チャイナタウンのレビュー・感想・評価
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街の闇、2人の女、歯牙無き男の足掻き。
やられましたね。名作と言われるだけあります。何でしょう、演出や音楽、美術など映画を構成する全ての要素が相乗効果で唯一無二の退廃的かつ妖しい世界観を作り出していて、そこで展開されるストーリーが極上。街に潜む巨悪の陰謀に巻き込まれていく私立探偵=ジャック・ニコルソンはビジュアルはアレでも醸し出す雰囲気に魅了されてしまいますね。でも全てはジョン・ヒューストンでしょう。登場シーンは僅かながら不気味過ぎました。
自分の中ではL.A.コンフィデンシャルに次ぐ、ハードボイルドの傑作です。
アメリカ史上最高のミステリー
日本ではそこそこの評価ですが、アメリカでは不朽の名作扱いです。
全体的な印象は静かなハードボイルドの印象です。
常にニコルの旦那の視点で描かれ、他の人物の視点は排除されています。
ポランスキー先輩独特の乾いた画面に高級感が漂う映像造形が秀逸です。
ミステリーですがストーリーは単純でスリラーやサスペンスは希薄ですので、独特の映像感覚を堪能する作品です。
確かに脚本がしっかりしていた
私立探偵物で、ハードボイルドなタッチ。テンポはゆったりしているが、弛緩がなく、序盤から細部や人間関係を覚えていないと理解しがたい。水道局の部長、夫モーレイの浮気調査を依頼してきた夫人が偽物で、浮気現場の写真を撮るが、ゴシップ誌に勝手にリークされ、本物の夫人が訴えに訪れる。誰の仕業か暴こうとしていたら、モーレイが溺死体で発見される。真相を暴こうと調査を進めると、ロスに水を引くためのダム建設で夫人の父とモーレイが対立していたことが判明し・・・という映画。
脚本がしっかりしていて、推理小説とハードボイルドを足して2で割ったような映画。脚本がいいので、奥深い事情をもった夫人を演じるフェイ・ダナウェイと、それに対応する私立探偵ジャックニコルソンの演技も見どころ。ストーリーがよく練られていて、セリフも洒落や皮肉がよく効いている。レイモンド・チャンドラー的な世界であった。
ラストは、なんともやり切れないハードな終わり方。私立探偵が愛する妻を守れなかったトラウマを抱えているのがチャイナタウン。チャイナタウンは、治外法権的な街だったらしい。ロマン・ポランスキーもハリウッド、愛妻が惨殺されているらしい。この映画の監督をするって、すごいトラウマを乗り越えたのだろう。
【”怠け者たちが集う街で起こった悲劇。”有名原作なしのオリジナル脚本で、この作品レベルには脱帽である。】
■第二次世界大戦前の南カリフォルニア。
私立探偵ジェイク(ジャック・ニコルソン)は、ダム建設技師モーレイの妻を名乗る女性から、夫の浮気調査を依頼される。
早速、調査を開始したジェイクだったが、やがて彼の前に本物のモーレイ夫人(フェイ・ダナウェイ)が現れる。
◆感想
・初鑑賞であるが、2023年に観ても特に衝撃の後半のストーリー展開には魅入られる。
・町の実力者ノア・クロス(ジョン・ヒューストン)が行っていた悪辣な事実と、それの報いを受けたモーレイ夫人の姿。
<ジャック・ニコルソン演じる私立探偵ジェイクが、真実に近づいて行く様も佳き作品である。
ロマン・ポランスキー監督。自らの家族に起きた悲劇を乗り越えて、秀作を作り続ける姿には畏敬の念を抱きます。>
「なるべく静観」
世上は冤罪との声もありますが、ケネディ大統領の暗殺犯として警察当局に逮捕されたオズワルドは、その第一声を取材しようとして押し寄せたマスコミ記者に対して「どなたか私に法的な支援(リーガルアシスト)を」と叫んだと聞きます。
英米では、それほど問題の法律的な解決ということが市民の間に根づいていることに比べ、日本を含む東洋系の国では、当事者間の話合いや、いわゆる「顔役」による調停によって問題を解決しようということが、令和の今でも広く行われています。 (ちなみに、各都道府県には一以上の国立系大学がありますけれども、そのほとんどが「ものつくり」に関連する工業系の学部が中心で、少数派の中でも単独の法学部を擁しているものは、更に指を折って数えるほど。先進国でありながら、今の日本でも、それほどリーガルサービス、ないしは、その前提となる法学教育が軽視されている。)
