兄弟仁義

劇場公開日:

解説

「やくざGメン 明治暗黒街」でコンビの鈴木則文と村尾昭が共同でシナリオを執筆、「花と竜 洞海湾の決闘」の山下耕作が監督した仁侠もの。撮影は「日本侠客伝 血斗神田祭」のわし尾元也。

1966年製作/87分/日本
配給:東映
劇場公開日:1966年4月23日

ストーリー

時は大正時代。草間温泉は湯元の縄張りをめぐって鳴子組と鬼頭組が対立していた。通称壺振りの勝、貴島勝次と岩木五郎の二人組が鳴子組に草鞋をぬいだのはこんな時であった。勝次は生き別れの母を捜して、北海道から上州までイカサマ旅を続けているのだ。ある日、勝次のイカサマを鳴子組の代貸清滝勇吉が見破った。しかし勇吉は勝次が母を慕う気持を知ると責めるのをやめた。勇吉は鳴子組の親分治三郎に拾われ代貸しにまで育った身であった。勇吉が勝次を身内の反対にもかかわらず救えたのは、鳴子組の客分藤上栄次郎の後だてがあったからであった。勝次は勇吉のはからいで母を捜して東京に発った。だが夢にまで見た母は、立派な呉服屋の内儀におさまり、勝次を冷たく追い返した。一方湯元を卑劣な手段で手に入れようとする鬼頭組々長鉄五郎にとって、一徹な治三郎は目の上の瘤であった。こんな時に勝次のイカサマを聞き、鉄五郎は勝次の弟分五郎を強引に身内に入れて、渡世の明しを立てよと治三郎に迫まった。その頃勝次は母の仕打ちを見るにつけ、勇吉、栄次郎に肉身以上のつながりを感じ、急ぎ草間に帰った。しかし勝次をむかえたのは、鬼頭組の兇刃であった。どうせ斬られるなら鳴子組の者にと、勇吉・栄次郎の懐にころがりこんだ、血だるまになった勝次を抱いた勇吉の目に涙が、光かった。治三郎は勝次を許し、勇吉、栄次郎は兄弟分の盃を交わした。怒った鬼頭組は殺し屋黒江に治三郎を斬らせた。勇吉は、単身鬼頭組に殴り込み、警察の手に逮捕された。勝次はさびれゆく鳴子組を守り、勇吉の許婚者くにを守った。やがて勇吉が出所した。だが勇吉は、鬼頭組にのりこむため、組の解散を命じた。勝次は鬼頭組の手に入ったくにの借用書を賭けて、鉄五郎とさしの勝負を挑んだ。だが鉄五郎のイカサマを見破った勝次は、鬼頭組の手で斬られた。はやる勇吉に、栄次郎はとめに入ったが遂に、治三郎・勝次の恨みのこもったドスで鉄五郎を叩き斬った。自首する栄次郎の顔は晴ればれと冴えていた。

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