ゴジラ(1954)のレビュー・感想・評価
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やはり初代は怖い、そして凄い!帝都炎上も破壊も別格のワールドスケール。
★独自採点(100):言わずと知れた初代ゴジラ!当時としては異例の制作費(『7人の侍』に次ぐ)をかけ誕生した。昭和ゴジラで唯一ゴジラ単体のみ出演の作品。市街地ミニチュアセットスケール1/ 25(国会議事堂シーンはゴジラの大きさを強調するため1/33)
通称:初ゴジ(身長50m)・登場(ゴジラ以外)怪獣:無し・防衛:防衛隊/海上保安庁(冒頭賛助クレジット)・97分(内特撮シーン及び対戦時間約40分)・上陸地(1回目大戸島・2回目品川埠頭=海中に現れその後陸地・3回目芝浦=海中から上陸)・破壊地(品川、新橋・有楽町、銀座和光・松坂屋、永田町国会議事堂、平河町、勝鬨橋等)・特撮爆破炎上破壊規模S(帝都炎上の炎がリアルすぎるほど凄い)
戦後間もない都心を破壊し尽くす様は当時本物と間違えられたのも頷ける、有名な和光ビルや銀座の松坂屋はゴジラに破壊された事に腹を立て以後長らく出禁となったのは有名だ。当時はゴジラという存在がいない中、役者陣は架空の怪獣を想定しながらの演技で見事としか言いようが無い、タイトルロゴの「ゴジラ」・ゴジラの咆哮・伊福部昭のゴジラのテーマもだが「ゴジラ」というネーミングも凄い(元ネタは東宝演劇部にゴリラとクジラを合わせたようなおっさんがいて、そのあだ名がグジラだったというから笑える、英語表記でGodzillaにはGODの意味も)、原型の明確なデザインは明らかでは無いが美術・造形班渡辺明中心に利光貞三が造形、ティラノサウルスのイメージから動物では無い怪獣のスタイルとして背びれをつけ、体表は原作者(香山滋)などの意見も取り入れ、利光が梅干しの種からヒントを得た(特技監督助手浅井正勝曰く、阿部和助は参考程度、利光が当時好きだったコーヒーウイスキーから閃いたキノコ雲の様なイメージとの説も)ワニ肌を進化させゴツゴツした皮膚にキノコ雲を想起させるモコモコした頭部にしたようだが、フォルムを決めるまで相当苦労したらしい。実際の製作は試行錯誤の上、出来上がった着ぐるみの重量が半端なくて重くて上下をぶった切って撮影したとか逸話は限りない、実は正確な色も謎のまま明確なカラー写真は存在しなくて、鎌倉カーニバルの宣伝で出向いたゴジラが唯一のカラー写真とされてる(海外ではポスターカラーからグリーンモンスターと呼ばれている)。
最初はゴジラはあまり姿を表さず足跡・音で想像させるなどの演出の盛り上げもさることながら、とにかく設定がすごい!ゴジラの身長50mは服部時計店の時計塔を壊すことを前提に(=首都東京の中止地銀座のランドマークとして選ばれた)、その対比から計算された身長(2024年2月4日フジテレビ番組「知らないうちに激変」では「ゴジラの身長は人間が見て恐怖感を感じる大きさ、建物から建物からぬっと出てくる大きさ」と言ってる。因みに有名な和光ビルとの対比、和光ビルは1932年竣工、地上から時計塔まで高さ39.39m屋上までの高さ:30.30m、時計塔の高さ:9.09m当時最も高い建物は東急会館=後の東急百貨店東横店西館43mはモスラで破壊されている、またゴジラ−1.0の身長は50.1mになっているが本当は50mにするところCGを作ったら10cm高くなっていたので+0.1になったそうだ)モノクロフィルムなのでゴジラが出てくるのは基本夜のシーンで時計塔の時間が11時だとすると何時にどこを通過するのでその時間の街の灯り想定した火入れしたとか、有名な鉄塔を放射熱戦で溶かすシーンはブリキ・銅・蝋を組み合わせ溶け方のバランスを考えた制作、銀座の電車に交通博物館のリアル模型を使っての撮影、ミニチュアセットの作り込みもCGやVFXでは無いリアルな特撮だった(特に合成シーンのリアルさは当時画期的、またビル単体での破壊シーンのミニチュアは破片が落ちる重量感を出すために3mをゆうに超える大きさの物を作った)いうところはもう神がかった作りとしか言いようが無い。
この当時はまだ大セットを組めるスタジオが完成していなかった中、オープンセットだからこその火炎の迫力は初代ならでは、その後の昭和ゴジラで超えるものは無い。ちなみに東宝の大プール(「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」のために建設以降の東宝作品でも使われた)もまだ完成してないので艦船の映像は実船(=海上自衛隊に貸与された米フリゲート艦、爆雷シーンは旧海軍の対潜訓練の映像と言われている)、ゴジラの芝浦上陸は小プール。照明も最初からモノクロのコントラストを意識したトップからのライティングが映える。ちなみにゴジラ上陸時の機関銃は本物らしい(当時はまだモデルガンが無かった)
