青春の門(1981)

劇場公開日:

解説

北九州の筑豊を舞台に主人公の青年の生いたちと、上京するまでを、激しく生きる大人たちの世界の中で描く。五木寛之の同名のベストセラー小説の映画化で、過去に東宝で浦山桐郎監督によって「青春の門(1975)」「青春の門 自立篇(1977)」の二作が映画化されている。また松竹の人気女優、松坂慶子がはじめて東映に出演している。脚本は「徳川一族の崩壊」の野上龍雄、監督は「象物語」を監修した蔵原惟繕と「復活の日」の深作欣二の共同、撮影は「さらば、わが友 実録大物死刑囚たち」の仲沢半次郎と「忍者武芸帖 百地三太夫」の中島徹が共同で担当。

1981年製作/140分/日本
原題:The Gate of Youth
配給:東映
劇場公開日:1981年1月15日

ストーリー

伊吹信介は炭鉱地帯に生れた。父の重蔵はヤマ騒動でダイナマイトを爆発させた犯人として検挙され、はげしい拷問に耐え抜いてヤマの英雄とみなされた人物で、その存在は北九州一帯に知れわたっていた。重蔵が、新興やくざ塙竜五郎とカフェーの女給タエをはりあって大喧嘩となり、全身傷を負いながらも彼女を手に入れたことは多くの人の語り草になっている。そのタエが信介の二度目の母となった。二年後。竜五郎が関係している鉱山で落盤事故が起き、坑夫たちが坑内に閉じ込められてしまった。重蔵はダイナマイトを腹にまきつけ、竜五郎に見送られ、坑夫たちを救出に坑内に入った。多くの坑夫たちが救出されたが、重蔵は戻って来なかった。信介五歳の時だった。以来、タエは採炭の仕事をしながら女手一つで信介を育てた。信介も父の血を受けつぎ、負けん気の強い少年に成長。ある日、朝鮮人の子供と喧嘩し、一対一の勝負をつけるため、朝鮮人集落へ向かった。そこで、落盤事故で父に救出された金山と出会った。その日から、金山は重蔵への恩義から信介母子の貧しい生活を助けるため、足しげく信介の家を訪れるようになった。しかし、その金山も戦場にかり出されていった。やがて終戦となった。満州から戻った竜五郎は、飯塚で一家を構え、信介母子の世話を申し出るが、タエは自分の手で信介を育てると言う。信介が中学に入った頃、金山がシベリアから帰って来た。金山は労働組合のリーダーとなり、朝鮮人労働者の差別撤廃を求め、あやまって炭鉱主を殺害、追われる身となる。その頃、タエは過労のため結核に蝕まれ、母子は竜五郎に引き取られることになった。幼なじみの織江が涙ながらに信介を見送る。飯塚の中学に進んだ信介は学校の音楽教師、梓旗江に慕情を寄せるが、かなわぬ思いを織江に求めた。情熱的な生き方を求める梓先生は田舎の生活に飽き足らず、信介に上京をすすめ、自ら飯塚の町を去っていく。信介はさびしさをまぎらわそうと、織江を訪ねた。だが織江は母親が死亡したため、貧しい家庭をささえきれず、小倉のキャバレーに勤めに出ていた。小倉に織江を訪ねた信介は、その夜、安旅館で男になった。数日後、竜五郎が朝鮮人労働者に撃たれた。一家の長太が単身殴り込みに行くが、逆につかまってしまい、竜五郎が引き取りに行く。そこへ金山が立ちふさがる。二人の間に割って入った信介は長太をかついで去って行った。空に向け発砲する金山。これが信介に対する金山の訣別のしるしであった。自分で生きていこうと、信介は上京を決意、療養所のタエに報告する。一人前の男になったと喜んだタエは翌日、多量の血を吐いて他界してしまう。タエの葬式を終え、信介は竜五郎に置手紙を残し、東京へ旅立った。信介はすべての人間が一生に一度だけくぐり抜ける青春の門の入口に近づこうとしていた。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第5回 日本アカデミー賞(1982年)

