劇場公開日:

解説

黒澤明が、自分の見た夢をもとに撮りあげた全8話で構成されるオムニバス作品。黒澤を師と仰ぐスティーヴン・スピルバーグとジョージ・ルーカスが製作に協力し、ワーナー・ブラザースが配給を担当、まさに世界のクロサワならではのスケールの大きな作品。様々な夢に不安と希望を織り交ぜ、文明社会への批判と人間の自然とのかかわりの大切さを説いたこの作品は、黒澤明が一貫して追及してきたヒューマニズムの結晶といえる。ルーカスのILM社よる特撮の他、ハイビジョン・システムでの合成を導入。幻想的な雰囲気の映像と豪華なキャストで話題となった。

1990年製作/120分/日本・アメリカ合作
配給:ワーナー・ブラザース映画
劇場公開日:1990年5月

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第14回 日本アカデミー賞(1991年)

受賞

音楽賞 池辺晋一郎

ノミネート

作品賞  
監督賞 黒澤明
助演女優賞 原田美枝子

第48回 ゴールデングローブ賞(1991年)

ノミネート

最優秀外国語映画賞  
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映画レビュー

2.0正直わからないなあ

2023年12月31日
PCから投稿
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プライア

4.0黒澤明監督の人生と、日本の歴史をだぶらせた映画に思えました。

2023年9月23日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

この映画が公開された当初にみたときは、「よくわからない映画」でしたが、30年がたち最近観たら、ものすごく伝わってくるもののある映画でした。

基本は「人生は夢のようだった」とご自身の人生を振り返り、描いているのだと思いましたが、中でも戦争を描いた第四話は衝撃でした。黒澤明監督は、戦争体験している世代ですが、これまでその時代を描いた映画はなかったように思いますが、この短い映像から戦争の怖さがひしひしと伝わってきました。

夢中で仕事に明け暮れた時代を振り返ったかのような第五話も印象的でした。

第六話から第八話は、日本の未来を二つみせてくれた気がします。
第六話と第七話のように、原発が爆発し、放射能汚染の中で、逃げまどって死ぬのか、
第八話のように 水車のような自然エネルギーを使い、助け合って、こどもからお年寄りまで、楽しく生きるのか

それはあなたたちの前に開かれた二つの道なのだと、どちらを選ぶんですかと問いかけてくれたような気がしています。

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tara

5.0水車のある村を教材にする。

2023年9月3日
PCから投稿

黒澤明監督『夢』を映画レビューのクラスで使うが、私の考察をここに書いておく。教えているクラスは先生主導型のクラスでなく学習者主導型で、この「夢」を観て、学習者が選んだ討論テーマについて話し合う。ただ私個人の見解をここに書き、クラスのあと、ユニークな考えがあったらここに加える。
水車のある村“ ”: “The Village of the Water Mills” from“Dreams” というこの映画の最後の映画を使う。

仕事で映画を見る時は、かなり緊張感がいる。ただ、面白かったでは済まされなく、エンターテーメント的ではない。論理的な意見がいるので、『なぜ』は貴重なアプローチだ。
なぜ、黒澤明はこの「水車のある村』を最後に加えたのだろう。彼の意図は?自分の意見は?それに対する賛意両論もというアプローチである。

私感:
「水車のある村」は過去、現在、未来の構成で出来上がっていると思う。
一例は村を訪問して死亡した人の墓(過去)子供達が花を捧げたり、主人公(寺尾聰)がこの村を訪問している(現在)、主人公がこの村での経験を自分の生活に持ち帰る(未来)。この意味は私たちに多様な思考力や初来展望や批判的思考を与えてくれる。

例えば、過去。村で死亡した旅人を例に挙げよう。この旅人に尽力を尽くし、手厚く扱ったことが伺えよう。そして現在も花を添えているが
この意味はすでに形骸化してしまっている。なぜかというと、『死んだ親父に聞いた話だが.....その習慣が今になっても残っている.....訳も知らずに花を乗せ.....』と言って過去の習慣・伝統を訳も知らず、守っているという日本社会に対する皮肉を込めている。伝統は守るもので現状維持している社会に。この習慣の意味はなんだ?現在社会で必要なのか?それらにお構いなしの社会構造があると察する。黒澤はこれは現在、未来への危惧感をここに提示している。でも、ここでそれを持ち帰る主人公(人間)に選択肢や希望を与えている。アッパレ!

賛意両論(pros. cons)の矛盾的なアプローチだが、これは「観賞者が考えてください」というアプローチをとっていると思う。その一例は、例えば、自然との共存という『バランス』。根本的には観賞者が結論をだすことだが。水車を直している老人(笠智衆)の言葉から察すると、「人間は便利なものに弱い。便利なものほど、いいものだと.......』などなどと一見現代の人間が開発した文明の力、テクノロージーなどを否定しているかのように思える。しかし、この老人は水車という人間の技術が創造した、水力の発電を使っているのだ。また、おかしいことに、「この村の人はみんなここに住んでいるんですか」と主人公がいうが老人は「住んでいる村は別にある」と答える。住んでいる人たちは電気、灯を使って生活しているのかなと思わせる。その答えはないが、葬式の参列者は文明の利器、ブラス楽器を演奏していたりして、何か矛盾を感じる。こういう社会構造、ダブルスタンダード(二重基準)も現代に見られるから指摘しているのかもしれない。黒澤明監督は多様的に深く考えられる人なので、視聴者が一つ問題点に気づけば、あれこれと疑問が出てくるから面白い。葬式の形式や死に関する捉え方もクラスで話せる面白いテーマになると思う。
しかし、すべての討論のテーマは学習者が決めることであるが、私の見解を書き留めた。

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