ワンダーウォール

劇場公開日:

ワンダーウォール

解説

アパートの隣に越して来た美しい娘をのぞき見ることに熱中する老科学者の姿を描いたラヴ・ファンタジー。元ビートルズのメンバーでMインド音楽や電子音楽に傾倒していたジョージ・ハリソンが音楽を担当し、60年代後期の製作当時のサイケデリック感覚を盛り上げている。監督は後年の76年、「レッドツェッペリン/狂熱のライブ」を手がけたジョー・マソットで彼の劇映画デビュー作。製作は「悪魔のはらわた」のアンドリュー・ブローンズバーグ、脚本は「反撥」「薔薇の名前」のジェラール・ブランシュが担当。主演は「ロマン・ピランスキーの吸血鬼」のジャック・マッゴーランと、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」「地に堕ちた愛」のジェーン・バーキン(台詞はなし)。

1996年製作/92分/イギリス
原題:Wonderwall
配給:日本スカイウェイ
劇場公開日:1996年11月9日

ストーリー

ロンドン。自然科学者のオスカー・コリンズ教授(ジャック・マッゴーラン)は、研究一筋のあまり、独身で初老を迎えた男。そんな彼が侘住まいするアパートの隣に、美しい娘ペニー(ジェーン・バーキン)が越してきた。ある晩。偶然できた壁の穴から見えた隣の部屋のペニーの姿が博士を魅了した。その日から彼の日常は壁穴からペニーの姿をのぞくことに費やされた。壁板をはがし、むきだしのレンガのすき間の至るところに穴を開け、そこからあふれだす幻想の世界。いつしか彼は幻想の中で彼女の恋人となっていた。ペニーはモデルで、部屋にはカメラマンと称する異様な身なりの若者が出入り。彼女はそのうちの誰かと交際しているらしい。無断欠勤も多くなった教授の元へ助手のパーキンスが迎えに来るが、教授は彼を追い返す。教授は天井にトンネルを掘って進み、ついに屋根へ出る。今や教授は寝床も壁に備え付け、いつでもどこでものぞき見できるように部屋を改造してしまっていた。ある日。ペニーは交際していた青年と別れ、落胆のあまり、睡眠薬で自殺を図る。ちょうど教授は天井と屋根を越えて、彼女の部屋へとたどりついた。彼は起きない彼女を見て隣人たちに急いで知らせた_。ペニーは助かり、通報者の教授は新聞にも載った。教授は仕事に戻った。ところが顕微鏡をひょいとのぞくと、そこには星の世界が広がり、ペニーが手を差し伸べているのだった。

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映画レビュー

3.0天才

2023年2月17日
iPhoneアプリから投稿

と馬鹿は紙一重。と言う言葉があるが
天才も壁一つ越えたら狂人です。

と言うことを言いたかった映画。

と勝手に断定◎

最後は現代日本で有れば間違いなく犯罪認定される行為
にも関わらず人命救助となりハッピーエンドだったがw

見立てによれば、隣人の綺麗なお姉さんとラリパッパ的な下手するとアダルト企画ぽい筋立てに失笑しかない(^^)

豪華贅沢極まる外国製Vシネ📽

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tomokuni0714

3.5壁の穴から覗いたら、裸のジェーン・バーキンが! 多幸感あふれるサイケデリックな珍作。

2022年10月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

新宿K’s Cinemaの「奇想天外映画祭2022」、二本目。

「壁の穴から覗いたら、なぜかジェーン・バーキンの裸が見える!」
というおバカネタ「一本勝負」で臨む、どこまでも潔い心意気の一作。

一本目に観た『リキッド・スカイ』と比べれば、同じ「カルト映画」のくくりで扱うのは失礼なくらいに、ちゃんとした映画だ。
演出もモンタージュもしっかりコントロールされている。
『リキッド・スカイ』の出来の悪さにおおいに辟易していた自分からすると、本作が始まった瞬間に、最低限の演出とモンタージュの技術が加味されただけで、映画ってこんなに見違えるように見やすく、わくわくするようなものになるんだな、と軽い衝撃を受けた。

