雪国(1965)

劇場公開日:

解説

川端康成の同名小説を「二人だけの砦」の斎藤良輔と「残菊物語(1963)」の大庭秀雄が共同で脚色大庭秀雄が監督した文芸もの。撮影は「夜の片鱗」の成島東一郎。

1965年製作/113分/日本
原題:Love in the Snow
配給:松竹
劇場公開日:1965年4月10日

ストーリー

島村が初めてこの温泉町を訪れた時、駒子は芸者ではなかったが、大きな宴会には頼まれて踊ることもあった。駒子は十六の時に東京にお酌に出たが、旦那がついて、踊りの師匠で身を立てるつもりが、旦那の急死で実現せぬまま、この町で過していた。島村は駒子に芸者を世話して欲しいと頼んだが、駒子は、欲望を処理する道具としてしか考えない島村に反発を感じた。また島村もそんな不思議なまでに清潔な駒子の姿に、侵し難い美しさをおぼえた。いつか、駒子が島村の部屋を訪れるようになった。友達でいようという約束も、島村から破っていった。駒子は人目をしのんで夜更けに帰っていった。島村が、再び雪国を訪れたのは、半年後のことであった。車中、病人の青年を夫のようにいたわる女、葉子の不思議な目に惹かれた島村はその病人行男が駒子の踊りの師匠の息子だと知り驚いた。その頃駒子は芸者になっていた。二人は自由に逢瀬を楽しんだが、葉子の目は島村を冷く刺した。島村は町の人から、葉子も駒子も師匠の養女だが、今では師匠をはじめ行男、葉子のめんどうを駒子がみているのだと聞いた。そして行男と駒子が許婚者であることも知った。この話を聞いた駒子は、行男との間を否定したが、それ以上何も語らなかった。島村が三たびこの温泉場を訪れた時、師匠も行男もこの世の人ではなく駒子も今は、葉子と別れ、年期奉公の身であった。今は一人の男として、駒子を抱く島村の腕の中で駒子は、芸者としてもて遊ばれた自分をみて、口惜し涙があふれた。翌日縮の町を訪れた島村は、厳しい雪の上で布を織る雪国の女の姿に、駒子の心を見た。この日、島村は、自分の心を恥じて、雪国を去る決心をした。突然半鐘が鳴った。雪の中、広がる炎の中に、葉子を救けに走る駒子は「もうお帰りになって」と島村に言い残すと、炎の中に消えた。島村は翌日雪国を去った。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

5.0これぞ文芸映画!傑作です 観終わった後には確かな感動が残されているでしょう

2021年10月10日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

ノーベル文学賞はまたも日本人の受賞はなりませんでした
1994年に大江健三郎が受賞されてからご無沙汰です
そのノーベル文学賞を日本人が初めて受賞したのは1968年の川端康成です
69歳での受賞でした

本作はその川端康成の代表作の映画化作品です
ノーベル賞受賞の3年前の1965年の作品です
1957年の東宝の白黒作品についで二度目の映画化です
松竹のロゴとタイトルロールは白黒ですが、本編はカラー作品です

川端康成が越後湯沢に来て温泉旅館高半の「かすみの間」に逗留して本作の執筆を開始したのは1934年の昭和9年、川端康成が35歳のこと

そして各文芸誌に断続的に掲載され、まとめられて「雪国」として出版されたのは1937年、昭和12年です
さらに本作の後半にあたる部分が書き足されて完結版「雪国」が刊行されるのは1948年、昭和23年のことでした
最初の英訳は1956年にでたようです

本作のロケ地は越後湯沢ではなく長野県の野沢温泉です
撮影当時でも、もうスキーレジャーのメッカになって、名作「雪国」の世界はどこにも無くなっていたそうで、いろいろ他を探したようです

