野いちごのレビュー・感想・評価
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イーサクの遺作
何が彼をそーさせたのか、孤独で静かに頑迷だった親父の晩節が描かれている。夢は逃避の象徴として扱われることが多いですが、その逃避の夢が現実を変えるキッカケになり、ラストシーンでみる夢の慰めも深まる。
義理の娘は東京物語の原節子か。誰にでも女神はいる。
イングマール・ベルイマン
たった1日の些細な出来事たちが、ある1人の老人を成長させた。人はいつでも成長できる。生涯発達という考え方に則れば、精神の成長は、死ぬまで続く。そのきっかけさえあれば。素直で活発な若い男女3人に会ったり、見るからに険悪でこうはなりたくないと思わせるような不仲な夫婦に会ったりすることで動いたイーサクの心は、彼を少しだけ、成長させた。
今日あったことそれぞれは偶然なんかじゃなく、なにかしらの必然性があったんだと感じ、忘れないように書き留めておこう、とイーサクが感じているということが、すごく前向きで好きだなーと感じた。そして僕も、この映画を見てすごく感動したということが、きっと僕を成長させてくれるだろうと感じている。
黒澤明の「生きる」の上位互換って感じがした。「生きる」は、ちよっと説教臭く感じてしまってあんまり好みじゃなかったけど、「野いちご」は本当に好き。若い男女3人のシーンなんて、すごく楽しいシーンだったし。特に最後の部屋を見上げて歌ってるシーンは、イーサクの笑顔も含めてほんとに好き。
共感できれば良いってもんでもないとは思うけど、やっぱり強く共感した映画は、感動しやすい。「野いちご」は、精神的な未熟さの部分に共感した。「僕のヒーローアカデミア」で精神的に未熟である成人を子ども大人と呼んでいたことと、この映画における自己欺瞞の中に生きている人に対する生きる屍って言葉が、少しだけ重なったりもした。
イーサクが受ける孤独という罰や、悩みや不安から目を逸らし、逃げ続けるという姿勢は、すごく共感しながら見た。僕の場合は、悩みと不安と、あと理想からもなのだけど。この、理想から目を逸らすというのが結構つらくて、それはいつも自己欺瞞につながる。自己欺瞞ほど生きる上でつらいこともないだろう。それはわかっているのだけど、理想を見続けることは、あまりにも苦しい。中村文則の「掏摸」における主人公や死んだ元恋人のように、理想のメタファーである大きく美しい塔の幻影に憧れ続けながらも、そこに自分はたどり着けないと確信しているのだ。ならいっそ目を逸らして、そんな理想ははなから持っていなかったと自分を納得させようとしてしまう。だけど、この映画を見て、少しだけでいいから、自分の理想や希望、それから悩みや不安にも、しっかり目を向けてみようと思えた。本当の自分を偽って生きるのは、やっぱり悲しい。
老いや、死、ということに関しては、あまり共感できなかった。今21歳で見る「野いちご」と、例えば20年後の41歳になって見る「野いちご」は、絶対違う映画になっているだろう。それが今からとても楽しみだ。きっとその時僕は、もっとベルイマンや「野いちご」を好きになれるはずだ。
イングマール・ベルイマン
旅の途中の回想シーンはイーサクの人生の中でも辛いものばかり。弟に取られたサーラ。妻と男との密会。医師の試験まで受けさせられ、有罪判決を受けるというわけのわからない夢まで見てしまうのだ。
そんな嫌な記憶はあれど、三人の若者が純粋で楽しい。なぜだかその対比がイサークの人生の苦楽を象徴していて、生きる勇気をも与えてくれそうな雰囲気。一方、同じく医師である彼の息子も38歳という若さで死について考え込む性格らしい。嫁とも上手くいっていないことがイサークの気になるところだ。
たった1日の間に辛いこと、楽しいことをいっぱい経験した。若者たちが別れ際に歌を歌ってくれたのもうれしい。これが生きている喜び。就寝時には青春時代の楽しい思い出を夢に見る。
老いて省みる日々・・
タルコフスキーやキューブリックほか名だたる監督たちがリスペクトする巨匠イングマール・ベルイマンの映画ですから素人が感想を語るのもおこがましいのですが・・。