まして、当時(1930年代)のチャイナタウンにしてみれば、アメリカ国内とはいっても、同じような状況で、当時のアメリカ人には、奇異な社会に見えたことは、想像に難くありません。
おそらくは、その「不可解さ」がロス市警当局をして「なるべく静観」という態度をとらしめたのだと思います。評論子は。
高級官僚による、ありふれた単なる浮気調査だったはずが、どんどんと利権の渦に巻き込まれていく様には「痛い」ものがありましたが、そのお陰様で、2時間を超える長尺映画であったにもかかわらず、疲れることなく、十二分に感情移入しながら見入ることができました。
面白い一本であったと思います。評論子は。
(追記)
必ずしも法律や形式的な正義に束縛されない私立探偵のギデスとしては(警察官時代はいざ知らず)、チャイナタウンでの出来事について「なるべく静観」という態度に出たことは、本件の場合については無理からぬかなぁと思います。評論子は。
同じく私立探偵としての設定では、『ゴーン・ベイビー・ゴーン』のパトリック探偵(ケイシー・アフレック)がああいう判断をしたこととは好一対かなぁとも思います。
どちらの場合にも、考え方には、賛否の両論があるとは思いますけれども。
見終わって、そんなことにも思いの至った一本になりました。評論子には。
もう忘れろよ、ジェイク。ここはチャイナタウンなんだから。
映画史上においてハードボイルド映画として「マルタの鷹」「L.A.コンフィデンシャル」らと並ぶ最高傑作の1本ではないでしょうか。退廃ムード漂う1930年代のロサンゼルスを背景に、私立探偵を演じるジャック・ニコルソン、悪魔的な町の実力者を演じるハードボイルドの始祖ジョン・ヒューストン、そして何よりも異様な輝きを持った瞳で宿命の女を全身で演じきるフェイ・ダナウェイさんが素晴らしいです‼️彼女がニコルソンに殴られながら「妹よ、娘よ、妹よ・・・」と繰り返しながら告げる衝撃の事実には、本当に戦慄させられました
字幕という試練
フォレスト・ガンプでもそうなのですが字幕の良し悪しで映画の評価がガラリと変わってしまうのは残念なことです。この「チャイナタウン」はひねりにひねりを効かせたシナリオと、登場人物の演技のうまさに支えられ、日本語字幕でも見劣りしない作品なのですが、字幕にあと一工夫あればさらに名作の名に劣らぬ出来映えになったのではと思うのです。
一例をあげましょう。水道局長モウレイ邸の庭にある池の手入れをしている中国人とおぼしき庭師の男性が水質が草に悪いとぼやきます。その発音が悪く Ba fo gla などと(正確にはBad for the grass)ピジン・イングリッシュで私立探偵のギティスに語りかけます。 ギティスは草である grass とガラスである glass の区別ができない中国人なんだと苦々しく「そうだ、もちろん 草に悪い」と返すのですが、わざとらしくthe glass と発音するのです。どうせ中国人には英語の発音などわからないからどうでもいい、という軽い蔑視が感じられるシーンですが、字幕は「草に悪い」で片付けています。
この池のシーンは殺人事件の鍵となる重要な場面で一工夫がほしかったところ。ギティスは池の底に光るものを見つけ庭師に拾わせるのですが、それが殺された水道局長の眼鏡(glasses)だったのです。ということは、庭師の発音は最初から眼鏡を示唆していたことになるので、それを少し反映させた訳語が 望ましい。例えば草を環境に変えてその上にルビを「ガンキョー」とふって画面にのせてみる。ギティスが二度目にモウレイ邸の池で同じ庭師を見て挨拶がわりに「ガンキョーに悪いね」という字幕であれば、可笑しさとその直後の池の底にきらめく眼鏡とつながるシナリオ通りの理解につながるのです。
もうひとつは、ギティスが過去にチャイナタウンへ左遷されたことをモウレイ夫人が知るところ。チャイナタウンで何をしていたの?と聞くとギティスは「できるだけなにもしなかった」と言います(英語はAs little as possible)。これが字幕では「怠け者さ」になっていたから驚きました。この台詞は最後の最後、モウレイ夫人が撃たれて死ぬのをギティスが目の当たりにしてもう一度やるせなくAs little as possible と呟くのですが、字幕は「怠け者の街さ」と、チャイナタウンを揶揄するような捨て台詞なので驚きがショックになってしまいました。
