劇場公開日 2007年5月19日

パッチギ! LOVE&PEACE : インタビュー

2007年5月22日更新

井坂俊哉インタビュー
「あれよあれよとアンソン役に決まってしまいました」

――立派な身体ですね。ジュビロ磐田ジュニアユースでサッカーをやってらしたんですね。

腕もこの太さ! アンソン役の井坂俊哉
腕もこの太さ! アンソン役の井坂俊哉

「中学生までジュビロ磐田ジュニアユースでゴールキーパーをやってました。オーストラリアの高校でもサッカーを続けていたんですが、中学時代から身体が故障がちで、サッカーをやめたんですよ。帰国してから、ジュビロユース時代の親友から『おいおい、小野・高原と同じ黄金世代だったらしいぞ』って聞いたんです。故障がなくていっぱい練習をしていたら、もしかしたら彼らとオリンピックに行っていたかもしれませんね。当時ジュビロのキーパーだった森下(申一)さんのファンでした。タイプとしては現ジュビロの川口能活さんみたいに、果敢に前へ飛び出してセーブする守備範囲が広くて、少し無謀なタイプのGKでしたよ(笑)」

――家族の兄で、一児の父親でもあるリ・アンソン役を射止めたオーディションはどんなふうだったのですか?

「前作がとても大好きだったんです。オーディションは、リ・アンソンと佐藤(藤井隆が演じた)とヨンギの3人のシーンだったのですが、アンソン役は前作で高岡蒼甫くんが演じていたので、他の2人を狙って脚本を読み込んで行ったんですよ。そしたらプロデューサーの李鳳宇(リ・ボンウ)さんの面接があって、次に井筒監督と会ったら、どの役か教えられないまま『関西弁を覚えてこい、3日後にテストするから』って宿題を出され、『明日から大変だからな、アンソン』と言われましてね。実家の静岡から東京に通っているんですが、その3日後から撮影の2カ月間、両親とは音信不通状態ですよ。あれよあれよとアンソン役に決まってしまいました」

――井筒監督は「井筒学校」とたとえられるぐらい、徹底的にしごくタイプの監督ですが、監督から一番注意されたことは?

「『関西弁が違う』って口が酸っぱくなるぐらい言われて、次が芝居でした。とにかく関西弁のイントネーションでは苦労しましたね。リアルさを追求するのが監督ですからね。ただ、監督は奈良出身なので、ビミョーに違うんですけどね(笑)」

――一番つらかった思い出は?

「電話ボックスの中から妹のキョンジャに電話するワンシーン(注:完成版ではわずか1分半のシーン)だです。朝イチに始まって、日が暮れる寸前の夕方までかかってしまったんですね。『全然家族に話しているように見えない。お前のは(好きな)おねえちゃんに優しく話してるだけやな。違う』ってNGの連続ですよ(注:電話の相手の中村ゆりが撮影現場に呼ばれたそうだ)。終いには閉所恐怖症になりましたよ(笑)。監督がずっと言っていたのは『家族の“心の距離感”を心から演じてみろ』というものでした。別のシーンでも、息子に対する情愛、オモニ(母)に対する情愛について注意されました」

乱闘シーンには思わず力が入ってしまった!?

画像2

――撮影して楽しかった思い出は?

「楽しかったシーンですか! つらかったシーンばっかりで(笑)。今思うと、充実していて、楽しかった思い出ばかりですけど。24時間、映画のことを考えていましたからね。ただ自分は体育会系なんで、乱闘シーンは楽しかったですかね。キョンジャが出演した映画が上映される会場で乱闘になって、殴り合いがトイレの中まで続いて5、6人をパカパカ倒していくシーンがあって、その最後に“パッチギ”する場面があるんです。その時、相手役の方に“パッチギ”をしたら本当に入ってしまいまして……。そのとき、ぶつけたぼくの(右手の拳を見せながら)右手にもすごい傷が残っています。“距離感”をミスったんですね(笑)。でも、そのシーンを撮る直前に、監督からは『当てろ! 当てろ! 痛そうに見えないんじゃ~』と大声で怒鳴られていましたから、リアルには映ったんじゃないでしょうか。その前に木の箱などで自分もボコボコに殴られていましたから、怒りのあまり痛さを感じなかったけど、服を脱いだら全身アザだらけでした」

――完成した作品をどう見ましたか?

「生き抜いていくために、どう家族がつながりを持って生きていくか、深く描いていますね。1秒たりとも見逃せないなぁと思うほど、内容に入っていく作品になっていますね。2回も3回も見たくなるような、そんな深い内容の映画になっていると思います」

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