ストックフォルムの78歳の老医師イサク、40年来の家政婦アグダとの二人暮らし、老いのせいか見る夢も棺桶に入った自身に出会う悪夢とかいかにもです。大体、人生も終盤に差し掛かると死への不安とか自身の生き方を省みる傾向が強くなるのでしょう、心象風景の巧みな映像化という点ではベルイマン監督は先駆者のひとりなのでしょう。
母校のルンドへ向かうはずが思い出に駆られたのか青春期に過ごした湖畔の別荘や、老母を訪ねる寄り道、10人兄弟というのも凄い大家族ですが資産家だったようで優雅な生活ぶりでした、一人暮らしの老母の愚痴は子や50人もいる孫たちが訪ねてもくれないこと、たまに来るときは金の無心、世相の反映でしょう。
イサクのトラウマ、心の傷と言えば弟に婚約者を寝取られたことと回想シーンで明かされます、それもあって妻ともうまくいかなかったようです、マリアンヌが語る息子の性格も自身に似て厭世的なのは宿命のような端折った描き方でした。長年医師として社会貢献し栄誉を称えられるはずが自身の夢想では勉強不足で落第のレッテル、地元では感謝されているようですが描かれなかった医師時代の失敗談があったのでしょうか、実像をあえてぼかしているようにも見て取れます、どうも客観的な人物像の掘り下げは監督の好みではないようですね。
ストックフォルムからルンドまでは約600km、東京から姫路くらいの感じでしょうか、長い道中なので二人だけの暗い展開では持たないと若いヒッチハイカーを加えて話に色を添えています。
道中で心の整理がついたのでしょうかルンドに着いてからは物事が一気に好転、マリアンヌの懐妊にあれだけ嫌悪していた依怙地な息子がまるで呪いが解けたかのように悔い改めました、こういう顛末なら息子役のグンナール・ビョルンストランドの鬼気迫る演技をもう少し抑えさせるべきでした。まあ、さんざん気を揉ませて暫時ハッピーエンドですからドラマとしては成立なのでしょう。
寛容を身に付けた老博士の人生回顧にある苦渋と達観の厳格なる映像作品
現代映画人の中で最も異才を放つイングマル・ベルイマン監督の最高傑作。地位と名声と安静を得た孤高の人生の晩年を迎えたひとりの老博士を主人公にした、ほんの数日の出来事。悪夢と追憶の内的苦渋を抱えながら、ただ流れに逆らわない人生を達観した人間の精神の在り方を厳格に描く。これを39歳の老成したベルイマンが、既に、すでに関心を抱き制作したことに驚嘆する。凡人には計り知れない密度の濃い経歴を蓄積した上でなければ表現できない映像作品。
エピソードの中で最も興味深いのは、主人公が息子の妻の運転で移動する道中で拾った3人の若者たちとの関わりあい方である。女性一人の男性二人の三角関係を窺わせる自由恋愛の価値観にある若い世代と衝突する訳ではない。老博士は学問への執着からか、俗世間から離れ孤独な生活を送る身であっても、突然の若者との会話で戸惑うことなく逆に善き聞き手になっている。老博士の若者を見る姿勢は優しく、また若者たちも自由奔放ながら礼節を持ち敬仰している。この出会った日の夜の別れの場面が素晴らしい。
博士は、自分を取り巻く環境に操られることなく堅固として自己の良心を貫き通してきたのだろう。その内面は悩み苦しむことがあっても、肉体的にはどうこうされるものではなかった。自分が置かれた、また作り上げたきた立場を噛みしめながら、夢の中では少年時代を懐かしく回顧し、亡き父や若き母の姿を表情健やかに眺めることが出来る。人生を全うする者の率直な感動がある。表面上冷たく静かなベルイマンの演出は少しも冷徹ではなく、人生を見通した微笑みに満ちている。
地位も名誉も得て、あらゆる俗世間からひとり孤高を持する老博士の豊かなるゆとりの精神。存在の哲学的理解を超えて、知力の全てに身を任せても、人との触れ合いに人間的な寛容さを備えた人格の内的世界を見事に描く。
1976年 5月9日 高田馬場パール坐
45年前の駄文を記憶を頼りに再録してみましたが、10代の感動をそのままにしたい気持ちでいます。いつか観直したら、己の人生の粗末さに打ちひしがれるようで怖いです。
50代にちょうどいい。
男性優位の社会慣習や男女問わない日常的な喫煙の一般化など、分かりやすい時代錯誤感を捨象してみれば、今見てもとっても新鮮な老人ファンタジー。シュールだけどリアル。夢と現実の交錯という映画的技法が素直に楽しめた。
個人的にはベテランの住み込み女中さん(あー、これも今はPC的にアウトな言い方かな)のチャーミングなセリフと仕草が大好きだった。若いときに見ても、誰にも感情移入できなかったかもしれないな。
