会議は踊る

解説

オペレッタ、音楽劇の演出家として聞えているエリック・シャレルが招聘されて処女作品として監督したエリッヒ・ポマー・プロダクションで、「嘆きの天使」「予審」のロベルト・リープマンが「ワルツの夢」「東洋の秘密」の時と同じくノルベルト・ファルクと協力して脚本を書卸し、「ガソリン・ボーイ三人組」「女王様御命令」のウェルナー・R・ハイマンが作曲し、「愛国者」「ハンガリア狂想曲」のカールホフマンが撮影に当った者。主なる主演者は「ガソリン・ボーイ三人組」のリリアン・ハーヴェイ、「女王様御命令」「愛国者」のヴィリー・フリッチ、「旅愁」「最後の中隊」のコンラット・ファイトを始め、「ハンガリア狂想曲」「白魔」のリル・ダゴファー、「O・F氏のトランク」のアルフレッド・アベル、「泣き笑ひの人生」のオットー・ヴァルブルグ、「女王様御命令」のパウル・ヘルビガー、「予審」のユリウス・ファルケンシュタイン等である。無声。

1931年製作/ドイツ
原題:Der Kongress Tanzt

ストーリー

一八一四年ナポレオンのエルバ島流嫡と共にワルツの都ウィーンには平和の春が再来した。知謀に長けたオーストリア宰相メッテルニヒは折もよしと欧洲各国の代表をウイーンに招いて、奈翁なき後の欧洲の覇権を握ろうと企てた--所謂ウイーン会議である。ロシアの賢者アレキサンダー三世を始め、サクソニア王、土其古のサルタン、スウェーデン王、プロシア侯等々の王侯の行列が日毎ウィーンの街を彩り、歓呼の声、三鞭酒抜く音に花の都は湧き立った。その騒ぎをよそに宰相メッテルニヒは熱い珈琲を啜りながら一人静かに苦肉の秘策を凝らしていた。ウィーン一の花をとめ、手袋屋のクリステルは音に聞くロシアのアレキサンダー太公に少女らしい憧れを抱いていた。彼女は太公の行列がウィーンの市街に入った時、花束を太公めがけて投げ捧げた。爆弾!と警固の役人は肝を潰したが、美しい愛の花束と判明して安堵した。しかし国賓を驚かしたる罪軽からずとあってクリステルはお尻に鞭刑二十五を受けることとなった。憤慨して牢屋の中で太公の悪口を吐いているクリステルの許に一人の姿優しい高位の役人が現れ、黙って彼女の悪口を聞き、彼女の容姿を眺めていた。その夜クリステルは鞭刑を赦され、かの高位の役人らしい人に伴われホイリンゲンの酒場へ行った。心を浮き立たせるワルツの楽音と香ばしい新酒--そこでクリステルはアレキサンダー太公その人に抱かれて幸福に酔っていたのである。メッテルニヒの深謀は効を奏してウィーン会議はいつか舞踏会と変じてしまった。列国の王侯達はワルツに酔って、ともすればウィーンに来た目的さえも忘れ勝ちだった。メッテルニヒはほくそ笑みながら自分勝手な條項を決議した。唯一人彼の思うままにならないのはアレキサンダー太公だった。太公は瞳の美しい伯爵夫人、美しい手袋屋の娘、と両手に花のロマンスを謳われながらも、会議には必ず粛然と姿を現した。そしてメッテルニヒを向うに廻して堂々と論を戦わした。メッテルニヒはその度に眉をひそめた。ウィーン会議が最高潮に達した一夜--即ち豪華を極めた舞踏会の一夜、汗にまみれた急使がメッテルニヒの前に立った。それは奈翁のエルバ島脱出の報だった。メッテルニヒが苦策を弄してのウィーン条約も奈翁の鉄蹄の下に再び蹂躙されるのだ。欧洲はまた戦太鼓が響き渡る戦場と化するのだ。一世の伊達者、芸術と華美の擁護者メッテルニヒは天を仰いで長大息を洩らした。クリステルと夢の様な歓楽にひたっていた太公の許にも同じ急報が伝わった。何も知らぬ女は明日を約する。大公は優しく接吻して、たださようならと云って置こう、と彼女に別れを告げた。馬車に揺られて去る太公の後姿をクリステルはいつ迄も飽かず眺めていた。

