永遠の人

劇場公開日:

解説

「笛吹川」につづいて木下恵介が自から脚本執筆・監督、コンビの楠田浩之が撮影した、人間愛憎のものがたり。

1961年製作/107分/日本
原題:The Bitter Spirit
配給:松竹
劇場公開日:1961年9月16日

ストーリー

◇第一章 昭和七年、上海事変たけなわのころ。阿蘇谷の大地主小清水平左衛門の小作人草二郎の娘さだ子には川南隆という親兄弟も許した恋人がいた。隆と、平左衛門の息子平兵衛は共に戦争に行っていたが、平兵衛は足に負傷、除隊となって帰ってきた。平兵衛の歓迎会の旬日後、平兵衛はさだ子を犯した。さだ子は川に身を投げたが、隆の兄力造に助けられた。やがて隆が凱旋してきた。事情を知った彼は、さだ子と村を出奔しようと決心したが、その当日、幸せになってくれと置手紙を残し行方をくらしました。◇第二章 昭和十九年。さだ子は平兵衛と結婚、栄一、守人、直子の三人の子をもうけていた。太平洋戦争も末期、隆も力造も応召していた。隆はすでに結婚、妻の友子は幼い息子豊と力造の家にいたが、平兵衛の申し出で小清水家に手伝いにいくことになった。隆を忘れないさだ子に苦しめられる平兵衛と、さだ子の面影を追う隆に傷つけられた友子。ある日、平兵衛は友子に挑んだ。さだ子は“ケダモノ”と面罵した。騒ぎの中で長いあいだ病床にふしていた平左衛門が死んだ。翌日、友子は暇をとり郷里へ帰った。◇第三章 昭和二十四年。隆は胸を冒されて帰ってきた。一方、さだ子が平兵衛に犯された時に姙った栄一は高校生になっていたが、ある日、自分の出生の秘密を知り、阿蘇の火口に投身自殺した。さだ子と平兵衛は、一そう憎み合うようになった。◇第四章 昭和三十五年。二十歳になる直子と二十五歳になる隆の息子豊は愛し合っていたが家の事情で結婚できない。さだ子は二人を大阪へ逃がしてやった。これを知って怒る平兵衛。そこへ巡査がきて、東京の大学に入っている次男の守人が安保反対デモに参加、逮捕状が出ていると報せにきた。その後へ守人から電話。さだ子は草千里まできた守人に会い金を渡して彼の逃走を助けた。草千里へ行く途中、さだ子はまた友子と会い、息子と会いたいという友子に大阪の居場所を教えた。◇第五章 昭和三十六年。隆は死の床についていた。直子と豊も生れたばかりの子を連れて駆けつけた。さだ子も来た。隆は死の間際に、平兵衛を苦しめていたのは逆に私だ、謝ってくれと、さだ子に告げた。さだ子は隆を安らかに送るため平兵衛を呼んでこようとした。平兵衛はさだ子の頼みをきかない。が、彼の心もやがて砕けた。三十年間、憎み、苦しんできた二人にようやく平和がおとずれた。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第34回 アカデミー賞(1962年)

ノミネート

外国語映画賞  
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映画レビュー

4.0お母さんがお父さんを憎むのをやめたら、僕もお母さんを憎むのをやめます

2024年3月28日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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ぷにゃぷにゃ

4.0憎しみでは終われない

2024年3月26日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

泣ける

悲しい

怖い

主人公(高峰秀子)は相思相愛の恋人(佐田啓二)が出征中、大地主の息子(仲代達矢)にレイプされ、結婚させられ、帰ってきた恋人は出て行ってしまう。
恋人は妻(乙羽信子)をもらい、子供を連れて戻ってくる。
主人公は夫を憎んでおり、子どもたちにも影響していた。
昭和の愛憎劇で、許すということは相手ではなく、自分を許すということらしい。

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いやよセブン

4.5歩調

2023年11月8日
iPhoneアプリから投稿

他の木下作品もそうだが高峰は幅が広い。憎しみに満ちた声が低く伸びてくる。結構な年齢差であるし、キャリア的にも差があるはずだが仲代は魅せる。用心棒と同じ年。三船に高峰。すごいもんだ。
話の視点がすばやく切り変わる。母の視点から息子の視点、夫の視点から父の視点。泣き出す娘。おっと、今度はこっちか。感情が連鎖して幾重にも重なる。恐るべき脚本。風景になるような登場人物はいない。全ての者が個々に考え言動する。
田村正和を探す高峰と再会を果たす佐田であるが、あれあれと先に行ってしまう。ラストも足の悪い仲代を後に置いて行ってしまう高峰。足の悪さもメタファーかも知れぬ。不器用や心の狭さも人の個性。ガチガチとぶつかる不幸。一緒であろうがなかろうが、結局は自分のペースでしか歩けない。

