青春残酷物語のレビュー・感想・評価

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3.5☆☆☆★★★ 簡単な感想で。 冒頭で、山茶花究のエロおやじを殴りつ...

2024年3月21日
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☆☆☆★★★

簡単な感想で。

冒頭で、山茶花究のエロおやじを殴りつける川津祐介。
この時に、壁を背にしてクルッと1回転する演出の面白さ。
画面は直ぐに当時の渋谷?の街並みを練り歩く安保反対のデモ隊達。
そして木場の材木運河で繰り広げられる、川津祐介と桑野みゆきの有名な場面へ。
この時のギラギラとギラつく川津と。責められながらも、不思議と恍惚の表情にも見える(当時の清純派女優なのに)桑野みゆきの魅力の爆発。これがもう観ていて堪らない。

映画は、この2人の世代の若者を通し。やりたい放題やっては社会に反抗する世代と対象的に、渡辺文雄と久我美子の《闘いに敗れた》世代の「我々は負けてしまったんだ!」…と言う。どうにもならない状況に陥ってしまった、自らを諌めるかの様な憤りを並行して描いていた。

互いに抗いあっている社会への不満。
この作品が公開された1960年と言えば、「もはや戦後ではない!」…の時代。
思えば、渡辺・久我の2人の世代が《全学連》から《安保闘争》へと至る学生運動初期の世代にあたるのだろうか?
そして、川津・桑野はその次の《全共闘》から【東大安田講堂占拠】【浅間山荘事件】【連合赤軍】へと至る《総括》世代…と言って良いのだろうか?
もしもそうだとしたのならば。この作品の時期にまだ全共闘は生まれてはいないと思われるだけに、その後の社会の動きを先取りした先見の明に満ちていた…とは言えないだろうか。

ある意味で、大島の世代では成し遂げる事が叶わなかった。その喪失感には絶望しかなかった《モノ》
それが川津・桑野の世代にはどうなるのか?それを見届けたいとの想いが込められていたのかも知れない。

そんな思いを感じさせる監督大島渚は、そのフィルムグラフィーを見ると。デビュー作からこの作品までは自ら脚本を書いていて、おそらく渡辺・久我の世代にあたるのだろう。
そしてこの後からは石堂淑朗との共同脚本に変わって行くだけに、転機になった作品だったのだろうと想像出来る。

最初に記した材木運河の場面を始めとして、桑野の顔を画面の右端で半分に切り取る等、印象に残るショットも多く。この作品から【松竹ヌーベルバーグ】とゆう言葉が発生した…と言われているのも頷ける思いを味わった。

2022年 2月9日 シネマブルースタジオ

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松井の天井直撃ホームラン

4.0正直、学生運動や社会問題テーマ云々は全く理解できなかった。 でもス...

2024年2月8日
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正直、学生運動や社会問題テーマ云々は全く理解できなかった。
でもストーリーや画は良かった。
最後に二人で街を歩くシーンは美しかった。

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抹茶

4.0リンゴをかじると血が出ませんか?

2022年11月9日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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kossy

3.0格差社会の中、若者達が再び無軌道・無法的行動に走り出さないかとの心配が…

2022年9月16日
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今年、
「戦場のメリークリスマス」を再鑑賞した時、
欧米文化の精神的優位性を謳いながらも、
特に上映妨害を受けたとは聞いていない
この作品の大島渚監督が存命だったら、
永久に不可能と思われる
日本版「南京事件」を否定論者に抗して
製作出来たのではなかったろうか、
との思いに至っていた。
そんな関連もあり、
ほとんど未鑑賞だった彼の若い頃の作品を
観ようと思っていたところ、
たまたま近くの図書館にDVDがあったので
この作品を初鑑賞した。

この物語では、金、金、金、なんでも金、
ある意味お金が動力源が如く、
全ての登場人物は行動する。
大島渚は、多分にこの風潮は、
当時の国民意識から逸脱した60年安保条約や
その後の所得倍増政策と無縁ではないと
語っているのだと思った。

