劇場公開日 2017年10月7日

  • 予告編を見る

「収容所と鉄道」動くな、死ね、甦れ! よしたださんの映画レビュー(感想・評価)

3.5収容所と鉄道

2017年11月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

 第二次世界大戦直後の極東ロシア・スーチャン。
 貧しい炭鉱の町の近くには、被抑留日本人もいる収容所があるようだ。いや、正確に描写しなおす。町の外れに収容所があるのではなく、町そのものが収容所のようだ。
 町外れで労働する旧日本兵たち。棚を注文されたのに棺桶を作ってくるという、笑うに笑えない悲しいギャグが冒頭にある。
 気がふれたことで「自由の身」になったのだと、町の人々が憐れむ元学者。
 妊娠すれば解放されると信じて男を抱き込もうと必死の少女。
 彼らは登場人物というよりは、物語の背景に立ち現れるだけの存在である。しかし、この人物たちの何と強烈な印象を残すことか。
 それは、この町が収容所を備えているというよりも、その境界が曖昧で、町そのものが収容施設みたいなものだという状況を示している。
 彼らへの目くばせを避けられない観客は、映画の描く世界では国家や社会が収容所そのものであるという住民の感覚に近いもの体感することになる。

 観客はまた、20世紀社会の産業化、収容所化を推し進めた鉄道を通じて、少年少女のまだ始まったばかりの人生が捻じ曲げられ、そして終わらされるという不条理を見ることになる。
 収容所のようなこの町から外へ出る手段は鉄道しかない。
 金のない者が貨車へ潜り込んだことがバレてしまえば、鉄道員からの血の制裁が待っている。鉄道は権力の象徴であり、決して貧乏人を幸せにする社会資本としては描かれていない。
 であるかこそ、線路のポイントに細工をして列車を脱線させ、機関車を転倒させた少年には、権力を倒そうとした罪の重さがのしかかるのだ。この重さは少年にとっては、宝石商を殺すことよりも重かったのかも知れない。
 少年が強盗団と一緒にいるところへ幼なじみの少女が迎えに来る。少女が鉄道転覆のことはほとぼりが冷めていることを告げるや、少年は故郷の町へと戻ることを決める。
 スーチャンへは、おそらく心優しい鉄道員が目をつぶってくれたのだろう、二人は列車に乗って戻る。
 町の近くを通ったときに列車を降りた二人が並んで線路を歩く。ほんのひと時、鉄道はこの少年と少女を優しく包み込む世界の象徴となる。
 しかし、後続の列車が近づいたとき、二人は線路の両脇へと列車を避けるのである。この直前、少年がふざけて列車と接触するギリギリまで線路に立つ。ここから鉄道は再び不穏な表情を見せ、二人を何の躊躇もなく隔てるのだ。
 列車がゆっくりと二人の間を通過する間、少年少女はは車輪と車輪の間に石を通す遊びに興じる。この時の二人のこの上ない幸せそうな表情がかえって切ない。案の定、列車は不穏さを増していき、列車が過ぎ去ってしばらくすると悲劇的な結末を迎える。

 二人が再び立つことのなかったスーチャンの町では少女の家に人々が集まっている。
 気のふれた彼女の母親にも驚くが、「子供はもういい。あとは女を撮ってくれ。」という監督の声にはびっくりさせられる。
 この瞬間、観客は映画の世界から現実へと引き戻される。まるで催眠術師が被験者の眼前で指をパチンと鳴らしたときのように。

佐分 利信