悪魔が夜来る

劇場公開日:

解説

戦後「楽園の子供達」で名をあげたマルセル・カルネの戦時中の一九四二年監督作品で、彼の処女作「ジェニイの家」の脚本を書いたジャック・プレヴェールが、ピエール・ラロシュと協力してシナリオを書卸した。撮影・装置ともに「悲恋」と同じくそれぞれロジェ・ユベール及びジョルジュ・ヴァケヴィッチが担当している。音楽は「山師ボオトラン」と同じくモーリス・ティリエ作曲、シャルル・ミュンク指揮で、パリ・コンセルヴァトワール交響楽団が演奏している。出演者は「あらし(1939)」のアルレッティ、「港の掠奪者」のジュール・ベリー、新人マリー・デア、アラン・キュニー及びマルセル・エラン、老朽フェルナン・ルドウ、ガブリエル・ガブリオ、ピエール・ラブリ等の顔ぶれである、なおこの映画は一九四二年フランス映画コンクールに第一席を占めた作品である。

1942年製作/フランス
原題:Les Visiteurs du Soir
劇場公開日:1948年7月

ストーリー

十五世紀、中世の騎士道はなやかであったころのフランス。ユーグ男爵どのの壮大な城では、姫のアンヌと騎士ルノオの婚約ひ露の宴がたけなわであった。近郷はもとより遠い旅の芸人たちも多勢集められて、色々の余興が席をにぎわせている中に、吟遊詩人の兄弟もまじっていた。しかし、まことは兄弟でも吟遊詩人でもなく、かつては恋人同志であった男女で、悪魔に魂を売り、悪魔の命令をうけ、アンヌとルノオの幸福を破壊するためにつかわされた、悪魔の使者であった。男はジル、女はドミニックといった。ジルの歌はたちまちアンヌの心をとらえ、ドミニックの美しい脚はルノオの眼を奪った。宴も終って参会者一同が、みやびやかなダンスに打興じ始めたとき、ドミニックが静かに琴を鳴らすと、楽士は音楽を、踊る人々はダンスを、ピタリとやめて石像のように動かなくなった。ジルはアンヌの手を、ドミニックはルノオの手を、それぞれとって庭に立出で、恋をささやくと二人は恋の奴となり、婚約のことも忘れて了う。その夜ドミニックは男やもめのユーグ男爵の部屋に姿をあらわし、女であることを示して男爵の胸にも愛のほのおを燃え立たせた。しかしジルはひたむきに彼を愛するアンヌのまごころに動かされ、使命を忘れ果てて人間の本心にもどって彼女を愛する。悪魔は怒って旅の貴族を装って雷雨の一夜、城に乗込む。狩の日ルノオはドミニックと男爵のランデヴーの姿を見ると、しっとは烈しい仲たがいとなり、二人は決闘をすることとなった。野試合に事よせて真剣の勝負をしたが、悪魔の力添えで男爵が勝ち、若いルノオがあえなく殺された。男爵はもはやドミニックのとりこであった。悪魔の命令で城を去って行く彼女を追って、狂気の如くユーグ男爵は馬を走らせた。違約したジルはろうにつながれ、ろう番にむちうたれてもアンヌを愛する誠を捨てない。悪魔はジルを自由にしてやるから、おれのいうことをきけと彼女を口説いた。その甘言にのるなと叫ぶジルの痛々しい姿を見ると、やさしいアンヌは恋人をこれ以上苦しませたくないばかりに、悪魔の申出でを承知した。開放されたジルは一切を忘れて、アンヌがだれだかも分らず、城を出てゆく。アンヌはそれを見ても彼を愛する一念はかわらず、狩の日ジルと初めてキッスを交した泉のほとりへ、ただ一度だけ行かせてと悪魔に頼む。悪魔は怒ったが、彼女の願をかなえてやる。アンヌがジルに泉の水を手にくんで飲ませると、彼は愛するアンヌを思い出した。二人の愛が復活したのを見ると、悪魔はかんべん成らぬとばかり、二人とも石になれ!とのろった。ジルとアンヌは相抱いたまま石像となったが、二人の心臓は生きていて、一つに化し、一つの鼓動をうっている。狂ったように怒った悪魔は石像を烈しくむちうつ。しかも石像の心臓は鼓動し続けた。悪魔をあざけるようにいつまでも。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.0言葉の魔力