チャイナタウンの特殊性が反映されていないのが原因でしょう。アメリカの大都市にはどこにもあるチャイナタウン、そこに勤務する警察はなかば治外法権という別世界にいるようなもの、左遷状態でなにもしないしできない、というジレンマに陥ります。人殺しがあっても見てみぬふりをきめこむ、そんな別世界で起きた、恐らくは女性がらみの事件に何もできずにいたギティスを再び襲うこの悲劇に怠け者という字幕はいかがなものでしょうか。
せめて「何もできない…」くらいの絶望感があってほしかった。わたくしは個人的に「見て見ぬふりか、また…」と入れたくなります。
わたくしが見たチャイナタウンは、「カサブランカ」で名訳ぶりを発揮したあの方の字幕だったのでショックは大きい。嘘だろうと思って何度も字幕を追ってみましたが…。
誤訳ではないにしろ、この仕事の大変さと責任の重さに耐えるのは並大抵のことではなさそうです。特に映画が素晴らしければその分だけ責任重大ということになります。
後味は悪いが
全編ジェリー・ゴールドスミスの音楽が素晴らしい。クラシックカーとともにこの音楽がこの映画の時代感を醸し出している。特に主旋律を奏でるトランペットのメロディがこの映画の結末の侘しさを物語っている。ポランスキーの映画は傑作も多いが、大体において後味が悪い。この映画も例外ではなかった。サスペンスとしては面白かったが、最後に死ぬべき(殺されるべき)はイブリン(フェイ・ダナウェイ)ではなく、父親(ジョン・ヒューストン)の方だろう。
存在感抜群のジャックニコルソン
ジャックニコルソン扮する私立探偵ジェイクギテスのところへモウレー夫人が水道電力局長の夫の浮気調査依頼でやって来た。ジェイクは、時間も費用もかかると言ったが、夫人はかまわないと応えた。ジェイクは、ダム建設に反対のモウレー局長の尾行を始めた。盗み撮りした写真が何故か新聞に載ってしまったが、それを見てフェイダナウェイ扮するもうひとりのモウレー夫人が現れた。しかし、モウレーは遺体であがったのでジェイクは調査を始めたところ鉄砲水で襲われ、かぎ回るなと2人組に脅され鼻を切られた。またモウレー夫人も何か隠してる様だった。ジェイクは、警察が事故死と判断したが、他殺と断定。果たしてジェイクは真相を突きとめられるのか? なかなかのミステリーだったね。さすがジャックニコルソン。フェイダナウェイとともに存在感抜群だったね。
推理小説を読み進めるように引き込まれる
ジャック・ニコルソンが、信念を持って行動する私立探偵ジェイク・ギテスを、フェイ・ダナウェイが魅惑的な人妻イヴリンを、主演の二人が魅力的に演じていた。
徐々に真実が解き明かされる展開と、ロマン・ポランスキー監督ならではの上品さ、見応えが有りました。
「トム・コリンズをライムで」
BS - TBSを録画にて鑑賞
法廷に羊!
単なる浮気調査のハズだった。しかし、愛人がいるとわかり記事になった直後に本物の妻(ダナウェイ)から訴えられる。なんとか訴訟は取り下げたものの、当の水道局局長が溺死体となって発見されるのだ。
鼻を削ぎ落とされそうになってから、俄然捜査意欲を増したジェイク。男気を感じます。モウレーとクロスが共同で水道局を所有していたとか、現在(2021年)では日本が水道を民営化しようとしているのも疑惑だらけ。胡散臭いことがいっぱいだ。
しかし、この映画は社会派ミステリーというべきものなのでしょうか?単なるハードボイルドといったイメージしか残らないのですが。とりあえず、ニコルソンの鼻が痛々しい・・・
見ないことをおすすめする
むちゃくちゃ後味悪いラストシーン。話が入り込みすぎていて何をやってるのかよく分からなかった。誰と誰が事件に関与してるのかわからない。警察はどのレベルまで買収されているのかとか FBI に連絡すればイチコロじゃないのかとか、マスコミに知らせた方が面白いんじゃないかとか、あいまいな余地が多すぎる。これだけ規模のでかい陰謀なのに黒幕の一人が自分で殺人やったワケ?
まあ見所と言ったらジャックニコルソンの演技と音楽かな。
タイトルなし
WOWOWのジャック・ニコルソン特集に合わせて彼の出演作品をまとめて鑑賞中。
ジャック・ニコルソンと義理の父親の共演。
また、ジャック・ニコルソン自身の境遇と重なる少女(姉と思っていたら生みの母親だった)。
映画の背景を知って鑑賞すると感慨深い。
横溝正史?