と言うことはあのシーンに出ているのは当時結成されて間もない自衛隊員が撃っていると言うことになる、実際空砲用のアタッチメントが取り付けられている。また、芝浦上陸を待ち受ける大砲もまた本物の映像(空砲)を使用したとのことで模型では表現できない砲身の輝きが凄みを増している。
今見ても文句なく面白いしリアルすぎて怖い。ゴジラ-1.0を見た後に観ると各所にオマージュを感じられると共にVFXのあのシーンを特撮のリアル映像で撮影した凄さを改めて実感する。そして、ゴジラと対峙する自衛隊はこの作品が出来た年に正式に結成された、自衛隊が撮影に協力した始めての映画である(広報活動として防衛庁が映画に全面協力したのは「ゴジラVSビオランテ」が公開日としては初・1990年公開東映「ベストガイ」に次いで2作目平成ガメラシリーズより先)。
余談だが、この初代ゴジラはオキシジェンデストロイヤーで唯一消滅している、その後の昭和ゴジラは全て2代目(子供から大きくなったのを三代目とする意見もあるが基本的には全て二代目)、着ぐるみ(スーツ)としては何度も作り変えられたが顔は全て異なっている。兎にも角にもこのゴジラがいなければその後のゴジラはいなかった訳で問答無用にNO.1だ。
以下、個人的なゴジラランキング↓(全作品5回以上見た上で、今後他のゴジラシリーズもレビュー予定、ランキングは変わるかもしれません)
1『ゴジラ(1954)』
2『ゴジラ-1.0』
2『シン・ゴジラ』
4『ゴジラVSデストロイア』
5『ゴジラVSビオランテ』
6『ゴジラVSキングギドラ』
7『ゴジラVSスペースゴジラ』
8『ゴジラVSメカゴジラ』
9『ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃』
10『ゴジラ2000ミレニアム』
11『三大怪獣地球最大の決戦』
12『モスラ対ゴジラ』
13『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS』
14『怪獣大戦争』
14『ゴジラ×メカゴジラ』
14『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』
17『キングコング対ゴジラ』
18『ゴジラ対ヘドラ』
19『ゴジラVSモスラ』
20『ゴジラ(1984)』
21『ゴジラFINAL WARS』
22『怪獣総進撃』
23『ゴジラ×メガギラスG消滅作戦』
24『GODZILLA ゴジラ(2014)』
25『ゴジラの息子』
26『ゴジラ対メカゴジラ』
27『ゴジラの逆襲』
28『ゴジラvsコング』
29『ゴジラ対ガイガン』
30『メカゴジラの逆襲』
31『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘』
32『GODZILLA (1998)』
33『GODZILLA 星を喰う者』
34『GODZILLA 決戦機動増殖都市』
35『GODZILLA 怪獣惑星』
36『ゴジラ対メガロ』
37『ゴジラミニラガバラオール怪獣大進撃』
70年前・・・ここから伝説は始まった。
昨日「ゴジラ-0.1/C」を見たら、無性にこの作品が見たくなりました。
ありのままの姿を、白黒で残さざるをえなかった時代の作品 。やっぱりリアル感が全然違う。
精巧なミニチュアが、チープに見えないこともないが、そこに実際にあるものとして、やはり存在感がヒシヒシと伝わってくる。
東京の大火災の中で、浮かび上がるゴジラのシルエットがヤバイ。まさに恐怖の象徴 。
白黒画面がドキュメンタリーフィルムのように真実味を突きつけてくる。
口から吐き出す放射能にしても、今時のゴジラみたいな派手さはない。着ぐるみ感がハンパないのも時代だから仕方ない。
とにかく、当時の最高技術を費やして出来た作品として、重みを感じます 。
やっぱり大人が見ても十分に見ごたえのある一本です。
今でも使用される音楽も、ホンッと素晴らしい。まさに、ゴジラと言えばこれ。
最後に、菅井きんさん若い!オバさんになってからのイメージしかなかったので、ビックリしました。
【ネタバレ含む】
当時のことは解らないけど、「ゴジラ」ってどんな宣伝したんだろう?