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映画レビュー

5.0本作は従来のサイレント映画よりも音楽で優越し、映像で舞台オペラにも優越して、トーキー映画の大きな可能性を、当時のどんな作品よりも雄弁に語っているのです

2023年9月15日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

会議は踊る
1931年10月公開、ドイツ映画
白黒トーキー作品

会議というのはウイーン会議のことです
1814年9月1日から1815年にかけて、オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された国際会議のことです

議題は、ナポレオン戦争集結に伴う国境線の引き直しなどの戦後処理を決めること

参加者は当時の欧州列強の首脳です
会場はあの豪華なシェーンブルン宮殿
議長はオーストリア帝国外相メッテルニヒです

このウイーン会議は、各国の利害が衝突して数か月を経ても遅々として進捗せず、「会議は踊る、されど進まず」と評されたことで有名です
もちろん本作の題名はそこから採られたものです

物語は、このウィーン会議において会議の主導権を握ろうと、あの手この手を使うロシア皇帝アレクサンドル1世と、そうはさせじとロシア皇帝を会議から色仕掛けで欠席させて、その影響力を排除しようとするオーストリア帝国外相メッテルニヒとその若き秘書官、そしてその彼が口説いている手袋屋の女店員クリステルを軸にお話は進みます

ロシア皇帝にとっては、ひょんなことから見初めたその女店員との色恋など、 からかい半分の一時の息抜きでしかないのです
国際会議で他国を油断させるための都合のいい道具としか見ていません

哀れな女店員は、皇帝の別荘に囲われてすっかり舞い上がってしまうのです
捨てられることも知らずに

見所は、なんといっても二つの有名な歌の歌唱シーンです
ひとつはロシア皇帝とクリステルが居酒屋に繰り出して、そこで大勢の客が歌う主題歌「新しい酒の歌」のシーン

そしてもう一つは、「唯一度だけ」という歌が、中盤の馬車のシーンとラストシーンで歌われます

もしこの二つの歌をドイツ語で歌えたならどんなにカッコいいでしょう!
サビだけでもなんとか覚えたいものです

英米仏の映画は戦争前から段々と上映禁止になっていっても、ドイツは同盟国だったので本作は戦時中でもしばらくは上映されることもあったそうです

大学でドイツ語を習得していた当時の知識階級の人々の間ではこの歌を原語で歌える人もいたそうです
当時は特に医学はドイツ語がメインだったそうです

本作はトーキーの初期の名作で有名です
単にサイレントからトーキーに変わって声がでたところでどうということもありません
トーキーの素晴らしさを観客に訴求するには何よりも音楽の力であると本作は見抜いていたのです

居酒屋から皇帝とクリステルが帰るシーンで居酒屋の楽団が演奏する「軍隊行進曲」も音楽の力が発揮される名シーンです

フランスのルネ・クレール監督の初トーキー映画「巴里の屋根の下」は、1930年1月の公開で、本作より1年9ヵ月早いです
その作品では音楽を使うことでトーキーの魅力を発揮させています
本作はこれを手本に、さらに発展させたものといえます

そして音楽だけでなく、映像にも凄いシーンがあります
クリステルがロシア皇帝に招かれて馬車で郊外のお城のような皇帝の別荘に向かうシーンの映像の見事さは特筆ものです
街中の手袋屋の店先から商店街を抜け大通りを進み、やがて郊外の野道を走り、小川に掛かる石橋を渡る
その小川にはボート遊びする人がおり、小川沿いには洗濯に忙しい近くの村のおかみさん達
カメラはずっと馬車とクリステルをどこまでも追いかけていくのです
馬車を見送る人々は皆、「唯一度だけ」を歌い踊るのです
映画的な快感があるのです

こんなことは舞台セットのオペラでは到底できません
映画だからこそできる技なのです

つまり本作は従来のサイレント映画よりも音楽で優越し、映像で舞台オペラにも優越して、トーキー映画の大きな可能性を、当時のどんな作品よりも雄弁に語っているのです

これこそが本作を観る価値と意義と言えます

蛇足
ウイーン会議の会場はシェーンブルン宮殿ですが、この会議当時のウイーンは都市改造の40年も前のことです
なので、有名なリングシュトラーセもまだなく、街を城壁が取り囲んでいた時代になります
シェーンブルン宮殿自体は1750年頃完成していたそうです