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Kj

4.5二人の距離に燻るは、和解ではなく憎悪の残火

2022年12月29日
iPhoneアプリから投稿

異様な緊張が全編に漲った圧巻の憎悪劇だった。間違っても愛憎劇ではない。憎悪劇。

さだ子と平兵衛が互いに向け合う憎悪は、さだ子の想い人である隆とその妻であり小清水家の女中である友子や、二人の3人の子供(栄一、守人、直子)といった周辺人物にも波及する。それによって二人がそれぞれ抱く憎悪の善悪の基準は絶えず混線し、錯綜し、やがて誰が善人で誰が悪人であるのかが曖昧になっていく。もはや大義名分を喪失した憎悪はひたすらに増長し、狂った化物のごとく周囲の人間を次々に不幸へと陥れていく。己の恥ずべき出生を知り自ら命を絶った栄一、兄の死を母の憎悪のせいだと詰る守人、そして年を重ねるごとに弛緩するどころかますます張り詰めていく小清水家の空気。

地獄のような夫婦生活の開始から28年が経過したある夏、隆が病に倒れる。さだ子は生と死の淵を彷徨う彼を懸命に看病する。そのうち隆が息も絶え絶えに自分の人生を回顧しはじめる。そしてあれだけ憎悪していた元妻の友子に「かわいそうなことをした」と後悔を滲ませる。それはごく個人的な反省でもあり、無際限に波及していく憎悪への供養でもある。それを聞いたさだ子は、自らが生み出し、世に放ってしまった憎悪にもいよいよ歯止めをかけなければいけないと腹を括り、平兵衛に謝罪することを決意する。

ここで読み違えてはいけないのは、さだ子は全くもって平兵衛を許す気などないということだ。隆の場合、自分の息子とさだ子の娘が結ばれたことでさだ子との擬似的な結婚を果たすことができた、という人生単位のカタルシスが彼にあったからこそ、本心から「許したい」という言葉が出てきた。しかしさだ子の場合そうはいかない。平兵衛がおよそ褒めらるるべき点の何一つない自分勝手な冷血漢であることは28年の夫婦生活が証明している。さだ子は平兵衛の「人間性」なるものに関してはとうの昔に諦めている。ゆえにさだ子が打診するのは、個人的な位相での「許し合い」ではなく、憎悪の解消だ。これ以上憎悪を募らせれば、子供や周囲の人々のみならず、ようやく生まれた孫にまでそのカルマが波及してしまうことは自明だ。それだけはどうしても避けたいし、避けるべきだということをさだ子は平兵衛に力説する。そのためにもここは便宜上手打ちにしましょう、と。平兵衛は散々迷った挙句にさだ子の申し入れを承諾する。そして二人は今にも息を引き取りそうな隆の家に向かっていく。

とはいえこの憎悪の主たる原因を考えてみたとき、それはどう考えたって小清水家側の人々にある。そこを「みんな違ってみんな悪い」的な安易な相対主義で片付けてはいけないと思う。百姓一揆の頃には村人を裏切り一揆を全壊させることで地主の地位を手に入れ、許嫁のある娘を強引に犯し、子供まで産ませるような小清水家の血は到底度し難い。次男坊の守人は兄の死をさだ子が過度に平兵衛を憎悪したがゆえの悲劇と見做しているが、友人へのコンプレックスを愛情と混同し一人の女の心身を滅茶苦茶に破壊するような精神未熟者を憎まないでいられるほうがおかしい。彼もまた「兄を失った可哀想なボク」という陳腐な感傷主義にいつまでも浸っているだけの精神的未熟者にしか見えない。

終盤の玄関先でのさだ子と平兵衛の問答に関しても、さだ子の決然とした態度に比して平兵衛の幼稚さが際立つ。急拵えの美辞麗句で相手の同情を引こうとし、それが無理だとわかれば「俺は孤独だ」と仰々しく悲嘆に暮れる戦法に切り替えるというのは、自意識ばかりが尊大で相手に対する敬意が根本的に欠如していることの表れだ。平兵衛はさだ子を愛しているのではなく、結局のところ彼女を美しい宝石か彫刻品のように所持したいだけなのだと思う。隆に自慢するための。

それゆえ、上述の通り二人は最終的に「手打ち」を果たすことになるものの、その足並みは最後まで揃わない。さだ子は隆の家に向かって駆け足に去っていき、足の悪い平兵衛がそれをゆっくり追いかける。二人の距離はぐんぐんと開いていく。そしてその決定的な距離には、死ぬまで止むことのない憎悪の残火が燻っている。

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