大戸島で、あの姿が出た時は、ホンッと驚いただろうね。見たこともない未知の生物が登場したわけだから。
そして、恐怖のドン底に堕ちていくわけだけど、やはりゴジラが最期を迎えないとこの怖さは拭えないわけで。
結局、未知の生物を倒すには、未知の科学ということで、オキシジェン・デストロイヤーを出すしかなかった。ゴジラシリーズの中で明確に最期が映し出されるのはこの作品だけじゃないかな。
その最期を見せておきながら、この一匹だけとは思えないと言って、恐怖を煽るラスト。
やっぱり「ゴジラ」は、大人の鑑賞に耐えうる恐怖に震える一本です。
第一作
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ゴジラが登場して東京を目茶苦茶にする。
そんな時、ある科学者が水中の酸素を全部飛ばすという発明をする。
そして何故かその水は生物を溶かすという設定w
それを使うといずれ戦争に使われると拒否した科学者だったが、
最後は説得され使用するも、配合などの書類は全部焼き自らも自殺。
こうしてゴジラは溶かされた。
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へえ、ゴジラって全部同じ人(?)と思ってたけどちゃうんやな。
今回のゴジラは溶かされたんで、第二作以降は別の個体ってことなのね?
じゃ、科学者は完全に無駄死にだったってこと?(場)
白黒映画やし、ハリボテみたいな感じなんかと思っていたら、
白黒で分かりにくいのが良い方に働いたのもあって、
そんなに違和感なく見ることが出来た。
ゴジラが出て来たのは水爆実験を人間がやるからで、
しかも科学者が発明を戦争に使われないよう自殺するなど、
平和的なメッセージの強い映画やってんな。
大ヒットで当時国民の10人に1人が見たのだとか。
宝田明は全然分からんかったが、菅井きんはすぐ分かったw
水爆大怪獣映画‼️
ゴジラ‼️怪獣王ゴジラ‼️日本、いや世界で "怪獣" という単語を初めて認知させた偉大なるゴジラ‼️建物を破壊し、戦闘機や戦車と大戦闘を繰り広げるゴジラ‼️怪獣なのに子供たちのヒーローでもあるゴジラ‼️怪獣映画なのに反戦・反核を訴える素晴らしい映画「ゴジラ」‼️今では数々の共演怪獣(巨大な鳥、蛾、ロボットのゴジラ、3本首の宇宙怪獣、超巨大なゴリラ)も有名になり、ハリウッドの最新映像でも描かれる一大フランチャイズと化してしまったゴジラ‼️ただやはり1954年に公開された第一作「ゴジラ」は格が違う‼️この作品は太平洋戦争を経た我々日本、ポスト・ヒロシマ、ポスト・ナガサキ時代の日本社会が生み出した不吉な不吉なお伽話なのである‼️相次ぐ水爆実験により太古の眠りから目覚めた体長50メートルの大怪獣ゴジラは、口から放射能線を吐き東京を焼土と化すが、芹沢博士が発明したオキシジェン・デストロイヤー(水中酸素破壊剤)の前に敗れる・・・‼️この作品が素晴らしいのは、ゴジラ襲撃において描かれる人間ドラマで、大勢の家族が病院で泣き叫ぶシーンや、炎に包まれた街中で3人の子連れの母のセリフ「もうチョットでお父ちゃんのところに行けるからね」、最後まで実況を続けたラジオクルーの「皆さん、さようなら」‼️そしてこの作品の人間ドラマの核を成す芹沢博士‼️自らが発明したオキシジェン・デストロイヤーの威力を恐れながらも、ゴジラを倒すためと苦悩し、自らの命も道連れにゴジラを海中に没させる‼️平田昭彦さんが素晴らしい名演で魂を吹き込んだ、眼帯がトレードマークのこの天才科学者は、映画史上に残る名キャラクターですね‼️また山根教授を演じる我らが志村喬さんも、ゴジラへの警戒心と興味心を巧みに演じ分けていてサスガ‼️同じ年に「七人の侍」と「ゴジラ」に出演してるなんてスゴい‼️山根教授のセリフ「私は見た!確かにジュラ紀の生物だ」には心躍るし、シメのセリフ「あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。このまま水爆実験が続けば、ゴジラの同類が世界のどこかにまた現れるかもしれない」‼️何たる反戦のメッセージ‼️素晴らしすぎる‼️特撮面に関しても着ぐるみのゴジラは今観てもメチャクチャ怖いし、東京湾から上陸、品川駅を叩き潰し、列車は放り投げられ、銀座のデパート、時計台、国会議事堂もペチャンコ‼️中でも高圧5万ボルトの高圧線の鉄塔をゴジラが一気に引きちぎり、溶かし去る‼️スゴいです‼️加えて、高らかに鳴り響く伊福部昭さんのテーマ曲もホント忘れられない‼️そして最も重要な事は、この作品が世界唯一の被爆国が、その9年後に水爆実験の恐怖に晒されながら必死になって作った怪獣映画であるという事‼️いろんな面で大変だったと思います、意義深いと思います‼️いろんな世代の方に観て欲しいですね‼️まぁ、ハリウッドの最高のモンスターであるキング・コングとの対決、コンビも実現した今、我々怪獣映画ファンに残された夢はあと一つ‼️ズバリ「ゴジラvsガメラ」‼️東宝と大映の英断‼️期待してます‼️
怪獣もの好きじゃなくても面白いと思うよ
この作品は面白い。50年代の作品なので演技が大袈裟なことや、映像が粗いこと、特撮の限界など、問題点はあるけれど、それを抜きにしても面白いのだ。
