未完成交響楽(1933)

解説

「モナ・リザの失踪」「ブロンドの夢」等に出演したヴィリ・フォルストが監督に転向して後の第一回作品で、脚本もフォルスト自身が「モナ・リザの失踪」「ブロンドの夢」のワルター・ライシュの原案に基いて書卸したものである。主演するのはウィーンの舞台から来たハンス・ヤーライとブダペストの舞台から来たマルタ・エゲルトの二人で、ルイゼ・ウルリッヒ、オットー・トレスラー、ハンス・モーザー、ハンス・オルデン、等が助演している。撮影は「ガソリン・ボーイ三人組」「黒騎士」と同じくフランツ・プラナーの担任。なお、この映画にはフランツ・シューベルトの音楽を「今宵こそは」のウィリー・シュミット・ゲントナー編曲指揮の下に数多く取入れているが、その演奏にはウィーン・フィルハーモニー・オーケストラが特に当ったものである。

1933年製作/オーストリア
原題:Unfinished Symphony Leise flehen meine Lieder

ストーリー

十九世紀の初期のウィーンに珠玉の様な名曲を撒きちらしたフランツ・シューベルトは身は貧しくて質屋通いに愛用のギターを手離すほどではあったが、心は王侯の様に豊かであった。質屋の娘エムミーは、この若い音楽家に好意を寄せ彼に一銭でも多く貸し与える事に心を砕いたのだが、シューベルトにゲーテの詩集を貸したのもこのエムミーであった。そして、その頃、小学校に教鞭をとっていたシューベルトはゲーテの詩に感興の泉を見出し、算術の時間である事も忘れて、教室の黒板に美しい歌を書き上げたものである。しかし、この貧しく若いシューベルトにも世に出る機会が来た。それは、彼がウィーン社交界に今を時めくキンスキー侯爵婦人邸の音楽の夕に出演を求められたからである。この夕に認められる時には、彼の将来は約束されるのである。エムミーが父の目をかすめて取り揃えてくれた晴衣を身にまとい、シューベルトは新作のロ短調交響楽を晴れの席上で弾いた。一座は水を打った様に静まり返った。シューベルトの感興は次から次へと湧き上って行った。だが、その時、突然に高い若い女の笑声が四辺の静けさを破った。この若い女は外の事で笑ったのであったが、この不作法な振舞いに、芸術家の誇りを傷つけられたシューベルトは憤って直ちに席を蹴って邸から出てしまった。その後、シューベルトはロ短調交響楽を幾度も弾きかけたが曲が進んで行くとあの乙女の高い笑声が響いて来ては、彼の想念をハタととめるのであった。かくてシューベルトは懊悩と貧困とに苦しめられていたが、その後、思いがけなくハンガリアのエステルハーツィ伯から令嬢の音楽教師にと迎えられた。この伯爵令嬢こそは実はかつて彼を笑声で乱したあの夜の乙女であった。名はカロリーネといった。彼女はかつての無礼をシューベルトに詫びるために彼を招いたのであるが、その後、日が経つにつれこの二人の間に恋が芽生え、祭の夜の賑いのあった頃には、二人の心は結び合っていた。しかし伯爵はこの二人の恋を許さず、術策を用いてシューベルトをウィーンに送った。それからシューベルトにはカロリーネからの便りがない日が続き、彼の懊悩がエムミーの笑顔を以てしても消されぬ程に増しつのって行った或る日、彼はハンガリアから直ぐ来いとの手紙を受け取った。だが、シューベルトが取るものも取りあえずに馳けつけた時に、そこに彼を待っていたのはカロリーネの他の士官との結婚式であった。その夜、シューベルトは彼女の婚礼を祝って彼が完成したかのロ短調交響楽を人々の前で弾いた。だが、曲が例のところまで来た時に、カロリーネは心の痛みに耐えかねて失神した。そこでシューベルトは完成させた交響楽の終りの数頁を破り取り、その余白にこう書いた。「わが恋の終わらざる如く、この曲もまた終わらざるべし」

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映画レビュー

5.0原題のドイツ語を訳すと「秘めやかに流れる我が調べ」を、この邦題にした昔の日本の配給会社の方のセンスに脱帽です

2023年10月3日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

未完成交響楽
1933年、オーストリア映画
白黒トーキー作品

シューベルトの未完成交響曲がテーマの映画です
でも、クラシック音楽に詳しくなくても余り興味が無くても十分楽しめる作品です
洋画のオールタイムベストにも取り上げられたこともある有名作品です

オーストリアの首都はもちろん音楽の都ウィーン
シューベルトはベートーヴェンと並ぶウィーンを音楽の都にした地元の偉人です
彼は1828年没なので、没後100年記念という感じで企画された作品のようです
折しもトーキー映画が欧州でも一般的になって来た時期ですから、音楽ものはトーキー映画の目玉になるわけです

「未完成交響曲」はシューベルトの交響曲で最もすぐれた作品「交響曲7番」の通称です
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界」と並ぶ、世界で最も人気がある交響曲でしょう
YouTubeで簡単に聴くことができます
そんなにクラシック音楽をあまり知らない人でも聴いた事があると思います

「未完成交響曲」と呼ばれるのは、第3楽章が未完成のためで、コンサートでは第2楽章までが演奏されるからです

本作はこの交響曲がなぜ未完成なのかを物語にした映画です
といっても内容はあらかたフィクションです
こんなドラマチックな恋物語で未完成になったのなら良いなあ~という妄想がそのまま映画になったようなものです

