アマデウスのレビュー・感想・評価
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誰の心にも棲みつく嫉妬心と自尊心をえぐる
多くの映画ファンのオールタイムベスト20とか50には入るであろう、人類の遺産級と言ってもよいスペシャルな映画。
誰の心にも棲みつく嫉妬心や自尊心をえぐる巧妙な脚本、その期待に完璧に応えたマーリー・エイブラハムの芝居。肝心の音楽は....元々超名曲揃いのモーツァルトを使いまくるのは反則ともいえるが、音楽と映画が溶け合った素晴らしいシーンが幾つもあり、この相乗効果は必見。
因みにこの映画のサントラCDも素晴らしい。
憧れ。
子どもの頃テレビで見て、それ以来大好きな作品。自分のモーツァルト像は良くも悪くも完全にコレ。よりドラマチックに仕立てられてる感はあるが、衣装や美術も凝ってるし、何よりモーツァルトが生き生きとしていて、まるで当時にタイムスリップしたような気持ちになれる。
モーツァルトの曲が大好きなのは、底抜けに明るいのに暗い曲はむちゃくちゃ暗くて両極端なところ。レクイエムなどは美し過ぎて怖い。どちらも魔的な魅力があると思う。
子どもの時は気にも留めなかったが、少し成長してから歌詞の詳細を読み、夜の女王のアリアは母が娘に宿敵ザラストロを「殺せ!」と歌っているのだと知って卒倒した。キョーレツであった。そんな恐ろしいことをそんな美しく…美し過ぎて狂気の沙汰だと思った。やっぱモーツァルトは頭おかしいと思った。
子ども心に、次に生まれ変われるとしたら天才に生まれたいと強く思ったのを覚えています。強い、強い憧れを抱かずにはいられない。不幸でも、殺されても、孤独でも、圧倒的な才能。世が世なら周りが全て平伏すような。
天才と天才ではなかった芸術家の遭遇の悲劇‼️
" 天才" 作曲家モーツアルトに嫉妬する "凡人" 作曲家サリエリの確執を、全編モーツアルトの楽曲による音楽的見せ場、サリエリの回想から入る物語構成、ミステリーの要素なども散りばめた一級の娯楽エンターテイメントです‼️サリエリを演じるF・マーリー・エイブラハムの名演もさることながら、見所はなんといってもトム・ハルスのモーツァルトのあの下卑た笑い声‼️楽聖としてのモーツァルトのイメージとはまったく逆の人物で、この人物の創造が映画を徹底的に面白いものにしています‼️サリエリにモーツアルトの才能の凄さを理解できる能力がなければ、宮廷音楽家として幸福に一生を終えることができたのに、そしてそのモーツアルトも生きている間は名声を得られず、不幸なまま一生を終える‼️お互い幸福ではなかった二人の人間としての運命について考えさせられます‼️
生涯最高傑作
高校時代に観に行ってから 未だ一番好きな映画です。
喜劇から悲劇への絶妙なストーリーのグラデーション。
当時はこのサントラを聴きながら眠りに就く日々が多々ありました。懐かしい~
自分の人生、最期はこの映画鑑賞で終わりたいぐらい好きな映画です。
要は見る側の価値観の変化で、芸術の価値は上下する。
僕がクラシックにハマるきっかけの様な映画。初見は
レンタルビデオで見た。
クラシックとの出会いは、1981年(初任給で買った)に、○芝のウォ○キー(小型カセット再生機)を買って、ベートーヴェンの第六(田園)を聞くようになってから。イヤイヤ、JAZZっぽかったので、その前に、ハマったのはパガニーニのバイオリン協奏曲だな。いずれにしても、歌詞がある音楽が好きではなかった。日本の歌謡曲は今でも嫌い。歌詞(詩)の内容を聴き込んでしまい、音楽本来の良さが変わるって当時は考えていた。海外の曲が聞けたのは、外国語が理解できなかったから。だから、ビートルズの歌詞を訳そうと思った事は一度も無い。