今、生誕100周年でありがとう、ベルイマン。
夢からのメッセージ
初ベルイマンでしたが、最高!の一言です。本作はベルイマンの代表作の一つと言われていますが、噂に違わぬ大傑作でした。
本作はロードムービーですが、夢に大きく比重が置かれています。旅の中でいろいろと事件や変化が起きますが、どちらかというと夢の中で物語が進んでいった印象を受けます。
主人公・イーサクは78歳の医学博士。大学の名誉教授が授与されるほど職業人としては成功していますが、どうも家族には恵まれていません。
やがて、イーサクは他者との関係性を構築することから逃れ続けた人生を送ってきたことがわかります。情緒的なぶつかり合いを避け、肝心なところで知的な上から目線の綺麗事で済ませてきたため、大事なものを手に入れることができなかった。
重要なことから向かい合わずに逃げると、自分を生きることができず(byホドロフスキー師匠)、虚無に苛まれます。イーサクも例外ではありません。しかも、それが息子にも伝達しており、もはや呪いとなっております。
朝、イーサクは長年連れ添ったおばあちゃんメイドと軽くケンカしたあと、息子の嫁マリアン(美女!)と、ヒッチハイクで拾った若者3人と大学に向けて1日だけのドライブの旅をします。その旅自体よりも、この1日で見る夢が彼を変えていったように感じました。
オープニングに見る夢①にて、イーサクは棺桶に入った自分の死体と対面し、死体に腕を掴まれます。
ここでイーサクが生きるしかばねであることがわかります。しかし、棺桶のイーサクは必死の形相で生けるイーサクにしがみつきます。まるで「本当にそのまま死ぬのか?後悔はないのか?まだ間に合うぞ!」と訴えているように感じました。
ドライブに出てからすぐ見る夢②では、かつての許婚が弟に奪われた過去がわかります(夢②は、夢というより追憶の色が濃い)。
イーサクは偽りの人生を後悔しはじめます。
中盤のハイライトとも言える夢③は、不条理な医学試験を受けさせられるも当然合格できず、孤独の刑を宣告させられます。
夢としてはキャッチーすぎますが、彼は孤独の人生を生きました。しかし、自分で選んでいるようで、実は逃げている。だから、刑を受けているのです。過去のイーサクからの復讐。
マリアンから息子の真実を告げられ、イーサクは苦悶する。妻に対して取った態度に苦悶する。過去と現実からツケを払わされるイーサクですが、かつてのイーサクではないことがここからわかります。
昔のイーサクでしたら、苦悩しませんでした。上から目線で逃げていた。しかし、この日のイーサクは、自分の過ちに真っ向から立ち向かったのです。
これができたのは、夢の力によるものだと感じています。
夢はこの世を生きていない、自分の半身からのメッセージです。イーサクはそのメッセージを無視せず、受けいれたのだと思いました。
これらの夢を見なければ、彼は虚無のまま1日を過ごしたでしょう。これまでの日々のように。
名誉博士号を授与された夜、息子夫婦、おばあちゃんメイドと言葉を交わします。それは、おそらくかつての彼では語れなかった言葉、取れなかった態度が表れていたと感じました。特に、おばあちゃんメイドとの会話は、冒頭の2人の会話と対比になっている印象を受けました。
イーサクの変化はとても些細です。しかし、この日のスモールチェンジは彼の心の奥底で起きたものです。これから彼は生まれ変わります。
本作のラストを飾る、この日の最後の夢は、彼が抑圧して見ることができなかった光景です。このラストシーンを思い出すたびに、胸がいっぱいになります。
彼はホドロフスキー師匠みたいに赦しに至ることはできないかもしれない。しかし、そこに向かう旅に出ることはできる、そんな力強いメッセージが込められた夢でした。
イーサク・ボルイ博士御年78歳。彼の人生はこれからです!
人生の終わりにしみじみ
小津安二郎監督と通じる語り口
功なり名も遂げた老人
しかし晩年は寂しいものだ
振り返ってみればこうすれば良かったと反省することもある
それだけの話だ
それを上手い構成でロードムービーとして構成してみせる手腕は見事
淡々としみじみながら全く飽きさせない
正直、見ている途中は退屈だった。 爺さんの人生回想されてもなあ(笑...
