徳川一族の崩壊

劇場公開日:

解説

幕末、徳川対薩長の権力争いの激動の時代を生きた最後の武士たちの姿を描く。脚本は「甦れ魔女」の松田寛夫、監督は「ピラニア軍団 ダボシャツの天」の山下耕作、撮影は「真田幸村の謀略」の赤塚滋がそれぞれ担当。

1980年製作/139分/日本
配給:東映
劇場公開日:1980年5月24日

ストーリー

明治維新前夜、薩摩や長州などの西南諸藩は早くから密貿易に励み、莫大な利益を上げ、洋式軍備を充実させていた。特に長州藩は遠く関ケ原の戦いで徳川に敗れて以来、幕府を怨み続け、徳川家の衰退を期に倒幕を企て、桂小五郎は朝廷勅令を得ようと、宮廷随一の策士、公卿の中山忠光に接近する。忠光の妹、薫子は時の天皇、孝明帝との間に祐宮、のちの明治天皇を生んでいた。忠光は倒幕計画に薩摩も加え、宮廷工作を開始する。薩長同盟が結ばれた七月、徳川十四代将軍家茂が病死、一橋慶喜が十五代将軍に即位。慶喜はまず京都にいる尊王攘夷派の浪士の取り締りを会津の松平容保に命じた。そして、京都で会津対薩長の戦いの幕が切って落とされた。容保は孝明天皇に接近、薩長の分裂を図った。そして、薩摩藩大久保に、長州を討てとの孝明帝勅令をつきつけた。形勢は薩長に不利な方向に傾いていった。その孝明帝は、次期天皇を院宮と内定しており、それを知った忠光の父、忠能は孝明帝の長男であり、自分の孫、祐宮が次期天皇となるものだとばかり思い込んでいたため逆上し、桂に孝明帝を殺させてしまう。そして、天皇は祐宮に決定となった。時に慶応二年十二月二十五日のことだった。天皇を手中に納めた薩長は一気に倒幕に走った。院宮は形勢不利と見て、容保を裏切り、忠能に取り入った。また院宮は、かつて、娘、冨貴子と慶喜を婚約させておきながら、慶喜が家茂と将軍の座を争って敗れたことを知り、その話を破談にしたことがあり、冨貴子は院宮を怨んでいた。そして、またしても慶喜を裏切った院宮を冨貴子は殺してしまう。慶喜は長州追討軍を率いて二条城に到着していたが、勝利は難しいと判断、大政奉還を行った。それは自発的に政権を返上することによって新政権の中に幕府の温存を図ったのだ。しかし、徳川家全領地没収との報が冨貴子に入り、それを慶喜に知らせようとする。だが、形勢不利と見た徳川御三家は桂と内通、冨貴子を暗殺してしまう。そして、冨貴子の生首が二条城門前に吊るされた。残された容保は、それから一年半にわたり官軍を相手に、徹底抗戦をしたという。

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