南部の人

劇場公開日:

解説

デイヴィッド・L・ロウ、ロバート・ハキム共同製作でジョージ・セッション・ペリーの原作「秋を手のうちに」より監督のジャン・ルノワールが脚色監督した1945年度作品。ルノワールは「どん底」その他で知られたフランス映画の巨匠。主演は新人ザカリー・スコットと「肉体と幻想」のベティ・フィールド。撮影は「歌へ陽気に」のルシエン・アンドリオが担当。音楽はウェルナー・ジャンセン。

1945年製作/アメリカ
原題:The Southerner
劇場公開日:1946年12月

ストーリー

サム・タッカーはアメリカ南部の移動農業労働者だった。彼の土への愛情は、叔父の死を契機に独立農たらんと決心させた。彼は親方から3年間耕作されなかった河岸の土地を借り受け、祖母と妻と子供2人を連れて見る影もないろう屋に移って来る。妻のノーナはまずストーブに火を入れて我家の楽しさをつくり出そうとするのだった。祖母は年寄りの気難しさから何かにつけて愚痴をこぼすがノーナやサムの取りなしで段々にその生活になじんでいった。サムはまた事毎に隣人のヘンリー・デイヴァーズの反発を受けなければならなかった。デイヴァーズは凶作、洪水、妻の死等打ち続く不幸に性質が気難しくなってしまっていた。だが彼にも楽しみはある。それは近くを流れる河に住む鉛筆と呼ばれる一匹の大鯰を捕らえる事だった。彼は毎日その釣鉤を作るのに多忙だった。サムはノーマと共に終日荒地で働いた。そして春の訪れと共に種まきもすっかり済ますことが出来た。だが秋から春にかけて狩猟と漁獲のみによる偏った食生活から、男の子のジェットが恐れていた春熱病に冒される。『新鮮な野菜、果物、牛乳等を充分とらなければいけない』と医師は言った。両親の心痛、わけてもノーナの悲嘆は絶望的だった。だがサムの母親が手伝いに来てくれた事やその母親を愛する乾物商のハーミーが1頭の乳牛を贈ってくれた事が、サムやノーナに再び土に生きる気力を蘇らせた。ある日、サムはデイヴァーズの家畜が自分の野菜畑を荒らしているのを見てデイヴァースをとがめた事から、日頃の反感が爆発し二人は激しく闘う。闘い勝ったサムが河で傷口を洗っていると、彼の仕掛けた釣糸がぐんぐん引かれるのに気がついた。まさしく「鉛筆」だ。サムの背後に忍び寄り猟銃の狙いをつけていたデイヴァーズも、銃を捨ててサムに協力し遂に大鯰をしとめることが出来た。デイヴァーズはこの獲物を貰い受け、その代り自分の野菜畑の野菜を全部サムに提供した。秋が廻ってきた。サムの農園も棉が見事に実っていた。彼と妻の努力がいよいよ報いられようとしているのだった。ある日、サムの母とハーミーとの結婚宴が人々の心からの喜びの中に弾んでいた。その最中大雷雨が来襲して、サムの農園は見る影もなく洗い流されてしまう。サムは落胆のあまり彼の親友テイムから話があった工場の働き口の事を真剣に考えてみた。だが妻ノーナは祖母を励まして吹き荒らされた家を整理しストーブの火を赤々と焚きつける。それを見たサムの心にも農園再建の勇気と確信が再び燃え上がってきた。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第18回 アカデミー賞(1946年)

ノミネート

監督賞 ジャン・ルノワール
作曲賞(ドラマ/コメディ) ウェルナー・ジャンセン
音響録音賞  
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映画レビュー

4.5テキサスで撮影したんじゃないんだ!

2023年1月20日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

この映画は1945年の映画で、当時、小作農から自分の土地を持つというのは白人だからできたことだろう。テキサスが舞台の映画らしい。当時、どこで撮影したのだろか気になって調べてみたら、カルフォルニア州の農業地域、サンワキンバレー(San Joaquin Valley)であると。あとはロスの映画撮影所。テキサスだと思っていたので期待外れであった。

Madera, California, USA(cotton fields)
Millerton Lake, California, USA(Flooding scene)

1940年代、(日米は戦争中)だからねえ。南部をよく知っているというジェームス・エイジー(James Agee)のコメントだが、ジャン・ルノワール監督は南部の地域のことをよく描写していない。南部の人の性格、話し方、歩き方、顔の表情も全く表現できていないと。フランス映画の巨匠でハリウッドのスターを使った映画だからねえ。でも、それほど強くないけど南部のアクセントで話していると思うけどね。特にサムは。サムの体の体の動かし方、歩き方は確かに農夫じゃないね。私の理解ではテキサスは国だと思ってる人がいるくらいだから、誇り高いんだよね。

好きなシーンは家族の愛だ。でも興味のあるシーンは新参者、サムに冷たくするデイヴァーズとの二人の関係だ。デイヴァーズは家族を犠牲にして成り立ったその農場をサムのような開墾の苦労を知らない若者が助けを求めても助けてあげる気になれない。鼻っぱしの強いサムに対して、俺は『自助』でここまでやってきたんだ。妻や子供を病気で失った気持ちはお前のような新世代のものにはわからないよとでも言いたけな調子だ。それに、自分が買おうとしていた土地をサムが手に入れたのも気に入らない。デイヴァーズは『鉛筆』と言われているナマズを仕留めること。これは彼のやりたいことでまだ達成できないことなんだ。家族を犠牲にして苦労して農家としては成功したけど、彼の夢だと言えることは川の主、鉛筆を彼の手でしとめること。デイヴァーズはサムを撃ち殺そうとしていたが、釣り糸の動きを見て、銃を捨てて、サムに近寄っていく。「手伝おうか」といいながら、サムの後ろを回ってまるで友達のように、釣り糸に手を伸ばすデイヴァーズはもう今までのかれとは違って、輝いた目をしていた。綺麗な目だった。サムに協力して仕留めたが、交換条件を出して、自分が仕留めたことにしてもらいたがる。単純なとも思ったが、これがデイヴァーズの夢だったんだよ。サムにとってのナマズの価値はデイヴァーズとは違う。この共通であるが、価値観の違いで、二人はこれからも繋がっていく。もちろん、デイヴァーズは罵るかもしれないが、ナマズの件があるから下手に出ると思うよ。ナマズの取引がデイヴァーズを変えた。だけでなく、サムも。

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Socialjustice

4.0ルノワールのアメリカ映画の秀作

2020年5月4日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

貧しい者の苦難の生活を題材にしている点で、ヴィスコンティの「揺れる大地」を想起させる。といってリアリズムより、当時のハリウッド映画のアメリカヒューマニズムの色彩が強く、深刻な生活苦の暗鬱さより、アメリカヒューマニズムとルノワール演出の豊かさを味わうことが出来る。特に主演のザカリー・スコットとベティ・フィールドの演技が魅力的で、この時代のアメリカ映画では見ることのない、男女の色気と艶が滲み出るところは流石ルノワールと感嘆してしまう。
20世紀初頭の未開の大地の開墾は想像を絶する。困窮を極めた食糧事情のなか子供が栄養失調になるエピソードがあるが、ごく一般的な事柄であったのだろう。それら弱い者へ対するルノワールの視線は常に優しく温かい。

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Gustav
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