越後湯沢は今では新幹線も停まり、バブルの頃に高層リゾートマンションがいっぱい建っていますから、小説の世界は最早痕跡もなく消え果ててしまっています

しかし本作では小説を読んで誰もがイメージする世界そのものが再現されていますから感激します

「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった」
誰もが知る書き出しのシーンは25分も過ぎてから登場しますので、最初はえ?となるでしょう
しかしそれは、先に駒子と島村の出会いよ経緯を説明するためで、超長いアバンンタイトルであると自分を納得させるとそう違和感はありません
むしろ本作で初めてこの物語を知る観客には理解がし易いかも知れません
また、その書き出しの一節に含まれる主人公の感慨と心境を共有して、そのシーンを迎えることができる為の工夫であったと言えるでしょう

国境の読み方には論争もあるようですが、本作では「くにざかい」と発音されています

岩下志麻の美しさ!
駒子が美しくなければ成立しない物語です
もちろん彼女は軽々とそのハードルを越えています
初めて画面に登場して顔を上げたとき、あっ!と声が出そうになるほどに美しいのです
超有名女優で彼女の美貌を良く見知っている私達観客ですらその瞬間そうなるのです
岩下志麻24歳
あの「秋刀魚の味」の3年後です

監督はその美しさを舐めまわすように撮影しています
首筋、うなじのアップは主人公の島村の視線であると同時に、私達観客の視線なのです

一夜を共にして、翌朝着替えて旅館の彼の部屋で三味線の練習をするシーンは心に残ります
前景に駒子、奥の窓側に島村がいます
島村は駒子をなんとなく見ているようで、食い入るようにその美しさを隅々まで見つめています
それはまるで鏡のように画面のこちら側の私達観客の姿なのです

川端康成が「島村は私ではありません。男としての存在ですらないやうで、ただ駒子をうつす鏡のやうなもの、でせうか」と語ったそうです
この言葉を映像化したものであったのでしようか?
監督の教養に裏付けられた余りにも見事な構図と演出でした

主人公の島村は木村功が演じています
小説では小肥りで色白との設定なのですが、木村功は違います
写真に見る川端康成の姿形に似ているのです
この配役もまた監督の狙いが成功していると思います

観終わった後には確かな感動が残されているでしょう

秋も深まったなら島村のように越後湯沢に行ってみたいものです
湯沢町歴史民俗資料館 雪国館には、川端康成か駒子のモデルとした芸者が住んでいた部屋を再現した「駒子の部屋」があるそうです
一度訪れてみたいものです
駅から徒歩8分くらいだそうです

そしてなにより雪に埋まった野沢温泉にも
越後湯沢からは、一度高崎まで戻って北陸新幹線と在来線を乗り継いで2時間半程度だそうです
午前に雪国館を見れば、日暮れまでに野沢温泉に投宿できるようです

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あき240

3.0中央対地方、男対女の観点で

2021年1月6日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

昨年末、未読だった川端康成をと思い
「雪国」と「伊豆の踊り子」
を読んだことからレンタルDVDで観賞。

原作の執筆意図は理解出来ていないが、
この映画を見て感じたのは、
中央対地方、男対女の観点だった。

後者はまだまだとは言え、この時代からは
それなりに男女の意識改善が
進んだように思える。

しかし、前者の問題はどうだろうか。
地方の生活や意識が中央に支配されている
構図はそれほど変わっていないのでは。

政治・経済・文化など全ての面で
中央一極集中化が進む日本で、
駒子も島村を通じて心乱されるのは、
中央への特別視のためではないかと思われ、
中央対地方の構図は
昔から変わってないと見えてしまう。

島村のこの地での心の安らぎは、
中央から来た彼にとっては
この地が中央から閉じているからこその価値
であっても、
この地が彼を通じ中央と繋がった途端、
この地の人々にとっての平穏さが
かき乱されてしまう。

駒子の土着意識も島村が来ることによって、
肉体共々意識までも
その平穏さが破壊されてしまう。

この原作は、
男女の情感のすれ違いの様を描いている
のかも知れないが、
私は中央対地方という構図に囚われながら
観賞を終えてしまった。

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