サリエリの本当の姿は知らないが、考え方は間違いそのもの。一人にしか分からない至高の芸術なんて無い。
見る側の価値観の変化で、芸術の価値は上下する。
楽しい映画でした。
モーツァルトの音楽が好きな私にはとても楽しい映画でした。モーツァルトは案外あんな人物だったのかもな、なんて思いましたが、モーツァルトを崇拝している人には噴飯ものらしい笑。私はモーツァルトの音楽自体がとても好きななだけで、その人物を崇拝しているわけではないので平気でした笑。
サリエリがモーツァルトの(管楽器のセレナードの楽譜を見て)天才を解説するシーンが好きです。人一倍その天才を理解できているというね。
「驚くべし!ページの上には何もないように見える。始まりは単純で、ほとんど喜劇だ。ファゴットとバセットホルンによる錆びたアコーディオンのようなただの脈動。それから突然 ―その上空に― オーボエの一つの音が揺るぎなくかぶさってくる... クラリネットがそれを引き継ぎ、素晴らしい喜びのフレーズに甘みを与えている!これはただの「演奏する猿」による作曲ではない!今だ聴いたことのない音楽。 途方もない憧れ、叶えられない憧れに胸が震えた。神様の声が聞こえたような気がした。」
公開当時、ウィーンっ子が「愛称が"ウォルフィ"ってのはどうもね。当然"アマデオ"だろうに」って言ってました。確かに「アマデオ」って呼ばれてたんですよね。
ミロス・フォアマン監督は「かっこうの巣の上で」「ヘアー」に続いてこの作品を当てて、既にヒットした舞台作品を映画化することで名を成しました。当時ちょっとズルい便乗だなあ、という気持ちもしました。とはいえ、どれも映画として素晴らしいと思います。
鬼才(モーツァルト)に嫉妬しながらもその音楽に魅了される天才(サリエリ)の半生
勘違いされている人も多いので先に断っておくと、サリエリは凡人ではない。
神聖ローマ皇帝やオーストリア皇帝に仕えた宮廷音楽家であり、ベートーヴェン、シューベルト、リストなどの天才達を見出し育てた、彼もまた紛れもない天才である。
その彼が唯一嫉妬した相手、それが鬼才モーツァルト。
女好きで浪費家、人間的に破綻しきっているのだが、その彼が作る音楽は完成されきっていた。
サリエリはモーツァルトの才能に嫉妬しながら、誰よりも魅了される。
天才が故に鬼才の才能の真髄を理解し得る。
他の皆がモーツァルトの才能に気付けずとも、それを理解し、痛感し、嫉妬し、そして愛した。
終盤、病に伏せたモーツァルトの作曲を手伝うサリエリ。
モーツァルトの頭の中で完成してた音楽が、彼の口を通してサリエリに伝わった瞬間。
恐らくここがサリエリの人生で最も至福だったのではないだろうか。
鬼才を唯一理解した天才。
「神は私に彼の才能を理解出来るだけの才能しか与えてくれなかった」
この一言が全てを物語っている。
理解できるから魅了され、理解できるから嫉妬する、そんな誰よりも人間臭いサリエリの半生は必見。
甘味な哀しみ
「2年来、死は人間たちの最上の友だと言う考えにすっかり慣れております。僕は未だ若いがおそらく明日はもうこの世にはいまいと考えずに床に入ったことはありません。しかも僕を知っているものは誰も僕が付き合いの上で陰気だとか悲しげだとか言えるものはないはずです。僕はこの幸福を感謝しております。」ドンジョヴァンニ構想前に、父親に送ったモーツアルトの手紙
モーツアルトは長調の作品が圧倒的に多いですがその多産の谷間に思い出したように出現する短調の曲には、とりわけ美しく心を揺さぶる傑作が多いように思います。それは天からの啓示と思える「明るさ」「楽しさ」「優美さ」と言った彼本来の表相に、正真正銘の天才のみが持つ「孤独」や人間誰もが迎える「死」と言うものに対する深い思いが、時折その顔を覗かせ表相と呼応しあって、甘美な哀しみを紡ぎ出すからなのでしょうか。