映画は光と音の総合芸術と言われたりする。つまり、映像と音楽、サンウドエフェクトで娯楽性や芸術性を創出するものということだ。
本作の場合は作中で使われているゴジラのテーマ、誰でも聞いたことがある馴染みのテーマ曲が実に効果的なのだ。
さすが、いまだに続くゴジラ作品群の一番最初の作品だけのことはある。
思っていたよりもスゲーな、と低能な感想しか沸かないほどに、なぜ面白いのか解き明かせない。
やはり高揚するテーマ曲の力なのだろうか。
自分もそうであったが、有名作品だけど古いしな、なんて思って観ることを躊躇っているあなた。観たほうがいいよ。
懐古主義的に評価されてるだけじゃない面白さがここにはある。
ゴジラという文化はここで生まれた
なんといっても、これこそゴジラですね。
この1映画で今も続いているゴジラそのものができている。
すべてのエッセンスが詰まっていますね。
何度見ても楽しませてもらっています。
「ゴジラ」の出発点
「反戦」そして「反核」を強く感じる映画でした。
「ゴジラ」の原点・・・
原点などとと偉そうに言っても、日本のゴジラ映画は
この1954年11月3日公開のこの作品と
2016年の「シン・ゴジラ」しか観てませんが、
ハリウッド映画の方がたくさん「ゴジラ」出演作を観ています。
今月公開したばかりの「ゴジラー1.0」はゴジラ生誕70年周年記念作品
とのこと。
映画鑑賞の何かの参考になればと思い観てみました。
2回目です。
映画がはじまると同時に
ゴジラの咆哮がする音が鳴り響きます。
そしてゴジラの足音。
足音をモチーフにしたテーマ曲。
「シン・ゴジラ」にも使われていた「ゴジラのテーマ」です。
一気にゴジラの世界へ引き込まれます。
1954年は第二次世界大戦が終わって10年も経たず、
「原子爆弾の投下」の傷跡も日本人の心には重く残っています。
この映画はモノクロですし、非常に画質が粗いです。
ある異変から始まります。
小笠原諸島近海で付近にいた貨物船「栄光丸」が突然SOSを
発信して沈没します。
救助に向かった貨物船も同じ地点で行方不明になります。
栄光丸の船員たちは見たのです。
白く煌めく光を。
そしてそれと共に爆発か?爆撃を受けたような衝撃があり、
船は木っ端微塵に砕け散る。
そして何人かが救命ボートに乗るものの、
またもや何物かの襲撃を受けて沈没。
しかし乗組員の1人が筏で大戸島に漂着する。
船員は一言、
「やられただ……船ぐるみ」を残してと絶命する。
大戸島には、「ゴジラの伝説」が古くからあったと言う。
そして本格的にゴジラが画面に現れるのは25分過ぎ頃。
この映画ではゴジラは太古の恐竜の一種で、水中で生きるように
変化したものと定義される。
それが人間の度重なる水爆実験により、口から放射能を吐く・・・
形態に進化してしまう。
海で大暴れして17隻も沈没させてしまう。
その後は大戸島に出没して島の家屋をなぎ倒す。
考古学者の山根博士は大戸島の調査で、ゴジラが放射能を
撒き散らすことを確認する。
そして山根博士は「ゴジラ」と命名する。
ゴジラは200万年前ジュラ紀に生息していたと推測する。
ゴリラの襲来した大戸島は放射能で汚染していた。
井戸水の一部は汚染で、山根は飲まないようにと村人に告げる。
大戸島で大暴れしたゴジラは海を伝って東京湾に出没する。
放射能を口から吐きながら、家を壊しビルを破壊し橋を壊す。
東京の街はB29の空襲を受けたような惨状。
山根博士はゴジラを殺さずに考古学の研究に繋げるべきと主張する。
しかしそんな呑気なことを言っている場合でないことは、
誰でもわかる。
その頃、山根博士の娘の恵美子は元婚約者の芹沢博士から、
ある重要な事実を告白されて、他言しないと約束する。
芹沢が発明したのは原爆・水爆にも匹敵する新型の化学兵器で
名前を、エキシジョン・デストロイヤーと呼ぶ。
(この芹沢博士は2021年の「ゴジラvsコング」で小栗旬がその息子・
芹沢蓮を演じています)
恵美子は今こそそのエキシジョン・デストロイヤーを使用すべき時が来た・・・
と芹沢を説得する。
使用を決意した芹沢は潜水服を身につけて、容器に入れた
エキシジョン・デストロイヤーを抱えて
芹沢と尾形は海底深く潜る。
芹沢が命を捨てる覚悟で、エキシジョン・デストロイヤーを起動して
ゴリラに振りかける。
ゴジラは苦しみ悶えて海のもずくとなる。
ゴジラは死んだが、山根博士は、
「人間が水爆実験を続ければ、また別のゴジラが現れる」
と鎮痛な面持ちで告げる。
映画は鎮魂の響きと共に幕を閉じる。
以上が簡単な概要です。
ゴジラ映画はそのはじめから、「反戦映画」だったと思います。
人間の愚かな行いが、人知が及ばない程の怪物・怪獣を産み出し
戦争のように無益な戦いを強いられる我々庶民の姿を
映す映画であると、そう思います。
ゴジラ-1.0を見て再視聴
現代基準のエンタメとして星3
怪獣映画のパイオニアとして文化的好奇心で星+1で
星4です。
星5でも良いぐらい楽しめましたが、その後の映画界の進歩に敬意を表し星4とさせていただきました。
初めて見た時の記憶があまり無かったので新鮮な気持ちで再視聴しました。
モノクロ映画は普段見ないので、視聴中断も覚悟で見ましたがこれがとても面白い!