でも史実でも1818年にエステルハツィ伯爵家の臨時音楽教師に雇われ、夏の間ハンガリーのツェレスに赴任しています

なぜ未完成なのか?
本当はどうなのか?
色々諸説があるそうで確たるものは無いそうです

舞台はもちろん音楽の都ウィーン
時代は、たぶん1814年~1815年のウィーン会議のすぐあとぐらい
ウィーン会議は映画「会議は踊る」で有名です
小学校で子供達が歌うのは「野バラ」
もちろんこれも彼の作曲です
1815年の作曲でシューベルトが18歳
ですから新任の先生ですね
この曲の出来た経緯が本作の通りなのかは浅学でわかりません
歌詞はゲーテの1789年出版の詩だそうです

冒頭の質屋の名前はシェーンブルン
そのウィーン会議の会場になったかの有名な宮殿と同じ仰々しい名前でクスリとさせます

未亡人の客が質草の石膏のナポレオンの像の査定が安過ぎて「皇帝侮辱だわ」といいます
質屋の娘エミーが「アスペンの敗戦で値が下がりました」と嫌みを言ったからです

ナポレオンがオーストリア軍に敗北した戦いのことを言っているのですが、それは1809年のことですから、10年近く前のことなので、客がこの前といっててもそれは随分昔のことでしょという意味です
とっくにナポレオンはセントヘレナ島に流されて幽閉されているのです

オーストリア帝国では、ナポレオンに勝利して以降、宰相メッテルニヒの強権政治が敷かれて、ことにウィーンの人々はその圧制の中で政治や理念の追求を忘れ、身近な日常的な快適さや楽しさをもとめる風潮の世の中で、歴史で習うビーダーマイヤー様式の時代になっていました
キンスキー伯爵夫人の音楽会はその風潮を表現しています

本作の邦題が「未完成交響曲」ではなく、「未完成交響楽」なのは?
単に交響曲の古い言い方だそうです
そこに意味は無さそうです
それよりも、原題のドイツ語を訳すと「秘めやかに流れる我が調べ」を、この邦題にした昔の日本の配給会社の方のセンス脱帽です

劇中でシューベルトは終盤で第3楽章も書き上げ交響曲第7番は一旦完成します

しかしクライマックスでシューベルトは、遂に完成した未完成交響楽の続きの楽譜を破り捨て、残りの楽譜にこう書きます

Wie meine Liebe nie zu Ende gehen wird,
so soll auch diese Musik nie zu Ende gehen.

字幕は、「わが恋の終わらざる如く、この曲もまた終わらざるべし」

その後、シューベルトはどうなったのでしょう?
映画ではそれは語られません
遥かハンガリーの野道を放心して歩く彼の目に道端の傾いた古びた小さな祠の中のマリア像が止まります
そこに「アヴェ マリア」の旋律が流れます
この曲もシューベルトの作曲なのです
こうしてこの超有名曲も生まれたのかも知れません
正式な曲名は「エレンの歌第3番」というそうです
1825年の作曲だそうです

史実ではシューベルトは、その3年後の1828年11月19日に31歳で病死しています
本作のラストシーンから6年後のことになります
結局、生前は評価されず家庭も持たず貧しいまま亡くなったそうです
この早すぎる彼の死を予感させるラストシーンでした

質屋の娘は、もちろん本作の架空の人物ですが、結局結ばれることもないまま、彼の死を大勢の友人の一人として看取ったのかも知れません

彼の墓は、彼が尊敬するベートーベンと同じウィーンの墓地に埋葬されました
その後、有名なウィーンの都市改造の折に彼の墓は1863年にベートーヴェンともども墓地を中央墓地の名誉区に改葬され、より立派なものになったそうです

未完成交響曲の作曲は史実では1822年でことでした
しかし、ある事情でその楽譜が40数年もお蔵入りしてしまうのです
結局、その楽譜が再発見されて初演奏されたのは、1865年12月17日のことだったそうてす
死後37年のことでした

老女になった質屋の娘エミーはそれを聴くことができたのでしょうか?
もちろん架空の人物なのですけど

蛇足
序盤でシューベルトが、質屋の娘のエミーに貰い過ぎだとお金を返しに来たシーンで流れる菩提樹の歌や、著作権料をろくに貰ってないとか、ゲーテのことなども、史実はまあそんな感じですと手際よくかいつまんで紹介しているシーンでした

ウィーンといえば、ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」
その曲は1867年の作曲になるので、本作の時代の40年程後のことになります

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あき240

4.019世紀の維納(ウィーン)を醸し出す戦前オーストリア映画のロマン主義

2020年4月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

「ブルグ劇場」「たそがれの維納」のヴィリ・フォルストの監督デビュー作。名曲でありながら4楽章まで作曲されず2楽章の未完で残され、後世にシューベルトの代表作の一曲になっていることから生まれた偉人映画。古典派からロマン派初期の作風で最も詩情豊かな音楽を作曲したシューベルト像をそのままに表現した、淡い初恋と名曲を関連付けたストーリーの創作が、19世紀の雰囲気を出している。「たそがれの維納」の演出の鋭さ、「ブルグ劇場」の深みのあるストーリーの面白さは無いが、繊細で素朴な演出タッチが好感持てるオーストリア映画になっている。シューベルトを演じるハンス・ヤーライの適役で、31歳の若さで夭折した天才の儚さを醸し出している。そして、当時のウイーン・フィルの演奏が記録されている価値も高い。
シューベルトの未完成交響曲は、演奏会で取り上げられることが少ない。幸運にも、1984年のクラウス・テンシュテット初来日の演奏会で聴くことが出来た。オーケストラはロンドン・フィルだったが、ドイツロマン派の王道を行くテンシュテットの名指揮の御蔭で、ロマン派音楽の神髄に聴き惚れた感動が今でも忘れられない。

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Gustav
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