この映画では彼のこうした明るく楽しいが悪ふざけが大好きな表相と、そこに横たわる天才の深い孤独や死に対する半ば呆然とするような深い哀しみの実相が、努力の人サリエリとの対比で徐々に浮き彫りにされていきます。そしてそれらがモーツァルトの美しい楽曲と絡み合い極めて美味で奥行きのある作品に仕上がっているように思うのです。
公開(1984年)当時、映画館で鑑賞しました。
天才と一般人のコントラストが凄まじい。
<総評>
天真爛漫な才能所持者と地道な努力上がりの人間との対比が色濃く出ており、見ていてサリエリへの深い共感を覚える作品。天才は性格を犠牲にして生まれたことが分かるし、『子供のもつような純粋さ』は善とはイコールし得ないことも再確認できる。そして、一般人は自分の持たないものを持つものと自分を比較することで、折角生まれ持った人格を落として堕天していくことが分かる(自分の持っているものを分かっていないのだ)。
<ラストについて>
・冒頭では罪を悔いていると思っていたサリエリだが、ラストを見ていると「神へのアヴェンジャー」としてのサリエリはハッピーエンドを宣言していると受け取った。自分的にはモーツァルトの立場を度外視すれば、やり遂げたんだな、と悪くない思いだった。
<その他>
・神父がイケメン。スパイメイドが可愛い。
・「ものの分かる女は才能に惚れるの。」という女の言葉が印象的。
・神は天才を通して自分のちからを表現する、という考え方が一貫してあり、天才はその人の力の能力なのだ、と捉える一般的な考え方に対して、当時のキリスト教社会ではそのような人が多かったのかな?と疑問に思う。
・ピアノ(=オペラ)が当時のエンタメの最前線だったのが分かった。当時はエンタメを楽しむには教養が必要だったのだなと考える。
何度も見直した映画
天才モーツァルトを、努力で宮廷作曲家に上り詰めたサリエリの視点で描いた映画。
中学生の時に学校の授業で見て衝撃を受け、映画が好きになるきっかけになった作品。
モーツァルトに妬むサリエリ、父の束縛を筆頭に、伝統や常識を嫌うモーツァルト。
映像は美しく、音楽は素晴らしく、登場人物の心理描写、ストーリー展開、非の打ち所が無い。
モーツァルトの生涯を表現した作品。モーツァルトの作品を壮大な音楽で...
モーツァルトの生涯を表現した作品。モーツァルトの作品を壮大な音楽で楽しめるもの。モーツァルトの天才だが謙虚さがなく驕りぶる態度で人々に嫌われながらも作品はやはり天才的なもの。サリエリは最初は嫌な人だったが最後は本当はモーツァルトのファンであり作品を楽しみにしている姿に好感が持てた。天才として生きながらも最期は借金だらけのダメ人間の評価をされてしまったモーツァルトの壮絶な人生を見ることのできる作品だった。
フィクションにあるモーツァルトの真実
ピーター・シェーファーの戯曲の面白さが映画スケールに拡大して、ミロシュ・フォアマン監督が18世紀宮廷音楽の世界を贅沢に再現する。史実から飛躍したミステリー仕立てのエンターテインメントの音楽家映画で、モーツァルトの名曲の選曲から物語にリンクするオペラの舞台までが巧妙に練られている。まず交響曲第25番第一楽章で開巻するプロローグのミステリアスな導入部が素晴らしい。短調の強いリズムに合ったモンタージュとスリリングなタッチで観客を鷲掴みする。そして、父レオポルドとの葛藤をオペラ「ドン・ジョバンニ」に重ねたシリアスさと、義母のヒステリーをオペラ「魔笛」の夜の女王のアリアに合わせたユーモア。最後の「レクイエム」写譜と妻子が乗る馬車のカットバックと、多彩な味わいを駆使して、モーツァルトの音楽を存分に聴かせてくれる。サリエリが妻コンスタンツェから楽譜を預かり、名曲の数々に驚嘆し酔いしれる場面もいい。