登場人物は社会正義や社会秩序に
抗うかのように、また、若さの発露の如く、
お金を原動力にして
無軌道だったり本能の導くままに行動する。

この作品の登場人物の台詞を借りると
「青春を燃やさな過ぎた」
人種の私としては、
己の青春に対する若干の後悔と共に、
しかし、なかなか理解の及ばない青春群像
を見せつけられた気分だった。

しかし、その発露の道具として
この作品で扱われた“金”については、
私が社会人になった頃に比較して
中間所得層が激減して
格差社会化している現状の中で、
社会への抗いの象徴として
再び若者達が無軌道・無法的行動に
走り出さないかとの心配心も浮かんだ。

「戦メリ」以前の大島作品としては
「少年」「儀式」位しか観た記憶がないので、
この先、もう少し大島渚の世界を浸りたい
と思っているが、
結果、どんな彼の総評に繋がっていくか
楽しみになってきている。

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KENZO一級建築士事務所

2.5大島渚の二作目

2022年4月24日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

生意気な女子高生(桑野みゆき)は夜遊びで危ないところを、大学生(川津祐介)に助けられ、恋に落ちる。
美人局を繰り返し、危ない橋を渡り、破滅的な人生となる。
ニュースを見ていると、今でも同じような事件が続いているようだ。

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いやよセブン

4.0川津祐介さんを偲んで

2022年4月3日
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鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

知的

初鑑賞

監督と脚本は『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマス』『御法度』の大島渚

一応青春映画
タイトルに残酷がついているがグロ映像はない
少年誌や女子向け漫画雑誌のような恋愛はない
ヒロインに浜辺美波が抜擢されるような内容ではない

ヌーヴェルヴァーグとは奔放と反権威らしい
大杉栄みないなものか

インテリだからと言って残念ながら模範的なわけではない
少し古いがスーパーフリーの早大生がいい例だ

自分が鈍感なのかもしれないが石川達三の戦後の小説のような過ぎた自由を謳歌する若者に警鐘を鳴らすようなメッセージ性は感じられなかった

自己中な大学生の男と大人の階段を上る途中で転げ落ちた女子高生の出会いと別れ
そして悲劇的な最期
送り狼で女子高生をホテルに無理矢連れ込もうとする中年男を懲らしめる主人公
それに味をしめたのか女子高生を利用し美人局でいやらしい中年男たちからカネをまきあげる主人公
女子高生の方は大学生の方が好きで共に犯罪に手を染めていくのだが男の方はわりと冷たい
独占欲はあるようだがぜんぜん優しくないしビンタなんて当たり前

おじさんも男だし女子高生はどうかと思うが若い女とセックスしたいのは当然である
あのくらいの強引さがないと少子化対策にならないだろう
ただ願わくば股間で障子紙に穴を開けるような文学性は欲しいところ

事前情報はほとんど読まず本編も聞き漏らしたのかもしれないが女子高生という設定だったんだね
制服姿はなく全て私服なので彼女も大学生かと思った

女子高生は泳げないらしいが不恰好だが一応泳げていてとてもいまにも溺れそうな雰囲気は感じられなかった
そこはちょっと残念だった

大好きな男の子を宿しウキウキだったのに歓迎されず堕すことになり良心的?な値段で闇医者に掻爬手術を受け涙を流しながら病院のベットで横になるヒロイン
それを座って見つめる大学生
その背後で姿はないが闇医者とその元カノで女子高生の姉のおしゃべり
そして林檎をムシャムシャと齧り頬張る大学生
この一連のシーンが好き

なんてことない話だが映像にチカラがある

台詞がほぼ棒読みに感じなくもない
聞くに耐えられないほど酷くはない
そういう演出なんだろう
いまと時代が違うし東京の若者はこういう喋り方をしていたのかもしれない

60年代の安保闘争の時代
監督も左翼らしいが左翼運動を否定しているわけではない
若い男女が置かれた時代を切り取った緊迫感と虚無感が作品を彩る
そう感じた
日本の『俺たちに明日はない』みたいな映画だが銃社会じゃないのでラストはあれほど派手じゃない

