おとうと(1976)

劇場公開日:

解説

幸田文の代表作品の映画化。父が作家で、母は継母という家庭環境に育った、姉と弟の心の交流を描く。脚本は「妖婆」の水木洋子、監督は「パーマネント・ブルー 真夏の恋」の山根成之、撮影も同作の坂本典隆がそれぞれ担当。

1976年製作/93分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1976年12月25日

ストーリー

げんは十八歳、弟の碧郎とはわずか三ツ違い。リュウマチで手足のきかない母の代りに家事のほとんどをこなしてきた。げんは碧郎にとって姉以上の存在であった。まして二人にとって母は血のつながらない継母。作家である父との夫婦仲もうまくいっていない家庭にあってはげんだけが心を通じた唯一の存在だった。碧郎は向こう意気が強く、強情な性格の持ち主である。ある時、学校でのちょっとした事件がきっかけで彼は級友達から孤立。不良仲間とつきあうようになり、この頃では言葉つきや、態度も乱暴になりつつあった。そんな碧郎に対して、クリスチャンの母はただ蔑みの眼ざしと嘆きのためいきをむけるだけ。げんの叱言もこんな場合は無力であった。ある日碧郎は万引き事件で逮捕され、学校も退学処分にされてしまった。その夜、事件をめぐって、父と母、そして姉弟の間に気まずいあらそいがあった。結局、碧郎は新しい学校を自分で探し出し、通いはじめた。その年の春、げんは女学校の行き帰りに若い男につきまとわれた。そんなげんの様子に気がつき、不良仲間と協力して撃退したのは碧郎であった。夏になり、碧郎は身体中のエネルギーをもてあましているかのように、遊びに夢中になりだした。彼がハメをはずすたびにげんは尻ぬぐいを父母に代ってやった。この頃、げんにいくつかの良い縁談がきていた。しかし、げんは自分が去ったあとの碧郎のことを想うととても嫁ぐ気持になれなかった。こうして時が過ぎ、げんが二十歳、碧郎が十八歳。その夏、大きな不幸が二人を襲った。碧郎の身体が不治の病・肺結核にむしばまれていたのだ。発見が遅く、かなり悪化していた。入院の前に、二人は連れだって街を歩いた。二人は写真館で記念写真を撮った。碧郎は長い療養生活に入った。げんは、碧郎につきっきりで看病した。病いは七ヵ月ほどの療養で、奇跡的に回復の方向へと進んだ。めざましい回復に喜んだ父は、碧郎を湘南海岸のサナトリュウムに転地療養させた。しかし、ここで碧郎は魔がさしたとしか言いようのない過失をおかしてしまった。無謀にも、外出し、しかもボートに乗って遊んだのだ。この日を境に、碧郎の病気は、確実に死へとむかって進みはじめた。ある日、げんは髪を高島田に結い、お召しの着物を着て碧郎の枕もとに立った。それは死ぬ前に一度、姉・げんの花嫁姿が見たいという、弟・碧郎の願いであった。数日後、母が悪い足をひきずりながら、碧郎の所へ来た。彼はそんな母をあたたかく迎え、母は碧郎のやさしい言葉に胸をあつくした。ある日、二人は夜更けにおきて、宿直の看護婦さんと茶話会をやろうと約束した。二人は腕と腕をリボンのヒモでむすんで寝た。先におきた方が引っぱろうという約束もむなしく、碧郎は、深夜、この世を去っていった。

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