1番感動したのがテンポの良さで
主人公周りの人間ドラマ、政府の動き等の群衆ドラマ、ゴジラが暴れ回る破壊シーンのバランスの良さが終始飽きさせませんでした。
ゴジラがモノクロである事で幽霊的な怖さも出ており、現代の映画と比べても絵作りが同等かそれ以上にカッコいい所も多々あり、思わず「かっけー」と口走ってしまいます。
それと同時に現在の映画と比べてお粗末な所と多々ありその【隙】な様な物も当時のスタッフの努力を想像し感慨深く笑わせてもらいました。
CGが無い時代の映画はあらゆるVFXに可愛げがあって安っぽさも又味になるのが良いですね。
少し悲しくなったと同時に考えさせられたのが瓦礫や焼け野原になった街の映像がその後のどのゴジラシリーズよりリアルで凄まじいクオリティーでした
やはり戦中世代は実物を見て体験しているだけあって瓦礫と化した街のシーンにそれぞれが特別な思い入れが入っていたのかな?と思います。
ゴジラから逃げ惑う人々がゴジラの進行方向から逸れて逃げるシーンもあり、初代の民衆の方が頭が良いんだなと笑(ダメでしたが)
ゴジラをキャストとして使用する後のゴジラ作品と比べ本作はゴジラが根底でありコンセプトそのものである為作品としてのパワーが違いました。
ゴジラ-1.0は非常に残念な出来でしたが、ゴジラシリーズはこの初代があるだけで安泰だと感じさせる名作です。
傑作であり、唯一の"反"怪獣作品!
20前後?ぐらいの若輩時に見た今作「ゴジラ」の記憶と、オヤジ世代になって再視聴した印象は全く違っていた。
それは映画としても傑作であるが、唯一の "反" 怪獣映画 であることを認識したから・・。
ゴジラそのものをもっとリアルに描いた作品は他にもあると思うが、そのゴジラに対する "人々の反応" を一番リアルに描いたのは本作と思う。
ゴジラの特徴の一つである熱線の放射。
ほとんどのゴジラ作品でその熱線は、建物や戦車・飛行機等に向けられている。
が、この第1作のワンシーンは明らかに逃げ遅れた人々に向けられ、炎で包んでしまう・・。
体が燃えるようなリアルな描写はないが、残忍なシーンだ・・。
ゴジラが町を侵攻して行くなか、母親と3人の子が逃げ遅れて壁際にへたり込んでいる。、
恐ろしい怪物の姿を子に見せぬよう、子の顔を自分の体にうずめる様に抱きかかえながら、なす術もなく座り込んでいる・・。
そして子供に恐怖与えないために、諭す様に言う言葉は・・。
「もうすぐ、お父ちゃんの所へ行くのよ・・。」
夫に先立たれたのか、この母親はそれまで必死に子を育てたきたはず、それが "ゴジラという災い" を前に、風前の灯火と化している。
こんな無慈悲に感じる切ないシーンが、怪獣映画にあっていいのだろうか・・。
そのゴジラの容赦ない破壊に、博士と同居していた青年は涙ながらにつぶやく・・。 「畜生~・・。 畜生~・・・。」
我が町が ”ゴジラという災難" で消滅していくのが悔しくてたまらないのである・・。
ゴジラが暴れた翌朝、町はまるで空襲にあったかのようにガレキと化していた。 (おそらく東京空襲など実際に戦争を体験した当時の人にとっては、見るに堪えがたいシーンだったかもしれない。)
そして町の病院は負傷者でごった返し、通路まで包帯を巻かれ横たわった人があふれている・・。
そのシーンはもう怪獣映画の領域をはるかにこえて、
戦争映画かニュース映像のようなリアルな描写だ・。
そして一人の母親が無言の顔に布をかぶせられ、担架で運ばれていく・・。「お母ちゃ~ん」と女の子が泣き叫ぶ・・。。
思わず目が潤んでしまった・・・。
戦争映画にもアクションシーンを売り物にした、"戦争アクション"というジャンルと、その悲惨な戦闘シーンとともに、こんな事は二度とあってはならないという、メッセージを含む、"反戦映画"という対立するジャンルがある。
そう、この第1作目の「ゴジラ」は "反" 怪獣映画である。
空想映画ながら、こんな悲惨な事はあってなならぬというメッセージが伝わる・・。
それをさらに如実に表すシーンが後半に・・。
学校や会社などで、亡くなった人への追悼と、平和が訪れますようにとの希望を込めて、"鎮魂歌" のようなものが、集団で歌われているシーンまで描写さえているのである・・。
おそらく当時には怪獣映画などというジャンルはなく、