蛇足その2
ウイーン会議の始まった1814年は、日本では江戸時代の文化年間でした
ロシア使節が長崎に来て通商を申し入れしたり、樺太で松前藩の番所がロシアに襲撃されたり、逆に国後島でロシア船を松前藩が拿捕したりしています
ロシア帝国はナポレオン戦争に勝ち、欧州だけでなく極東にも勢力を拡大しようとしていたのです
ウラジオストクなどのある沿海州が清国からロシア帝国に割譲されたのはその約45年後の1860年のことでした

蛇足その3
ナポレオン戦争は1803年から1814年の11年間欧州大陸全域を巻き込んで続きました
ナポレオンが皇帝になる前の1796年の第一次イタリア遠征から数えると18年もの間続いたのです

その大戦争も1814年4月6日のナポレオンの退位で終わり、彼はイタリア西海岸から30キロほどの地中海に浮かぶエルバ島に追放されて終結しました
なので本作はその4ヵ月半後の8月の終わり頃から始まることになります

本作終盤でナポレオンがエルバ島を脱出したと上を下への大騒ぎになります
ナポレオンの脱出は1815年2月26日のこと
本作では伝令が土埃まみれでシェーンブルン宮殿に駆け込んでそれを伝えます
ウイーンはフランスから800キロ以上もありますから数日後のことでしょう
本作の物語は1814年8月末から翌年2月末までの半年間のことになるわけですね

ナポレオンはその後どうなったかはご存知の通り
結局100日天下で、ワーテルローの戦いに敗れた後南大西洋の絶海の孤島セントヘレナ島に幽閉され、その6年後に遂に病死することになります

ロシア皇帝アレクサンドル1世は、1777年生まれなので、ウイーン会議の時は37歳

彼がナポレオンのロシア遠征軍を1812年に壊滅させ、ロシア帝国を欧州最強にしたのです
彼はウイーン会議の後、ポーランドとフィランドを獲得しましたが、1825年48歳で病死します
ウイーン会議から10年後のことです

日露戦争の時のニコライ2世は、彼の曾孫になります
彼のロマノフ王朝はロシア革命によってその曾孫のニコライ2世の銃殺で断絶することになりました

翻って、21世紀のウクライナ戦争
やがてロシアの敗戦で終わったとき
プーチンの追放や、ウイーン会議めいたものがあるのかも知れません

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あき240

4.0令和の今にも通用するミュージカルの佳作

2023年4月12日
Androidアプリから投稿

会議で訪れた外国で、たまたま知り合った手袋売りの娘・クリステルとの恋愛ということですから、そのお相手方としてのロシア皇帝にしても、どこまで本気の色恋だったのか。
しかし、彼女が会議場の宮殿に向かうときの挿入歌「ただ一度だけ」は、彼女の切ない心情を表して余りがあったと思います。
他にも名曲の数々に彩られた本作ですが、その一点でも、昭和初期に当たる時期の製作ですが、令和の今でも鑑賞に値する一本と思います。評論子は。

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talkie

5.0史実より娯楽に徹したオペレッタ映画の、開放された極上の愉悦

2020年4月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

1814年のウィーン会議の史実から発想された、手袋売りの娘クリステルとロシア皇帝アレクサンドル1世の美しく咲き夢広がり、そして儚く散り行くロマンス。忍び寄るナチズムの気配は全くなく、異様な程の明朗さが際立つ実に楽しいオペレッタ映画の名作。宰相メッテルニヒの裏工作もありで、国際会議の駆け引きを娯楽的な色彩に染め上げる徹底ぶりに、映画としての凄みを感じる。馬車に乗ったクリステルのリリアン・ハーヴィーが主題曲”ただひとたび”を歌いながら皇帝の別邸に着くまでの長い移動撮影シーンが、クライマックスにして圧巻。シューベルトの”軍隊行進曲”も効果的に使われている。ドイツ映画の最大にして最後の輝きを想わせる歴史的な映画遺産。

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Gustav