジャーナリストとは大学へ行くべきものなのかぁ?日本の旧国営放送はアナウンサーを始めとするマスコミ関係をAIに変えようとしているし、ハリウッドは役者まで、AIに変えようとしている。誰でも情報発信の出来る時代。大学へなんか行く必要なかろう。この時期はミレニアムの時期はホームページを作る事が流行って、インターネットの創世記だった事を考えると、全くの骨無しな作り事に残念ながら見えるかなぁ。
2024年1月26日午後4:15やっと見終わった。プロパガンダな男目線のお話で、父系社会の継続を主張しているに過ぎない。最後まで見て、評価を変える。
仲をとりもつ次男坊
「この映画には日本の原風景が描かれている」朝日新聞の天声人語でも激賞された本作は、岩波ホールの単館上映ながら2001年の大ヒット作となり、その噂が中国本土にも知れわたったとか。3日で120kmを踏破し、中国山間部に点在する村々の郵便集配&配達を共産党中央政府から請け負った(習近平が好きそうな)配達員親子の物語である。
年をとった父に代わり息子が配達員の仕事を引き継ぐにあたり、父が同行して息子を村民に紹介していく一種のロードムービーなのだが、日本の保守的なお年寄りにはそれがすこぶる受けたようなのだ。私なんぞは、(おそらくはトリュフォーを真似たであろう)息子の心象を本人のナレーションで紹介する監督フォン・ジェンチイの演出が気になって気になってしょうがなかったのだが、皆さんはいかが思われたであろう。
どうもフォン・ジェンチイご本人が書いた複数の短編小説を一本の映画にまとめたようなのだが、よおく観察すると、この映画にはプロットつまり起承転結が見当たらない。あのコーエン兄弟は同じくプロットがない映画『インサイド・ルーウィン・デーヴィス』の中で、“猫”を使って登場人物の意識の流れを表現したらしいのだが、この映画“次男坊”が父と息子の心理的な隔たりを解消していく上で、非常に重要な役割を果たしているのである。
父親にベッタリでなかなか離れたがらなかった“次男坊”が、ラストでは長男の実力を認め付き従う成長物語にもなっている。父から息子へ。父が今まで誇りをもってこなしてきた責任ある仕事を息子に引き継がせる時に感じる、嬉しいような寂しいようななんとも言えない感情は、一部の方が指摘しているとおり、なるほど日本の小津安二郎作品にあい通じるものがあるのかもしれない。
道中二人が泊まった民家で、知り合った村の美しい娘との結婚を息子に促したり、床を並べて抱き合って眠る微笑ましいシーンなどは、まさに小津の『晩春』からの引用であろう。が、そこで邪魔くさくなるのはやっぱり息子のざーとらしいナレーションなのである。なかなか家に帰ってこなかった現役時代の父親との距離感が徐々に縮まりやがて父を追い越していく様は、付かず離れずな二人の歩き方で十分表現できたはずなのである。
現在だったらパルムドッグ賞間違いなしの“次男坊”の無言の演技?が秀逸だっただけに、親子の会話が少々多すぎて耳障りに聞こえたのかもしれない。川のせせらぎや小鳥の囀り、風が木々を揺らし雨粒が地面をたたく。折角のシチュエーションにも関わらず、自然音がほとんどいかされておらず、郵便配達の過酷さが殆どこちらに伝わって来なかったのは、片手落ちといわざるをえないであろう。
愚痴はこぼすな!道は足で歩け!
中国は広い。日本とは桁違いだ。
最初の人家が続く道は明日香や吉野に似ているなと思っていたら、
棚田が広〜〜〜〜〜〜〜く広がるところを豆粒の大きさで歩いていた。
日本の風景だと、あの画面の大きさなら四隅はもちろんもっと畦道や道や森が点在しているが、何も無く棚田のみで画面一杯。
一度配達に行くと、二泊するのか。
90°ほどの勾配でロープを伝って登る道もある。
仕事に誇りを持つ父。
仕事自体が誇りだから、表彰や昇進は眼中には無い。
母は可愛い息子に苦労させたくない。
父は、
息子だから安心。
しかし、息子だから可哀想で悪いとも思う。
三ヶ月会えず、息子が生まれた手紙を読み
職場で盛大に祝ったことを話すと、
息子が初めて「父さん」と呼んだ。
父子関係がギクシャクするほど過酷な仕事か。
まだ仕事に疑問を持つ息子に、
友人や知識が増えるぞ、とも言う。
盲目で半身不随のおばあさんには、
孫のふりして手紙を定期的に書く(ふりして読む)
賢いのに通学せずに通信教育で優秀な成績を取る少年には、父のように見守る。
そして、息子に背負われた父は、昔、
息子が幼く自分がおぶっていた頃を思い出し、
そっと涙を拭い、
息子は、
「郵便物より軽い‥‥。」と言う。
疲れて寝ていた息子が、元気よく
郵便配達に出かけて行き、
見送る父の表情は、温かく厳しい。
父と息子
中国山間部、水墨画の世界。朝靄につつまれる森林。森林浴のつもりで見るのも気持ちがいい。しかし、仕事をするのも大変だ。一気に配達を終わらせることもできるが、引退までずっと続けなければならないので、2泊3日という配分もきちんとやらねばならない。
山で農業してもいいし、街に出て働いてもいい。しかし息子は父の郵便配達という職業を選んだのだ。公務員だから他の職業よりも若干給料がいいという理由だけではなさそうだ。父を理解するため?父を超えるため?