モーツァルトの音楽に嫉妬するサリエリをF・マーリー・エイブラハムが見事に演じている。晩年の卑屈な老人の表現に、演技力を見せつける。比較されて分が悪いモーツァルトのトム・ハルスも名演まではいかないが、天才にある変人の部分を笑い声に象徴させていて好演。オーストリア皇帝ヨゼフ2世のジェフリー・ジョーンズははまり役で、周りのイタリア人音楽家もリアクションの演技が巧い。コンスタンツェの新人エリザベス・べリッジは特に可もなく不可もなし。唯一の不満は、父レオポルドのロイ・ドートリスだが、脚本自体モーツァルトの天才面の鍵を握る父を深く描いていないので仕方ない。
ただ、モーツァルトがレオポルドと夜の酒場で余興に耽る場面で、幼少のモーツァルトに似た少年のカットが挟まれていた。神童のモーツァルトが大人のモーツァルトを見てどう思うか、それが父の思いとするフォアマン監督の演出と勝手に解釈している。
天才の想い
映画のストーリーと描き方はさておき、モーツァルトはやはり音楽の天才であったのだろうと認識できました。しかし音楽以外で不器用なところがあると、成人となって世に出てゆくにつれ、周囲に温かい人が居ないとなれば、不遇、悲劇、無残、残酷ということになってしまう悲しい人生の結末を知り得た今後は、それなりに、そして、より強い関心を以って聴けるように思います。
今までの映画で一番いい。
3時間があっという間に感じる。
長いとは全く思わなかった。
モーツァルトの伝記をたくさん読んできてこの映画を見て、当時生きていた時代にいるかのようにと思えてしまうほどだった。
サリエリのモーツァルトに対する音楽への才能の差、神への恨みが描かれていて、でも誰よりもモーツァルトを理解していた。
モーツァルトを追い詰めるが、レクイエムの共同作業をして改めて知るモーツァルトの音楽への才能、彼が死んだ時に実は誰よりも悲しんでいたサリエリ。
見ごたえたっぷりだった。
音楽史好きな私としては地上波で放送してほしい。
キャストの素晴らしい演技に共感した
サリエリはモーツァルトの才能や素晴らしい音楽を聴き、彼は神に愛されているが、自分は彼の才能を理解する能力を持っているというような事を言っていて、モーツァルトに対して憎しみの感情を抱いてしまう。しかし、サリエリはモーツァルトの作る音楽に対しては決してけなすことができない。自分も音楽を作っている身からして、サリエリにとても共感してしまいました。才能を持っている人を見ると、なんで自分には無いんだろうとか、才能を持っている人も努力しているのに、才能を持っていない自分は努力したって追いつくことができないのではないかと思ってしまうことがよくあります。しかし、才能を越すことができる唯一のものは努力しかないと思うので、才能を前にして、憎むことなく、努力する事が最善であり、自分は自分であり、自分にしか表現できないものがあり、それによって、どれだけの人に音楽を楽しんでもらうか、そこが大切であると思います。憎しみからは憎しみしか生まれません。
最後のシーンでモーツァルトの「ピアノ協奏曲第20番ニ短調 第2楽章」が流れ、彼の笑い声がするシーンを見て、神を憎み、自分は神に愛されていないんだと思って生きてきた人に対してそれを否定するかのように、モーツァルトの素晴らしい音楽が流れていると思いましたし、モーツァルトと精神病患者やサリエリとの対比も感じられました。
才能を前にして、賞賛し、自分は自分と割り切り、努力することができるか、自分には才能は無いと思い、憎しみを選んでしまうか。それを芸術家は試されているのかなと思いました。
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