嘆きの天使(1930)のレビュー・感想・評価

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5.0デートリッヒ実質的映画初出演作品です しかしそれよりもエミール・ヤニングスの鬼気迫る圧倒的な演技力 それをさらにひきたてる初期トーキーの演出にご注目

2023年9月24日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

嘆きの天使
1930年4月公開、ドイツ映画
白黒トーキー作品

フランスのルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下 」の3ヶ月後の公開

欧州でのトーキー映画はこの1930年頃から本格化しました

本作もその代表的な作品です

劇伴奏がありません
わざと劇伴をつけないという演出では無さそうです
劇中でだれも音楽を奏でていないシーンなのに、音楽が流れるのは、不自然に感じていたのかも知れません

サイレント映画の時代なら楽団が音楽をつけていたかも知れませんが、トーキー映画で演出の一環として声や効果音と一緒に劇伴音楽も入れておいた方が盛り上がるという発想がまだなかったのかもしれません

その代わり、ドアを開け閉めするとホールの音楽などの騒音が響いたり、無音になったりするのです
しかもドアの開け閉めの効果音と一緒に
これはサイレント映画の楽士にはできない芸当です

しかもデートリッヒのセクシーな歌唱がナイトクラブのステージシーンとして展開されるのです

また学校のチャイムが遠くから聞こえるもののように臨場感を高める為の効果音の工夫が凝らされています

これらはサイレントでは不可能な、トーキーならではの効果を追求しようというものだと思います
これは「巴里の屋根の下」と同じトーキーへのアプローチだったと思います

これらが、主人公のラート先生の胸が潰れそうな哀れな転落のドラマを観客に没入させる効果を大きく発揮しているのです

クライマックス
手品の助手としてピエロに扮して、かっての教え子達、町の人たちに己の転落した姿をさらします
哀れラート教授は夜の誰もいない真っ暗な、かっての自分の教室の教壇に顔を伏せ、教壇の縁を二度と離しはしまいというふうに固く握ったまま息絶えてしまうのです

これを演じるエミール・ヤニングスの鬼気迫る圧倒的な演技力を、これらの音の効果がさらに倍増させているのです

監督はジョセフ・フォン・スタンバーグ
この人はウィーン生まれ、子供の頃に家族と共に米国に移民したもの3年で帰国、14歳になって今度は一人で渡米
職を転々としたのち、ハリウッドの映画製作の仕事にありついて、1927年頃にはなんとか監督で映画を撮った人物
それでドイツ映画界のプロデューサーの目にとまり本作の監督に抜擢されたそうです
35歳でした

エミール・ヤニングスは、スイス生まれで、ドイツで名演劇人となり、ハリウッド進出して1927年、1928年と連続してアカデミー主演男優賞を獲得しています
しかしトーキー時代となり、彼の強いドイツ語訛りでは米国では最早やって行けずドイツに帰ります
それで本作に出演したという流れです

そして女優はマレーネ・ディートリヒ
本作出演時28歳
有名演劇学校出身の舞台人
1923年に映画に出演していますが、実質的には本作が初です
彼女の舞台をスタンバーグ監督が見て抜擢したそうです

彼女が演じたローラローラ
前半はおとなしく見えますが、後半になって行くほど、彼女は輝き出します
それがデートリッヒ、彼女の本性、素のままの姿なのでしょう

本作の時は、まだ普通の肉付きがあり、彼女を思い浮かべたときのイメージの鶏ガラみたいに痩せた体型ではありません
「100万ドルの脚線美」も健康的な太ももです
しかしこんな明け透けな下着姿は当時とすれば過激な映像で強烈な印象を与えたのでしょう
現代人の目からするとなんということもないものなのですが

彼女は本作で大ブレイク
ハリウッドに監督とセットで招かれて以後大ヒット映画を連発して世界的大スターになるのはご存知の通りです

ローラローラは悪女なのでしょうか?全然悪くないと思います
元からそんな女なのですから
勝手に精神を病んで衰弱していったのはラート先生なのです
一目見ただけで男の人生を破滅させるファムファタル、運命の女
先生にとって彼女はそうだったのです
出会ったことが不幸だったのです
いや写真を一目見たことが不幸の始まりでした
ファムファタルとはそれほど恐ろしいものなのです

でもローラローラには自分がファムファタルであるという自覚はないのです
先生にはオンリーワンの女性に見えていても、他の男性にはそうではないのですから
終盤の浮気相手にしても彼女を遊び相手にしか見ていないのです

女性のあなたも、いつか誰かのファムファタルになるのかも知れません
お相手を破滅させるのか、そうでないのか
その時初めて自分がファムファタルなのか分かるのです

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あき240

4.0タイトルなし

2023年3月21日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

バッドエンドじゃ〜〜〜!
マレーネ・ディートリヒのローラ、無学ではあるかもしれないが無知ではなく、かと言ってドメスティックな逞しさもなく、セクシーだが肉体性はあまり感じさせない、不思議な存在感である。
しかしそれは、学問とギムナジウムの世界しか知らぬラート教授とて同じようなもので、教授の場合、無学ではないが無知であった(世間知がなかった)ということであろう。

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ouosou

4.0ディートリヒの退廃的な魅力と名優エミール・ヤニングスの圧倒的な演技の表現力

2023年3月12日
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鑑賞方法:DVD/BD
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Gustav

4.0水商売の女に惚れるな!

2021年2月7日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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kossy

4.0悪女のせいではなく自ら破滅していった男の話

2020年12月7日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

この映画の超要約的ストーリーとしては、
悪女に翻弄されて破滅していく男の話として
紹介されることが多いかと思うが、
何十年ぶりかで再鑑賞して、
違う印象を持った。

多分、彼は自ら破滅していったのだろう。
彼が社会的に認知されるのは
教授の地位があってのことなのに、
踊り子に熱を上げ過ぎて教授の地位を失う。

踊り子も、彼の自分を真剣に守ろうとする
姿勢に共感した部分もあったろうが、
結婚を受け入れたのは彼が教授だった
との要因も欠かせなかったろう。

だから、彼女は社会的地位も収入も失った
彼の代わりに他の男性に興味が移った
だけなのだから、
必ずしも彼女が悪女とは言えないだろう。

結婚当初、彼女は、教授の地位を失った
彼の状況を理解していたにも関わらず、
彼は自らの知性を活用すべき行動も
起こさない。
そしてヒモのような立場から、終いには、
元教授の道化師という客寄せ的役割を
受け入れられず、破滅する。

理性が感情に完全に敗北した
瞬間だったろうか。

彼は、彼女からの受動的な要因で破滅
していったのではなく、
自らの主体的な要因により破滅していった話
として認識し直した再鑑賞となった。

この手の話の原点みたいな映画で、
今となってはストーリーに新鮮さはないが、
デフォルメの効いた構図と陰影の
ドイツ表現主義を強く感じさせる要素満載
で、飽きずに鑑賞出来た。

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