ラジオの音楽、歌いながら歩く、バスに乗ることなど「若者の考えることは・・・」と嘆いているような表情の父親。ここでは、自分の父親とのジェネレーションギャップを思い起こしてしまう。父親の人生経験と勝気な息子との心理描写が上手く描けていました。途中で出会った人のよさそうなおじさん。盲目の老女。若いクーニャン。出会う人すべてがやさしい。そして、初めて「父さん」と呼んだ息子にうるうる・・・
【父が長年行ってきた中国山間部の郵便配達の仕事を引き継ぐ息子が、父の仕事の崇高さ、大変さに気付いて行く様を、美しき山岳風景を背景に描き出す。親子の絆を深めていくロードムービーの秀作である。】
ー 冒頭、テロップで”1980年代、湖南省西部”と流れる。-
・山間部での郵便配達のため、滅多に帰って来なかった父との距離感を感じながら育った息子。故に、彼は父の事を”アンタ”と呼んでいる。
・老いた父が、初めて息子と忠犬”次男坊”と二泊三日の郵便配達に出掛ける。それは、息子に仕事を引き継ぎ意味もあったのである。
・心に残るのは、行く先々の村々で彼らを待っている山の民の豊かな表情である。
来た時には誰もいなくても、彼らが村を出る際には、村人総出で見送るシーンには、心温まる。
・父が、目の不自由な老婦の元へ、わざわざ孫からの郵便を届けるシーンも良い。孫の手紙を”老婦を気遣い、内容を盛って、”話して聞かせるシーン。
・トン族の娘と、息子が楽し気に話す姿を見る父。その脳裏には、妻との出会いのシーンが蘇っている。
・父を背に川を渡るシーンも良い。”郵便袋より軽いね・・”
・険しい崖の道を上がる際に、上からロープを投げてくれた聡明な少年との会話。
<いつの間にか、息子は父を”父さん”と呼んでいる。それを嬉しそうに、照れ臭そうに”父さんだってさ。”と、中犬”次男坊に話しかける父の嬉しそうな顔。
成人して、初めて父の郵便配達の道を一緒に歩む中で、息子が父の仕事の尊崇さ、大変さに気付いて行く過程を丁寧に、中国の美しい山岳風景を背景に描き出した作品。>
父子の思いをのせた山岳地帯の美しい映像
中国は山岳地帯を歩いて郵便配達をする父と、それを引き継ぐ息子の話し。
距離のあった父子が一緒に山を歩きながら仕事をしているうちに、理解し合っていく話し。最後は息子が一人で郵便配達に出発する。同伴する犬が人の心を読む賢い犬でいい味を出している。山岳の美しい素朴な景色も癒される。
そこに人生がある
中国は漢民族と満民族、それに数多くの少数民族で成り立っている国である。山の人々は山で暮らし、あまり平地に降りてこない。そこに自分たちの居場所がないことを知っているからだ。それでも若い人を中心に、少しずつ故郷の山を離れる人々がいる。そして電話もインターネットもない故郷と、下山した人々のいる都会を結ぶのは、昔ながらの手紙である。そしてそれを届けるのが本作品の主人公親子なのである。
息子は父とともに父の歩んだ郵便配達の道を歩く。どのような道を辿り、どのような町や村でどんな人に郵便を配達し、また預かっているのかを知る。そこには様々な人生があり、郵便配達員との様々な係わり方がある。父がそれらの人々を大切にし、また信頼関係を築き上げて来たことを息子は知ることになる。それはとりもなおさず、父の人生そのものなのだ。ささやかでつつましい世界だが、人に優しくする包容力のある豊かな精神と、寛容な人生観。息子は父の偉大さを知り、自分の父であることを誇らしく思う。
素晴らしい親子の、とてもあたたかい数日間を描いた秀作である。中国はやはり広大だ。こういう映画を作る才能が多分たくさんいるのだろう。ちなみに犬の演技も非常によかった。
親子
永年勤め上げた郵便配達の仕事を、今日を最後に、息子に引き継ぐ父親の物語。
一度仕事に出ると、数日間、長いときには数ヶ月も家を空け、山奥を回りながら、郵便を配る配達人。仕事一筋、しばしば家を空け、息子との関係も疎遠になりがち。父親の仕事を継ぐことになった息子へと、仕事引き継ぎの最後の配達に出かける。