2021年11月9日
Androidアプリから投稿

やはり誘惑しなくてはならないので
配役は悪魔側が魅力的

アルレッティとキュニーはいい組み合わせだし
悪魔(ベリ)はイメージそのまま

キュニーは吟遊詩人役で結婚前の娘や人々を幻惑する

彼は「カミーユ・クローデル」でも
ポール・クローデルの詩を聴かせている
(作品に縁が深いらしい)

ここでは詩人でもあるプレヴェールの台詞を明晰に語っている
詩の朗読などで有名なのだろうか?

若い頃を知らなかったので
ずっと岩みたいな俳優だと思っていたが
岩になる前の(?)不思議な魅力が感じられた
生涯を通じてその存在感からこぼれ落ちる
知性が魅力の人なのだろう

ヒットラーは詩人ではないが演説の名手で人たらし
人々が疲労困憊した帰宅時を狙った夜の演説を増やしていった
(夜に大衆を扇動)
上手に時と場所を選び、言葉を駆使するところに
プレヴェールは悪魔的なものを感じたのかな

言葉の持つ力も再認識させられる

アルレッティのアルカイックスマイルも
悪魔的魅力あり

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jarinkochie

2.0解説とは異なる隠喩が浮かんだが…

2021年5月6日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

事前情報で、この映画は占領ナチスドイツ軍
と占領下フランス国民の関係を隠喩した作品
と知った。

男爵領地の民=フランス国民、
男女の悪魔=侵攻ドイツ軍、ともあったが、
とすると、
悪魔の親玉=ヒトラーかナチス幹部
男爵と姫の婚約者騎士=ヴィシー政権
なのだろうか。

一瞬、私の頭に皮肉な解釈が浮かんだ。

悪魔の男がドイツ軍将校で、
姫が彼と恋仲になったフランス人女性と仮定
すると、占領下に敵国軍人になびいたとして
戦後断罪され頭を丸刈りにされた女性達にも
見えても来た。
しかし、そうすると、2人を石像に変えた悪魔
は戦後のフランス国民となってしまい
無理な思い付きか…と反省。

原作は15世紀のフランスの伝説を元に、
と解説にあったので、
占領に関する隠喩要素を除いた元々の話の
骨子はどのようなものだったのだろうか。
ストーリーの外形を借りただけのもの
なのだろうか。あるいは、
15世紀にも、自由恋愛的要素を賛歌する風潮
があったのだろうか。

映画への私の解釈としては、
女の悪魔は、男爵と騎士の否定的人柄から
悪魔として使命を全うする方向に行けたが、
男の悪魔が恋に至ったのは、
姫が純粋な人柄だったから、との理解に。
しかし、
一般国民は姫で、男爵と騎士はヴィシー政権
だとしたら少し手前味噌に感じたり、
また、男の悪魔はドイツ軍内のどんな勢力を
イメージしたものなのか、
単なる希望の象徴的意味に過ぎないのか等、
私には理解不能の要素もあり、
マルセル・カルネ監督作品としては「天井…」
の方が自虐的な内容ではあるが、
解りやすく好みではある。

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KENZO一級建築士事務所

4.0フランス恋愛映画の矜持を感じさせるマルセル・カルネの秀作

2020年5月15日
PCから投稿
鑑賞方法:TV地上波

マルセル・カルネ監督の純然たる恋愛映画。一途な愛に没入し精神を高めようとするフランス人の恋愛至上主義を謳ったロマンティックな作品。名画「天井桟敷の人々」に共通するカルネ監督の演出には、人間の声と情感を艶やかに表現する大人の知性を感じる。恋愛小説を創作する大家に匹敵する力量が素晴らしい。ジャン・コクトー監督の「美女と野獣」に並ぶフランス映画の古典にして、主演のアルレッティの美しさが記録された希少価値が高い。ナチスドイツの占領下で創られたレジスタンス映画の背景がありながら、それを恋愛映画に内包する時代の証言としても特別な意味がある。政治的な問題を恋愛で語るフランス映画の矜持には、感心と羨望の気持ちを抱かざるを得ない。
  1984年 8月21日

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Gustav
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