取り合わせとしても、映画祭企画者の嗅覚は冴えわたっている。
同じサイケでも、『リキッド・スカイ』は、アメリカのニューウェイヴ、『ワンダーウォール』は、イギリスのジョージ・ハリソン(のエスニック系)。
同じスレンダーなモデル系といっても、『リキッド・スカイ』のエマ・カーライルは中性的、『ワンダーウォール』の女神ジェーン・バーキンはフェミニンだ。
で、『リキッド・スカイ』では宇宙人研究者が「望遠鏡」を覗き、『ワンダーウォール』では生物学者が「顕微鏡」を覗く!
『リキッド・スカイ』は、NYの「サイケな日常」を「外から」窃視する映画だが、『ワンダーウォール』は、イギリスのどんよりした茶色の日常から「サイケな非日常」を窃視するわけだ。
じつに絶妙の対比ではないか。

それにしても、「穴から覗く」というのは、それだけでもう、わくわくするような期待感と背徳感に満ちてて、こたえられませんね。
ぼくも、穴大好き。覗くの大好き!
もともとピーピング・トム属性が間違いなくあるからかもしれないけど、このひとネタで映画をつくろうとしたジョー・マソット監督の感性には、大いに共感できる。
わかってる。ほんと、わかってるよ!

覗き見映画といえば、まずはヒッチコックの『裏窓』と、そのリメイクみたいなデ・パルマの『ボディ・ダブル』がぱっと思い浮かぶが、あれらは離れたところから望遠鏡で覗いているのであって、厳密にはここでいう「壁の穴」系ではない。
その点、江戸川乱歩の『屋根裏の散歩者』(映画には、郷田三郎を石橋蓮司が演じてる日活ロマンポルノがある)は、「節穴」から覗いているから、「壁」ではないけど間違いなく「穴覗き」兄弟だ。
むしろエッチ系だと、『青い体験』(ラウラ・アントネッリのストリップ・ショー!)とか、『ポーキーズ』(女子シャワー室!)とか、その手のシチュは探せばたくさん見つかる気がする。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で、主人公(長じてデ・ニーロ)がデボラ(ジェニファー・コネリー)のバレエの練習をトイレから覗くシーンも忘れがたい(あれは舞台装置自体がまさに後述する「のぞきからくり」を意識したものだった)。あと、『レオン』で、レオン(ジャン・レノ)が部屋を覗き込んでマチルダ(ナタリー・ポートマン)を見出すシーンとか。
鍵穴覗いたら、眼を銃弾でぶち抜かれてしまう、ダリオ・アルジェントの『オペラ座血の喝采』や『SAW2』も、「代償を伴う覗き」という意味で、「覗き穴映画」の仲間に入れていいかもしれない。

ーーーーーーー

本作のプロットは、明快である。
ドのつくアスペの生物学者が、ある日仕事先から住んでいるアパートに帰って寝ようとしたら、壁にあいた穴から隣室の光が差しこんでいて、光のなかに女性の裸体の影が映っていることに気づく。
慌てて穴を覗き込んだら、なんと裸のジェーン・バーキンが踊っていた!(すげー!)
で、大興奮の教授は、それから毎日、朝から晩まで四六時中穴を覗くようになる。
穴の向こうでは、セットのようなものが毎回組まれていて、そこでさまざまなファッションに身を包んだジェーン・バーキンがポーズを決めたり、踊ったり、あるいはパートナーの男性と性交していたりする。
生物学者は、研究対象を微生物からジェーン・バーキンにすげ変えて、ますます覗き行為にのめりこみ、日夜励んでいるうちに、いつしか日常と現実のフェイズから滑り落ちてゆく……。