無口な父親と、父親の仕事のことを何も知らなかった息子。父親の配達先で、父親と地域の人たちとの交流を通し、その苦労と、仕事の価値を感じ取る。そしてとりもなおさず父親の人生そのものであることを知る。
何しろ美しかったのが、湖南省の自然。照葉樹林文化などと言われ、日本との共通することが言われる、中国南部ですが、中国にこんなにも自然の美しいところがあるとは驚かされた。中国北部では歴史上早くから、木々は伐採されつくし、埃まみれの風景が印象がある。けど、南船北馬と言いますが、南部は自然が豊かなのですね。
#有る方のプレビューを拝見していて。原題の「那山 那人 那狗」の「山 人 狗」の中国語の発音が「1声 2声 3声」であることに気づいた。
そうね・・・「あの山、あの人、そしてあの犬」犬の前に、ワンクッション置いて訳したりすると 良い感じかも。
父、息子、犬の心温まるロードムービー
午前十時の映画祭で鑑賞。父にとっては最後の、息子にとっては初めての配達の仕事をしていく中で物語は展開される。旅の中で、二人のわだかまりが溶けていったり、息子が父に対していたわりの情を見せたり、父がこれまでの人生を振り返ったり、静かな映画だったが、どのシーンも優しく温かな気持ちになった。犬(「次男坊」)の存在も愛らしかった。
父親と息子
メインテーマは「父親と息子」である。
老いた父親に代わって、若い息子が郵便配達の職を継ぐ。中国奥地の山間部の村々を、毎回3日かけて周り、郵便物を集配する仕事だ。父親にとっては最後の、息子にとっては最初の旅。
いく先々での出来事や、道中の会話を通して、離れていた二人の心が寄り添っていく。私もまた一人の父親であり、一人の息子である。鑑賞しながら様々な思いが交錯し、川を渡るシーンでは涙を禁じ得なかった。
それにしても、舞台は1980年代なのに、徒歩で郵便物を配達していたことには驚いた。バイクぐらいは使っていてもよさそうなのに。
背景となる山河はとても美しい。おそらく何百年と変わっていない風景なのだろうと思う。
風土の中で家族の情愛を描くのは、『初恋のきた道』も同じだ。
旅の途中、息子は何度か「人はなぜ山に住むの?」と尋ねる。が、父親は答えをはぐらかす。
なぜ人は不便な場所から離れようとしないのか。生まれ故郷だからか。自分のアイデンティティがそこにあるからか。
逆にまた、便利であることがそれほど幸福だろうか。不便で厳しい暮らしの中でこそ感じられる幸福もあるのではないか。
そんなことをとりとめもなく考えてしまう問いだ。
作中、「幹部」だの「委員会」だの、いかにも中国らしい言葉が台詞に混じる。親子の情愛や美しい自然にそぐわない言葉のように感じた。
淡々と実直に。
携帯とか通信手段が限られた時代と山村と。山の郵便配達の親子の世代交代が中国の美しい山の景色とともに描かれる。
家族と老いと過疎化と…全て避けて通れない、現実はこうなんだよな、という話が丁寧に切々と描かれていてしんみり。
特に孫が都会に出たおばあさんの話は泣けた…。外に出たものは残された者を気遣う余裕もない日々を送り、残されたものは日々出ていったものを気遣い心配する、と。
そうだよな…と痛感。
いい映画!
素晴らしいの一言。
古き良き中国みたいな、Chineseの本質はこちらで在って欲しいな。
親父さん激渋かっこいい、次男坊も賢き犬なり。
親父を背負えるようになって一人前とか、、そしたら俺はまだまだや
いい作品なんですが・・・・・
いい作品ですが、いい作品を作ろうとする演出が気になる。つまり、優良映画を作ろうとか、何かの賞を取ろうとか、日本なら文科省推薦映画にしようとか、何かそういった意図が演出に強く感じられる場面がときどきあるのが気になった。たとえば、目の見えなくなったおばあさんに代わって、手紙を読むシーンとか。
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