現代で言えば ディザスタームービー(大惨事・災害などのパニック映画)として、観衆は驚きと恐怖を持って、この作品を見たと思う。
だから世界的に大ヒットした。
当時子供が見ても、ただ楽しいと感じる様な"怪獣映画" であったなら、これほどの評価はされなかっただろう。
「七人の侍」等でおなじみの名優、
志村喬さんをはじめ俳優陣のシリアスな演技も素晴らしい。 今で言うアイドル顔の出演者などは一人もいないところが緊張感を増し、よりリアルなものに仕上げている。
シナリオ、音楽、各シーンの描写力、俳優陣の演技、全て素晴らしい。
他のゴジラ作品を見ても 今作を未見の方は、是非ご視聴を♪
怖いけど面白かったぁ……
前提として
・本多猪四郎監督の他作品は未視聴。
・香山滋の作品は未読。
・『シン・ゴジラ』は視聴済。
めっちゃ面白い。
いつ観ても色あせない、恐怖と重さと面白さがある。
まずは恐怖。
船の沈没事故、謎の台風被害、放射濃度の高い足跡……と徐々に謎の生物の存在を想起させていき、ついにゴジラ登場。東京に上陸して踏みつぶし、噛み砕き、熱線で焼き尽くす。
建造物が破壊される様子は、ただ特撮としての良さが描かれている。怖いのは、その中に人が居るということ。原爆も同じ。街が崩壊して放射線が残るのが怖いんじゃない。そこに人がいて、死だけじゃ済まない恐怖と傷が残るから怖いのだ。
家屋が踏みつぶされて家族が下敷きになる。人の乗った電車がゴジラにぶつかって横転する。電波塔が倒れてそこにいる報道陣が落下する。そして火の海と化した東京を歩く姿は、まさに恐怖。
次に重さ。
車や船など、ミニチュアなのが妙にリアルで地震を思い出す。戦争を経験していなくても、自然災害によるトラウマが頭をよぎる。それも人が中にいるというシーンをいくつも描いた賜物だ。
ゴジラを目の前にして、「やっとお父さんのところに行けるよ」と子供と心中めいたことをしようとする母親。逆に母親だけ死んでしまった幼い子供。避難所で被ばくが確認される人々。戦争と原爆の生傷が垣間見える。
そして面白さ。
何よりもこの作品は、人がゴジラという災害に出くわしたときにどうするのか、何をするのかにカメラが向いている。これが面白さに大きく影響している。
特に山根博士と芹沢博士。
前者はゴジラを進化した生物、人間にとっての福音と捉えて生かしたまま研究するべきだと主張する。しかしそんなことを言ってられないほどにゴジラは暴れまわり、世間とは真逆の主張として追い込まれていく。彼の最後のセリフに注目。
後者はゴジラとのシンパシーがある人物。しかし核兵器を超えた大量殺戮兵器を生み出してしまう。ビジュアルのかっこよさと深い影、そして葛藤する姿が魅力的。
他にも、報道に命を懸けるテレビスタッフ、「また疎開なんて嫌だな」とぼやく人、(東京上陸前の)ゴジラという存在を隠蔽しようとする国会議員……この映画の主役は人なのだ。
あと、下手に恋愛の話を強調しなかったのも好印象。
ゴジラのデザインも誇張しすぎず、特徴も残しつつで良い。人型の中でも、かなりシンプルな部類なんじゃないだろうか。でもそれが美しい。背びれとか好きだけど、印象に残るのは眼。クレイアニメ調でどこを見ているのか分からない、生気のないやつ。もし真上にいたら全力で逃げたくなる。そういった怖さも持ち合わせている。
音楽も名曲ぞろい。後年にわたって何度も使われる説得力がある。テーマの後ろから聞こえてくるゴジラの叫び声も秀逸。
反核怪獣映画として何度もリメイクされてはいるが、第一作の時点でほぼ完成されている。原点にして頂点。これをリメイクするのが簡単じゃないのは間違いなく、『シン・ゴジラ』がかなり忠実なうえにすべてがパワーアップしているトンデモない作品であることも実感できた。
ミサイル一発も当たってないやんけ問題やら、もう少し外国の横やりが見たかった欲張りやら、ゴジラ抹殺の地味さなどはあるものの、怪獣映画の傑作として間違いない。そんな作品。
特撮、(プロレスしない)怪獣映画、『シン・ゴジラ』、戦争映画が好きな人におすすめ。
これはハマる。
「ちきしょう!」
この作品を観て、何故ゴジラの下半身があんなにも太いのかを理解した。恐怖は遥か遠くから大きな地響きとともに近づいてくるのだ。その為には、肉食恐竜のような細い脚では全くもって説得力が足りないのだ。