穴の中で展開されるファッション・ショーは、現実のものというよりはおよそファンタジーに近いものであり、覗く毎に内容が切り変わる「のぞきからくり」のようなものだ。
だから、本作の「穴」は現実に存在する「隣部屋を覗く穴」というより、素直に「非現実につながる穴」として捉えたほうがいい。
そもそも本作では、落として割った蝶の標本箱から無数の蝶が飛び立ったり、冷蔵庫から異常な量の氷がこぼれ出てきたりと、「穴のこちら側」ですら、はやい段階から「非現実に侵食」されているのはたしかだ。
それが、主人公の教授自体の頭のねじが飛んでおかしくなっているからなのか、この映画の世界観自体がぼんやりとファンタジー要素を包含しているからなのかは、最後まで観ても判然としない。
どちらにせよ、本作は理屈の通ったSFやファンタジーとしてではなく、ある種の「ほら話」「寓話」として観るべきものだろう。

だから、本作の「穴」には、「お隣さんの私生活を覗く」という出歯亀趣味、窃視趣味のリアルなフェイズ以上の、複層的な「含意」があると考えたほうがいい。

まずは、もちろん性的な含意。
あきらかに女性っ気などありようもない変人学者にとって、ジェーン・バーキンが隣室で裸で踊っていたら、そりゃあ大興奮でしょう。
ジェーン・バーキンってキャスティングがとにかく秀逸。
しょうじき、女優さんとしては必ずしも大成した人ではないが、歌とキャラクターとルックスで、唯一無二の「ジェーン・バーキン」としての「アイコン」を確立した人だ。
当時はまだ、『ナッシュ』で出てきたばかりで、この作品が「主演」デビュー(主演なのに台詞がないとか、『火車』の佐々木希みたいw)だったようだが、「アイコン」としての魅力と輝きは、本作でも十分にあふれかえっている。

それから、穴の向こうの世界は、当時の最先端のカルチャー&ファッションの粋を表している部分もあるだろう。現実を超えた「夢」の世界だ。
曇天におおわれた薄暗いロンドン、煉瓦造りの古臭いアパート。
その「壁の穴」の向こうに広がる、マジカル&ドリーミーなサイケデリック・ワールド!
流れ続けるジョージ・ハリスンのよるシタールを用いたオリエンタルな音楽。
あふれかえるレインボーの色彩、モード感全開のサイケ・ファッション。
That's レイト60s!

サイケデリックということで、当然ながらこの穴は「LSDに代表されるドラッグ・カルチャー」を現実側から覗くための穴でもある。
穴の向こうで展開されるさまざまな「美女の夜ごとの夢」は、そのままドラッグを介して立ち現れる幻想や幻覚の具現化といってよい。それは、どこまでも多幸感に満ちたグッド・トリップだ。
やがて、穴でサイケデリック・ワールドとつながった現実にも、幻想による異化作用は漏れ出てくることになる。

もう一点、重要なポイントとして、
「穴」は、「映画」そのもののメタファーでもある。
そもそも、映画は、「のぞきからくり」から始まった。
いわゆる、ピープ・ショーだ。
ゾートロープから、キノーラ、ステレオスコープ、キネトスコープと、映画はもともと「穴から異世界を覗く」行為からスタートし、それが劇場という空間内に開放されたという経緯がある。
その意味では、ワンダーウォールに穿たれた穴は、まさに「映画の穴」。
そこを覗けば、ありとあらゆる夢が現実化し、ありとあらゆる欲望が具現化する。
通常、壁の穴からは、覗く対象の出した「声」や「音」が漏れ聞こえてくるものだと思うのだが、あえてジェーン・バーキンには一切しゃべらせない。なんだか、無声映画のヒロインみたいじゃないか?
というわけで、これは、映画という機能についての自己言及的な映画でもあるのだ。

終盤、ネタがさすがにつまってきたのか、隣人の男とのドリフみたいなコントや、それこそサイレント映画のようなスラップスティックの夢想などが入り混じってきて、だんだん話のピントがずれてしまった気がしないでもないが、今まで観たことも聞いたこともなかったカルト・ムーヴィーとしては、十分に楽しめる快作だったと思う。
面白い映画を紹介してくれて、ありがとうと、心から感謝したい。

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じゃい
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