受賞

主演女優賞 松坂慶子

ノミネート

新人俳優賞 佐藤浩市
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映画レビュー

4.080年代の初め、トップ女優の座はこの時期、吉永小百合ではなく、松坂慶子にあったのだと思います 本作が彼女をその座につけたのだと思います

2022年1月7日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

言わずと知れた五木寛之の超ベストセラーの映画化
主人公の父母の重蔵とタエを仲代達矢と吉永小百の配役で、東宝から1975年に第1部、1977年に第2部が公開されて大ヒットしています
なので普通なら1979年頃に東宝で第3部が公開されたはずです

なのに本作は東映でまた第1部からの映画化なのです
第1部が1981年、第2部が1982年と立て続けに公開さています

東宝版を原作者の五木寛之が気にいらず、配役や演出について監督の浦山桐郎と衝突してしまったのです
原作者が東映に第3部は東映に撮って欲しいと、1979年に東映の岡田社長に直談判をしたそうです
文芸映画は数知れずありますが、このような事態は全く異例のことです

なので東映で第3部から再スタートのはずでした
ところがここから話が迷走を始めたのです
紆余曲折の末に、東映版も第1部から撮っていくことになり当初1981年正月映画の予定もズルズルと延びて、1981年1月26日の公開になってしまうのです
しかも何も決まらないままドンドン日が迫りクランクインは1980年11月20日、クランクアップは12月末という、たったの1ヵ月の撮影の急造映画になってしまいます
原作者から東映移行の条件とされた主演を予定していた高倉健からも泥縄仕事は嫌だと断られてしまう始末
脚本からなにから何までベタ遅れです

監督を引き受けた蔵原惟繕もこれでは無理と判断したのか、日大芸術学部後輩で気心の知れた深作欣二を第二班の監督に起用して乗り切ります
これが監督が二人になった理由です

その割にロケ地、セット、撮影、演出は素晴らしいものです
さすが東映の底力と感嘆します

しかし、肝心の子役の演技がガッカリのレベルです
急造すぎの弊害がここにあると思います
じっくり子役を選べなかったのでしょう
もし子役が成功していれば傑作だ!名作だ!と評価されたものなのにと実に残念に思います

しかし原作者が指名したタエ役の松坂慶子は特に素晴らしい演技でした
女としての美しさ艶めかさ、母としての強さ、優しさ
東宝版の吉永小百合に不足していたものすべてを表現しています
女優としてのきらめき、勢いがあります

彼女は本作の1年半前の1979年にテレビドラマ「水中花」でブレイクして、その主題歌「愛の水中花」も大ヒットしていました
このドラマの原作も曲の歌詞も五木寛之によるものだそうです
そのバニーガールの衣装姿と♪私は愛の水中花~というサビはあまりにも有名です

でも松坂慶子が超のつく大映画女優に一皮向けたのは本作によるものなのは間違いないことだと思います

その証拠に同年8月公開の「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」にはマドンナに抜擢され、翌1982年には、本作で松坂慶子を気に入った深作欣二監督により、「道頓堀川」、「蒲田行進曲」と連続して主演女優となるのです
そして、この本作を入れた4本はどれも日本アカデミー賞などの映画賞の主演女優賞を獲得しているのですから

トップ女優の座はこの時期、吉永小百合ではなく、松坂慶子にあったのだと思います

本作が彼女をその座につけたのだと思います

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あき240

2.5素晴らしき顔ぶれだが

2019年4月14日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

素晴らしき顔ぶれの役者陣。主役は菅原文太ではなく佐藤浩市じゃん。若山富三郎存在感抜群。松坂慶子は石炭まみれになっても美しい。子役たちがうまく演じきれていないのがもったいないかな。石田純一はここでもプレイボーイ。なお、織江との別れがいつもとても切ないのだ。最後は特に。

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まこべえ
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