焼け野原の東京を地響きをたてながら悠然と歩くゴジラ。大戸島で家族を失った少年が、街を蹂躙するゴジラに向かって「ちきしょう!ちきしょう!」と叫ぶ。
その叫びを聞き、『ちちをかえせ ははをかえせ』で始まる峠三吉の「原爆詩集」を思い出す。東京大空襲への怒りを書に叩きつけた井上有一の「噫(ああ)横川国民学校」を思い出す。
ただ、この作品は過去を見つめたものではない。未来を見据え、警鐘を鳴らすものである。科学技術の進歩を止められないものとしつつ、山根と芹沢という研究者を通して、我々に理性を問うている。それは70年経った今、より重たいものになっている。
最後、海底に沈み骨となるゴジラ。その姿を見て悲しくなるのはなぜだろうか。
特撮映画としてだけでなく、骨太な中身を持った映画作品。今後、このような映画が作られることのないようにという、強い思いを感じる。
【”君は、伊福部昭氏の重厚なメインテーマを聞いたことが有るか!”邦画が世界に誇る怪獣&特撮映画の金字塔作品。強烈な反核映画作品でもある。】
ー 兎に角、本作のゴジラは無慈悲で、怖い。そして、それが良いのである。-
■今作後、ゴジラ映画は一体、何作公開されたのか。
日本だけでなくハリウッドにも進出し、ナント70年近く、人々に愛されているのである。
- 個人的には、ローランド・エメリッヒ監督作は無しにしたい・・。-
◆感想
・万民が鑑賞していると思われるので割愛。
<久方ぶりに鑑賞したが、1954年の今作は今でも十二分に面白い。
何よりも、今作が切っ掛けとなり、70年近く世界で様々な””ゴジラ映画”及び影響された”パシフィック・リム”を始めとした作品が製作、公開されている事に、日本人として先人の偉業を称えたくなる作品である。>
第五福竜丸事件
TDRのミッキーマウスやUSJのミニオンと同じく東宝のゴジラはイメージキャラクター。そんなゴジラがデビューした作品。
マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカ合衆国がおこなった水爆実験で第五福竜丸が被爆した事件(第五福竜丸事件)に基づきゴジラが生まれた。
当時は東西冷戦の全盛期で核実験の全盛期でヒロシマ・ナガサキを超える水爆開発に余念がない米ソ。偶然、被害に遭い被爆したのが第五福竜丸。核実験に使用した「ブラボー」はヒロシマ・ナガサキの約1000倍の破壊力とされた。
ちなみに当時のアメリカ合衆国大統領は第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワー。911のブッシュ大統領と同じテキサス州生まれで元大本営の岸総理とも交流があった。
ゴジラ、科学兵器、驚異と恐怖の大決戦‼
意外と評価が低かった『ゴジラ』(1998年)に比べれば、『ゴジラ』(1954年)は立派な怪獣映画です。円谷英二の特撮は今見ると安っぽく見えるが、それでも映画のインパクト、脚本、ドキドキワクワクする展開が止まらない。モノクロで、ほとんどホラー映画です。怖くて、面白くて、力強くて、宝田明をはじめとするキャストの演技が、原水爆への痛烈な批判でもあるこの映画に華を添えている。
科学者の倫理観を再認識しましょう
阪急交通社のたびコト塾で申し込んだので特等席で観れました
思えば、コロナで何度も中止になり、行く気が失せてたんですが、再開後好評だったので再上映との事
嬉しいかぎりです
上映前に講談師と落語家の前ふり付きでした
寄席なんて行った事ないから新鮮でした
それに、特撮への想い、ミニチュアへの想い
そして、ゴジラの着ぐるみに入った俳優の想い等々、講談で聞いてちよっとウルッときました
熱い熱い想いがあったんだ
ゴジラは何度も観ていたんですが
あらためて観ると、やはり名作です
若干の古さは感じられますが、演出もスムーズで新鮮
ツッコミどころは沢山ある
特に芹沢博士のうさんくささと河内子の天然ぶり
でも、ロシアの暴挙に決定的な策がなく、ズルズル状態のご時世
強力な武器の危険性について、今一度考えさせられるよい作品ですね
核までチラつかせるプーチンは何があっても許しておけない
アメリカの大量殺人を見てもわかるように
銃ひとつとってみても人間には手にあまる
ヒトはもう少しは善であるべきなのにね
昭和29年の昔から人間はちっとも変われない
平成のゴジラシリーズを観ていると、初代ゴジラからの繋がりが多いので...
