薔薇の葬列

劇場公開日:

解説

実験映画、記録映画、テレビ、ラジオ等の作品を発表してきた松本俊夫が自から脚本を書き、監督した異色作。撮影は、「キューバの恋人」の鈴木達夫が担当した。

1969年製作/104分/日本
配給:ATG
劇場公開日:1969年9月13日

ストーリー

エディは、ゲイ・バー“ジュネ”のNO1だったが、経営者の権田と情事を持った。権田と同棲している“ジュネ”のママのレダは、それを知って、心中穏やかではなかった。二人の間は、冷戦から熱戦へエスカレートする。エディは、レダを消してしまえば……と想像する。その考えは、恐ろしい母親殺しの記憶を呼び起こした。母の手一つで育てられたエディは、ある日偶然、母の情事を見てしまい、発作的に母を刺してしまったのだった。厭な思い出から逃れようと、エディは、ベトナム帰休兵の黒人トニーと寝る。一方、エディとレダの反目は、派手なとっくみ合いの喧嘩で頂点に達した。焦ったレダは、ズべ公に頼んでエディの美貌を傷つけようとするが、失敗。しかもその陰謀かバレ、権田に捨てられて、自殺する。エディは、権田も店も手に入れた。二人は晴れて抱き合った。が、権田は、一枚の古い写真から、エディが実の息子だったことを知り、頚動脈を切って自殺する。すべてを知ったエディは、ナイフで自分の両眼をえぐりとった。

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映画レビュー

5.0ピーターの美しさ

2020年1月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

ピーターの美しさに見惚れてしまう。こんなに妖艶な人物がいるのかと驚く。新宿のゲイバーで働くエディ(ピーターが演じている)と唐突にスクリーンにデビューしたピーターがアヴァンギャルドな演出の中で虚実がないまぜになっていく。インタビュー映像を挟んだり、当時の文化人たちが本人の役で出演したりなど、虚構と現実を意図的に混濁させる手法で観客の中にある虚実の壁を破壊してゆく。当時の狂乱的かつ退廃的な文化を覗き見る点でも面白い。
ゲイバーで働く人物を描いたことに、監督は「男と女の境界にたっているような人々だから」と答えているのだが、「境界」という言葉はこの映画のキーワードではないかと思う。性別の境界、虚実の境界、善悪の境界などなど。境界の上に立ってみてはじめて見えるものがある、混沌としていて、この映画が描くものははっきりしないが、映画の中には「確固たる曖昧さ」が確かにある。曖昧模糊としていないとこぼれ落ちてしまうものをこの映画はたしかにすくい上げている気がする。

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杉本穂高

3.060年代最後の時を象徴する前衛映画の真面目さと可笑しさ

2021年11月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

特異な映画文体の前衛映画。予備知識なしの鑑賞だった為、劇映画とドキュメンタリー映画を混合させた制作スタイルに戸惑いながらも、それなりに楽しめた。内容は、あるゲイボーイの少年を主人公に、その宿命的な半生と60年代最後の時代を対比している。それを真正面から社会批判する真面目さは、他愛ないと視れる軽い風刺の演出タッチで味付けしているため、先鋭的ではない。イタリアのピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「アポロンの地獄」のポスターが暗示として劇中に出てくる。確かにパゾリーニの影響を受けたストーリー展開の印象は受けた。時代と共に映画も個性と自由を希求し、様々な表現があったのだろう。
しかし、映画の内容とは全く関連性がない有名人たちが唐突に無邪気に現れるのには戸惑った。この大胆さは、あの淀川長治さんがテレビの日曜洋画劇場の解説よろしく、作品批評するカットのインサートまでに至る。これがドラマの主人公ピーターやゲイボーイのマダムとホステスの個人的なアイデンティティーを告白するインタビュー部分と並行して編集されている。その可笑しさと真摯さのコントラストがとてもユニークである。
既存の枠に収まらない、ある意味変ちくりんなセミドキュメンタリーの野心作だった。

  1979年 5月7日  三百人劇場

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Gustav
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