サム・シェパードやフィリップ・マーローなど私立探偵ものの人気は根強い、警察官と違って物差しは善悪だけでなく情にももろい、何よりルールは自身にあると言った一匹狼的な刹那と哀愁が持ち味、本作もその雰囲気、流れに沿ったオーソドックスな探偵もの。
よくある浮気調査と引き受けた軽い案件だった筈が予想外の展開、謎解きは探偵ジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)の視点で描かれるから観ている方も小さな証拠でも見逃さないように必死で画面を追ってしまう、まさにミステリーの王道です。
(ここからネタバレです)
ただ観終わってみると実際にロスは水の問題で苦しんでいた史実をダム建設を巡る陰謀に仕立てて大風呂敷を広げたのはいいがあの顛末ではまるで横溝正史のようなドロドロ感、殺し屋も演じているポランスキー監督には申し訳ないがどうみてもチンピラ風情で怖くない、かっての同僚の警部補も馬鹿丸出し、不条理なお涙落ちは好みの分かれるところでしょう、ただ劇中の唐突に鳴ったクラクションが伏線だったとはやられました。
チャイナタウンというタイトルは場所というより不条理の代名詞として使われているようです、30年代のロスのチャイナタウンがどうだったのか知らないので、いまいち理解に及びませんでした。
脚本のお手本と言われている映画
ダム建設をめぐる利権の黒幕が、娘むこを殺害する。過去の忌まわしい過去も次第に明らかになる。そのミステリーを追う私立探偵役がジャックニコルソン(当時37歳)。
誰が殺したのか?という疑問が観客自身が解いていくような展開が秀逸。最後の辺りまでは娘が殺したんでしょうと思わせつつも、最後は黒幕が犯人だ!と思わせる。脚本がすばらしい。
計算されたダイアローグと掴みどころのない真実。
○作品全体
真実に近づこうとするほど真実がどこにあるのかわからなくなる。
この作品は主人公・ギテスと事件の関係者とのダイアローグによって形成されていて、相手の真意や本当に伝えたいことをギテスがどのように解釈し、別の人物にその解釈をどこまで示すのか、その駆け引きが見どころだと感じた。なにげない会話においても主点となるのは人物の真意であり、そのキャラクターの設定については会話の流れの中で、撫でるように触れられるだけだ。
ギテスが元警官であったこと、そのときにチャイナタウンと縁があったことは物語が進む中でも活かされる設定であったが、ギテスが元警官だという設定を中心としたダイアローグは繰り広げることなく、知り合いの警官と会ったときに元同僚としてのスタンスでの会話の中で出てきた情報から、視聴者はギテスを元警官だと理解する。キャラクターの肩書に物語が振り回されるのではなく、物語にとって必要なときに肩書が使われる、といった関係性が全編通してあるからこそ、ダイアローグは単調なものにならず、なにげない会話に濃密な情報量が入っているのだと感じさせる。
そしてその情報量が、それぞれの語る「真実」が「真実なのかもしれない」と思わせる根拠になっていて、だからこそ正しい真実は非常に掴みづらい。ギテスのダイアローグもほとんどなく、少ないダイアローグと人物の行動の痕跡だけを頼りに物語を追いかける視聴者側も、まるでチャイナタウンにはびこるウヤムヤの中を進んでいる感覚になる。ただ、その「先の見えなさ」こそがこの作品の狙いだと思うし、先が見えない面白さこそがこの作品の醍醐味。たどり着いた結末が暗闇だからこそ、真実がどこにあるのかわからない空気感がより印象的なものとなっていた。
○カメラワークとか
・カメラと人物の距離感が物語の進行と重ね合わされていたと思う。モーレイやその周囲を探る序盤はロングショットが多い。ダイアローグが少ないということもあるし草葉の陰から覗くシーンが多いというのもあるが、真実がどこにあるのか、まだ推測するところまでも辿り着いていないようなカメラと人物の距離。中盤はダイアローグが中心となることもあってバストショットが多くなる。ただダイアローグではないところでもカメラは一定の距離から離れず、空間全体を見せるカットは少なかった。ギテスの頭の中で真実が浮かび上がってきていることを感じさせる距離感。そしてラストシーンでは一気にカメラが引いていき、ギテスは画面奥への闇へと消えていく。掴みかけた真実が、モーレイ夫人の死とともに闇の中に消えていってような、そんな画面。
○その他
・モーレイの死体を確認したモーレイ夫人が、開かれたドアの前で警官と話すシーン。死体が置かれた部屋へ通ずるドアと出口のドアが開け放たれ、その間で話すシーンは、モーレイ夫人にとって「モーレイ」から「ギテス」へ繋がるドアでもあるように見えるし、モーレイ夫人の置かれた立場を鑑みるに、精神的な「死」から「生」へつながるドアでもあるような。立ち話をするにしてもかなり特殊な立ち位置で、この作品における数少ない開かれた空間だったので印象に残った。
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