平成のゴジラシリーズを観ていると、初代ゴジラからの繋がりが多いのでようやく観てみた。
戦後からまだそんなに経ってない時代でこれはけっこうリアルだったんだと思う。
白黒の方がゴジラの不気味さや恐さがすごく伝わってきた。
オキシジェンデストロイヤーなる毒ガスを使用する等もってのほかだ。
まだ、防衛庁が発足したばかりの頃なので、協賛は海上保安庁のようだ。従って、未確認生物に発砲する瞬間になんのためらいもない。GHQが1952年にサンフランシスコ講和条約によって廃止されたばかりなので、まだ、自衛隊に専守防衛の権限などないはずだ。従って、そのフラストレーションをゴジラにぶつけて、発砲しまくっているように見える。だから、オキシジェンデストロイヤーなる毒ガスを使用する等もってのほかだ。
水爆、放射能に対する警鐘はうなずけるが、やはり、台本がチープ過ぎる。
『○○獣の後始末』なる映画があったが、ゴジラの遺体は東京湾に放置されていることになり、しかもオキシジェンデストロイヤーに際して出来た副産物で、この一帯は死の海になるはずである。つまり『○○病』になる病が発生すると思うが。『綺麗な水が毒ではない』は間違いなのだ。海上保安庁が協賛するような映画なのだから、もう少し考えてもらいたい。怖い話だ。
始まりにして、最高傑作
レンタルビデオ黎明期に、過去のアーカイブ的な扱いで、自宅のテレビで鑑賞。その異様な雰囲気に、引きこまれ、一気に最後まで見た。まるで、どこかの孤島が台風に飲み込まれるニュースのような、天災みたいな雰囲気だった。
当時から、原子力というもののあやしさに、不快感を感じる人は多かったけど、自分が生まれる前に、水爆実験を引き金に、また日本が核の被害に飲み込まれるという骨子を、極限の映像で表現したギリギリの映画だったと思う。
今は、都会のビル群をその太い尻尾で薙ぎ払うような映像が当たり前に見られるが、この時代小笠原の漁村に上陸し、暗い夜の村を襲う映像はかえって新鮮だったりする。その迫力に圧倒された。そこに本当に未知の生き物がいるように錯覚したものだ。
この始まりの恐怖と畏敬の念を、いまだに超えるゴジラが生み出されていない。それだけははっきり言えるだろう。
2019.7.3
ドメスティックな恐怖
初めてみたのはたぶん2015年。
山岸凉子のエッセイ漫画に描かれていた「ゴジラが山の端から顔を覗かせるシーンの恐怖」を味わいに劇場へ行きました。
ゴジラ映画はまだ10本ほどしか観ていない新参者ですが、結局この1本目が初代にして決定版だと思ってしまいます。
やっぱりゴジラの怖さも、ドラマも、映画全体の出来映えとしてもベストで、そもそもゴジラという仕掛けが極めてドメスティックな存在だったことを痛感させられます。
終戦から10年も経たない、記憶や傷跡の生々しい段階で公開された初代ゴジラの、街を破壊する場面が当時の観客にどれだけの衝撃をもたらしたかは、その後の続編とは一線を画すものだっただろうと想像します。
この初代だけが持っている暗さ、怪獣が暴れるような荒唐無稽な企画でありながら独特の静けさは死者に向けた弔いの様相。
これだけ沢山作られていながら、結局災禍の後のその時限りの企画でしかなかったことを示しているように思います。
だからこの初代のインパクト、ゴジラという仕掛けが真価を発揮できるのは戦争や水爆といった現実の災禍が起きた後に、その傷を再びフィクションの中で再現する以外にないのだろうとも。
その点で震災の直後に作られた「シンゴジラ」は奇跡的な一作だし、アメリカ版としてはレジェンダリーよりも「クローバーフィールド」の方がより正統なアプローチだったことになります(俯瞰のショットを作ってしまった後半はいただけないけど)。
レジェンダリー版もこれはこれで好きですが、せっかく怪獣たちのワールドツアーするなら現実の地震やハリケーンなどの被害があった場所を舞台にしてその被害を再現したらいいのにと思います。
ニュースや映像を通してであれ、現実の被害を共有している観客にこそゴジラは真の姿を現す。人間の無力さの象徴として。
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