劇場公開日 1998年8月8日

「現代劇っぽく見せる時代劇」SF サムライ・フィクション 永賀だいす樹さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0現代劇っぽく見せる時代劇

2013年4月17日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

笑える

興奮

映画『SF サムライ・フィクション』は、全編モノクロを基調とした時代劇風の仕立て。
しかし語り口調は現代人で、走り方など所作も現代風味。
ところが精神性や話の構造はまぎれもない時代劇というユニークな作品。

剣が弱くて頭も足りない若いサムライの犬飼平四郎が、剣の立つ素浪武士・風祭が強奪した宝剣を奪還すべく追走する。幼馴染2人を連れて切り込んでみたはいいものの、一人は死亡、自らも手負いに。宝剣も取り戻せず。
ダサい、ダサ過ぎる。

そこに飄々と乱入してくるのが、風間杜夫演じる溝口半兵衛。
関われば問答無用と切り込んできた風祭に、抜刀もせぬままいなし、挙句、「ご勘弁を」と口先で追い返してしまう。
カッコイイ。戦わないけど。

このカッコイイ半兵衛に、ダサい平四郎が何を学ぶのか、あるいは学ばないのか。
本作のテーマはこれに尽きる。

また剣は使えるものの、それで口に糊しない生き方を選んだ溝口、剣のままに素浪する風祭。
この二人の生き様を通して、いわゆる「剣の道」と泰平の世にあるべき姿が対比される。
時代の流れで無用の長物と化したスキルを持ちながら、それでしか生きる糧の得られない人間はどうするのか。これが隠された二つ目のテーマともいえるだろう。

この二つの骨子を持ちつつ、全体としてはダサいサムライ・平四郎とともに物語を追いかけることになる。
勢いばかりで頭がなく、実力で負けるのが分かっていても猪突猛進しか考えが及ばないダサさ。溝口の娘・小春にデレデレしてるダサさ。幼馴染が切り殺され、自身も切り伏せられてしまうダサさ。
口ばかり威勢がよく、剣が立つわけでも弁が立つわけでもなく、女性の接し方もいまひとつ。
全体的にまんべんなくダサいので、男子たる観客もいらぬ劣等感を抱くことなく、気持ちよく笑える。いわば漫画『ドラえもん』におけるのび太くん効果でも言おうか。

ところが剣の達人である風祭も、ある意味ではとってもダサい。
賭場に入ったはいいが金をむしられ、ひょんなことでヤクザの用心棒的なポジションに落ち着いたはいいが、そこで何をするでなく酒を飲むばかり。
もともと藩主に取り立てられて宝剣を預かる身となったにもかかわらず、周囲からの嫉妬で職を失うなど、人間関係に難ある人物。
結局、剣は立つが飯は食えないという、平四郎とは別種のダサさを抱えている。

そこへいくと、溝口の剣は強いが剣に頼らず、娘と二人つつましくも笑い声のある生活は、いかにも幸せそうに見える。
ところが彼も過去に過ちを犯していて、今はそれを向き合う日々という側面がある。

主人公格の三人が、三者三様、どこか弱さ・ダサさを抱えていて、それを時代劇という束縛された時代に生きる人々という仕立ての中で切り取っていく。
上っ面だけ見ておくと、「人が死んだときだけ画面赤いわ~」と終わっちゃうけれど、よくよく観れば時代劇ならではの魅力が詰まっている。

ところが時代劇につきものの殺陣は救いがたい。
それが原因なのか何なのか、エピソード1と銘打たれていながら続編の話はとんと聞かない。
世間的には上っ面部分しか拾ってもらえなかったのかもしれない。ちょっと残念。

では評価。

キャスティング:7(役者でもない布袋寅泰を敵役にすえて作品にしちゃうのはすごい)
ストーリー:7(誰もが認めるようなカッコよさは一つもないのに、どこか染み入る物語は時代劇を感じてしまう。大和魂)
映像・演出:6(血潮をあげる代わりに画面を赤く染め、モノクロでかもす時代劇の雰囲気は悪くない)
殺陣:3(特筆するような場面なし)
時代劇:8(主役格は全員武士なのに剣に頼らず生き方に迫る。そのスタイルが人情時代劇としてうまい)

というわけで総合評価は50点満点中31点。

タイトルがタイトルなだけにファッショナブルな映像に期待してしまうが、実は精神性のほうに時代劇が息づくという不思議な作品。伝統的な時代劇を期待する層には苦々しいものを与えそうだ。
しかし現代モノに接していて、一風変わった映像を求める層には、ピッタリとハマる作品かもしれない。オススメ。

永賀だいす樹