正直、見ている途中は退屈だった。
爺さんの人生回想されてもなあ(笑)
それにこれは私の苦手な、「何が言いたいのか分かるかい」系の上から目線映画とも感じた。
最後は幸福感に包まれようやく良かったと思えた。後、若者の無邪気な爽やかさも良かった。
鑑賞後ネットの様々な解説を読んで、すごい作品だったんだと気付かされました。皆さん、深いところまで味わっているんですね。ほんと私はまだまだです。
人生晩年にもう一度見よう。呆けてますます本作の良さが分からなくなってるような気がする(笑)
ベルイマンらしい分り辛さ
総合55点 ( ストーリー:60点|キャスト:65点|演出:60点|ビジュアル:60点|音楽:65点 )
社会的に成功している医者が急に夢を見る。何故今更彼はこんな夢を見るのか。
彼の体験するようなことはこの日ではなくても普通に起きていたのだろうが、彼自身がそれをあえて気にもせずに無視していただけではないかと思う。年老いて死を意識して初めて知った自分の不安と孤独という現状が、他人に無関心な彼の観る景色と人に関する意識を変え彼自身も変える。自分の意識の変化が観るものを変えているのである。
でもベルイマン監督らしい抽象的な描き方で相変わらず分り辛い。夢と現実が交じり合ってはっきりしない。感覚で感じとるのだろうが、彼の演出にはどうも素直にのめりこめない部分がある。たった半日の小さなことの積み重ねでの変化というのにもそれほど惹きつけられなかった。
しみじみとした希望
とんだガンコ爺さんが主人公ですが、乾いたタッチでユーモアもあり面白かったです。
人生の成功者である老教授が、その証である授賞式に向かう途中、自分の過去と改めて向き合っていきます。
イングマール・ベルイマン監督、1957年の作品です。
大昔にTVで観たことがあるらしく、冒頭のシーンと終盤の絵画のような美しい光景にはハッキリ記憶がありました。
ストーリーはサッパリ忘れてましたが、それだけのインパクトのある映像です。
心の底に沈んでいた過去に触れながらの、老教授の小旅行の行く先は…。
誰だって新しい今日を生きているのです。
歳を重ねて改めて出会い、しみじみとした希望を受け取りました。
人生の最後に自分人生に価値が無かったと思い知らされる恐怖
人間は誰もが『価値がある人生』を送ってその一生を終えたいと思っている。
それは『自分の育てた家族』であったり『社会に対する貢献』であったり『常人では成し遂げられない偉業』であったり、その形は人それぞれではあるが『価値ある人生』とは一夕一朝で成せるものではない
それを成し遂げる為の階段を毎日一段一段登ってゆく地道な日々の積み重ねなのだ。
努力を重ね、成長と反省を繰り返し、日々の積み重ねを成し遂げた者だけが『価値ある人生』を終える事ができる。
しかし、人生が終盤に近づき自分の人生を振り返った時、今まで積み重ねた日々が『間違っていた』『勘違いしていた』ことに気付いてしまったとしたらどうだろう?
それに勝る絶望は無いのではないだろうか。
立派に成長し、自分の事を尊敬してくれていると思いこんでいた子供の愛情が実は勘違いだった…
共に人生を過ごした愛すべき伴侶から本当は愛されていなかった…
この映画は人生の黄昏に差し掛かった老人が何十年と信じ続けてきた『自分の人生の価値』が本当はハリボテのイミテーションであったと思い知らされる地獄巡りの旅を描いた映画です。
傲慢の罪に対する罰は『孤独』恐ろしい、恐ろしい、物語…
しかし、この映画は絶望だけでは無く最後に微かな希望を残して終わります。
人生、『もう間に合わ無い』なんて事は無い、これから、今すぐにでも自分の生き方を見つめ直し、他人の為に『すべき事を成せ』
時間を戻すことは出来ないけれど、自分のあるがままを受け入れてゆく事はできる
そうすれば笑って人生を終える事もできるんじゃないか?
…僕にはこの映画がそう呟いているように感じました。
スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンの1957年製作の作品ですが、そのメッセージ性は古びる事なく、今も人の価値観を揺さぶる名作だと思います、お薦めです!
ワシにはまだ早い
デヴィッドリンチやイニャリトゥ、フェリーニなど、多くの映画作家に影響を与えた作品として知られているため鑑賞。
モノクロの映像が美しい、って所までは行った。笑
カメラは殆どフィックスだけどたまにドリーとかある。時代柄というのもあるけど、変にカメラを動かさないから、役者の配置とかに集中出来るんだろう。照明や構図などバチッと決まってるなぁという印象。
物語自体は、おれにはまだ早いかな…
老人が今までの人生を振り返り、自分の誤りに気付き、最後に改まって人に親切にする、という…
まだ20代のワシには早すぎるのぉ。
あのSF作品の元ネタがこんなところに
回想、夢、旅の途中で出会う人々。三つの次元で老人の物語が語られる。
最初の夢のシーンの印象は強烈。誰もいない街路に、樹木と街灯の影が横たわっている。そのうち街灯の影はカメラが動いても形や長さを変えない。これは街灯に陽が当たって形作られた陰ではなく、実際にはセットの書割に描かれた絵である。この効果は大きく、モノクロの映像で非現実的な雰囲気を出すことに貢献している。
また、ラストの授賞式のシークエンス。荘厳なファンファーレが鳴り響き、ホールに厳粛な雰囲気が満ちる。主人公を囲む人々の晴れやかな表情。老人がおのれの人生への評価を、否定的なものから変化させていくシーン。似たようなシーンを30年後の作品で観た。ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」第一作のラストの元ネタは恐らくこの授賞式であろう。
21世紀に入っても、映画が描く人間には大きな変化はない。探せばもっとほかにも元ネタがあるのかも知れないが、そんなことよりも、ベルイマンの描く人間の姿を凝視したい。
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