ポネット

劇場公開日:

ポネット

解説

フランスの名匠ジャック・ドワイヨンが、死んだ母の帰りを待ち続ける幼い少女のひたむきな姿を描き、主役ポネットを演じたビクトワール・ティビゾルが、4歳という史上最年少の年齢でベネチア国際映画祭主演女優賞を受賞したヒューマンドラマ。交通事故で母を亡くした4歳の少女ポネットは、突然の出来事にその事実を受け入れることができない。叔母の家に預けられ新たな生活が始まる中、ひたすら母の帰りを信じて祈り続ける。周囲の大人たちはそんなポネットに「死」の概念を教えようとするが、彼女はますます自分の世界に閉じこもっていく。1996年に製作され、日本では97年に初公開。Bunkamuraル・シネマで32週にわたってロングラン上映されるなど、ミニシアター映画として大ヒットを記録した。ポネットの母を「主婦マリーがしたこと」のマリー・トランティニャン、父を監督としても活躍するグザビエ・ボーボワが演じた。2020年6月、往年の名作を劇場公開する企画「the アートシアター Vol.3」でリバイバル公開。

1996年製作/97分/フランス
原題:Ponette
配給:アイ・ヴィー・シー
劇場公開日:2020年6月27日

その他の公開日:1997年11月15日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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(C)1996 StudioCanal – Les Films Alain Sarde – Rhône Alpes Cinema

映画レビュー

3.0ポネット思い出話

2024年1月5日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

実は「ポネット」を観るのは2回目で、初めて観たのは公開当時だった。四半世紀以上前のことだが、ある意味思い出深い出来事だったので、今でもよく憶えている。
残念ながら「よく憶えている」のは映画の内容ではなく、自分と自分を「ポネット」に誘ってくれた大学生のことで、よく考えれば当たり前なのだが、当時の我々は「ポネット」を鑑賞し、映画の内容を咀嚼するには若過ぎたのだった。

当時の映画館は指定席などレアな存在で、大概は入場券を購入し、入場順に座席を選んで座るスタイルだった。
「ポネット」はいわゆる単館系の映画で、わざわざ東急文化村シネマまで出掛け、上映2時間前に到着したにも関わらず立見が確定していた。そう、当時は小さい映画館では立見も当たり前であった。
曲がりなりにもデートのつもりだったので、高いヒールで待ち時間プラス上映時間の4時間強を立ちっぱなしはあまりにもしんどい。結局その日は揉めに揉めた挙げ句、映画館も映画も変更。後日改めて「ポネット」リベンジでどうか?ということになった。

後日。公開終了直前になってしまった事もあり、更に早く4時間前に出掛けて、それでも着席はギリギリ。大喧嘩に発展する事態だけは避けられたが、そんなにみんな「ポネット」が観たかったのだろうか。正直言うと私自身はそこまで興味がなく、なんでここまで苦労して「ポネット」を観に来たのかもよくわからなかった。
実際、今回観直すまでポネットちゃんが「ママ、ママ」と泣いていたことくらいしか覚えていなかったし(大まかに言えばそれであってるのだが)、他ならぬ「ポネット」鑑賞に並々ならぬ決意を持って挑んでいた(ように思えた)同行者の感想も「ポネットちゃん、可哀想だったね」という小学生並みの一言であった。一日の25%費やしてそれかよ!

と、まぁそんなわけで2回目の鑑賞も別にそこまで観たかったわけじゃないのだが、もう大分イイ大人になってから観ると、ただポネットちゃんが可哀想な映画ではなく、10歳に満たない年頃の子供だけが持つ世界と大人の世界の境界に翻弄されるポネットと、彼女の父親の愛情を示す映画であった。

初めて観た時はチョロっとしか出て来ない父親の存在など、ほとんど意識してなかったように思う。
また、ポネットがママともう一度会いたいという気持ちで、必死に色々と努力していることもわかっていなかった。
何しろポネットがママと会うための努力、というのが神の子になるための試験だったり、ママが復活するための呪文だったりと、かなりイマジナリーな世界で行われるからだ。しかし、思い返してみれば、あれくらいの年頃の時、我々も現実世界とイマジナリーな世界を自由に行き来していたのではなかったか。

横断歩道の白い部分、花壇の縁、公園の飛び石、大きな木の上、滑り台の下やジャングルジムの天辺、そこかしこに天国や地獄や洞窟が見えていなかったか。鬼ごっこの最中に、自分が本当に鬼の子どもになってしまった気がして、不安に駆られて泣いたりしなかったか。
そんな年頃の少女に、「死」という概念は難しく、また「祈っていれば会えるわ」という言葉はメタファーでも慰めでもなく、直接的な助言にしかならない。

「ポネット」ではほとんど大人の出番がなく、子供たちだけのシーンで、子供たちだけが見える世界の話をしている。なのに視覚は完全に現実世界だ。
だから、現実に見えている景色の中にポネットやデルフィーヌやマチアスやアダたちが見ている世界を脳内再生出来ないと、彼女の気持ちを理解することなど無理なのである。
そして、子供たちの気持ちを無視して、大人の流儀で母親の死を慰めようとしても、ポネットには届かない。
そんな中で唯一ポネットの父親だけは、比喩や気休めではなく現実に起こった出来事の話をし、ポネットにとっての現実についても否定しなかった。
幼いポネットに対して、彼女の人格を認め真に向き合った父の愛を確認できたことは、「ポネット」に関する様々な出来事の中で一番良かったことかもしれない。

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つとみ

5.0このバカ親は果たして、成長したのか 『タリタクム♥』

2023年4月16日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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マサシ

4.0子供の目線を描ける大人ってどういうことなんでしょうか?

2023年4月9日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

フランス人は強いというイメージを裏切らない。
父親がまず、強い。
ハッキリとした物言いは清々しい。
こうやって凛々しいパリジェンヌが形成されていくのかしら。

これ、演技ですか?

子供達の会話のシーン、どうなってるんでしょうか。
荒唐無稽な内容でも成立する会話や、ちょっとエッチなやりとりとか、ほんとリアル。
台本、脚本どうなってるんでしょう。
子供達に勝手にやらせて、自然に撮ったような。

そして、服がとても可愛い。
フレンチ定番のベーシックなものなので、1996年の作品でも全然古くない。
ざっくりしたニットも襟の形がかわいかったり、グレーやブラウンも色味がキレイだったり。グリーンのニットにジャンパースカートとか。今でもナチュラルテイストのお店で毎年並ぶようなもの。

自分も確かに子供だった頃があって、
ある時までは、この子供心はずっと忘れちゃいけないと思っていて、面倒を見るのも好きだったはず。
それがいつの頃からか、神聖すぎて触れ難くなってきました。
色んな意味で子供や動物は先生だと思っているのですが、透明で純粋なパワーでこちらの汚れが見透かされてしまう気がするのかもしれません。

*****

ここからはまた脱線。

算命学や四柱推命では、十二運星といって、胎児期、成長期、青年期、熟年期などを経て、絶命するまでの期間を十二パターンに分けて性質を捉えます。動物占いの12種もそれに当たります。

監督たちの十二運星がなんなのか気になります。
Eテレや、子供向けの商品を開発する人たちも気になります。

自分も子供性があるから理解出来るのか、達観してるから出来るのか。そもそもそんな共通点など全く無いのかもしれませんが。。

今のところ気学で見ると、映画人や漫画家さんは本質に女性星を持つ人が多いです。

何かを通じて間接的に表現する人は、調和や支えといった女性力で、主役達を輝かせるのかもしれません。

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osinco

1.5ドキュメンタリー??…

2022年8月21日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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KEI