主人公の大学生藤井清に川津祐介
ヒロインの女子高生新庄真琴に桑野みゆき
真琴の姉新庄由紀に久我美子
闇医者の秋本透に渡辺文雄
ヤケザもんの松木明に佐藤慶
取調べの刑事に佐野浅夫

昨今の週刊文春も一種の美人局じゃないかと勘ぐりたくなる
自称ジャーナリスト伊藤詩織のように正々堂々と法廷に立つべきだが宮澤賢治の雨にも負けずに共感したのだろうか墜ちた出版社にタレ込む方法を選んだ
いい歳して必死で強引なエロオヤジを擁護する気はないが報道のせいで楽しみにしていた映画を観れなくなるのは残酷な話
週刊誌の馬鹿ライターは儲かるし加害者はセミリタイヤにはいい機会だし被害者は胸のすく思いだろうしヤフコメ民は新しいおもちゃが見つかって気分がいいだろう
だが映画ファンにとっては逆恨みもしたくなるし只々迷惑な話
今更責任とっても遅いし三流雑誌の飯の種にならないよう責任ある行動を映画関係者に強く求めたい

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野川新栄

4.5学生運動の敗北と,その後に訪れた欲望を通しての反抗,そしてどうしよ...

2022年2月7日
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鑑賞方法:VOD

学生運動の敗北と,その後に訪れた欲望を通しての反抗,そしてどうしようもなく自分を物として扱われることを回避できない若者たち.とても不条理だ.虚像かもしれないけれど実像かもしれない.彼らの悲惨な生活の中にも喜びはあるのかもしれない.それでもやはり,その中にはこの虚像が含まれているのは確かだろう.社会のおかしさが個人の犯罪や悲劇をどうしようもなく発生させているという描き方をできる手腕について思う.鑑別所から出た二人が海で再開したシーンでは,このまま二人が恋愛を深め合うという終わりかと思いきや音楽だけ不穏なもので,そこからがやはりこの映画の恐ろしさが濃縮された部分が始まる.現代の私たちが抱えているおかしさについても考えないといけないと思う.それは学歴社会からはみ出していく学生だったり,転職の末に働く気力を失っていく労働者だろうか.あるいはベンチャーキャピタルを通して投資を集め,巨大資本を転覆させようともくろむ若き起業家たちだろうか.今はまだわからない.

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ケ

0.5観ていて気持ちの良い映画ではない。

2021年7月27日
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鑑賞方法:DVD/BD

知的

寝られる

粗筋だけを追えば、はすっぱな若いカップルの顛末。
 『勝手にしやがれ』や『大人は判ってくれない』等に刺激されたとWiki(日本ヌーヴェルヴァーグ)で読んだが、『死刑台のエレベーター』の若いカップルにも通じるところがあり、途中、陽水氏の『飾りじゃないのよ涙は』が頭の中によぎってしまった。
 当時の松竹としては、革新的な題材・筋で、予告でも「日本のヌーベルヴァーグ」と煽っているが、今となってはありふれた物語。とはいえ、撮り方によっては面白くなるのだが…。

とにかく、サディスティック。
 木場の場面は、はっきりいってリンチ。これで関係が始まってしまうのって…。当時、ヴァージンを失ったら、商品価値を失ったように扱われた名残…。こんな男に”操(死語?)”を捧げ尽くさなければいけないと自分を追い込む真琴が哀れ。
 「お前は殴りたいだけなんだ」と喝破されるが、清は相手を傷つけたいだけのように見える。同級生が学費の工面ができたと知るや、足を引っ張る。「人は物のように扱われるしかないんだ」と偉そうに吐き捨てるが、そういう清自身が、夫人を財布としてしか思っていない。学歴が、頭の良さや精神発達の度合いと比例していない典型。自分のことしか見えていない。
 他にも、これでもかというほど、人の醜悪な面:エゴイズム・自己中心性だけを、突き付けてくる。登場人物の”良い”面はまったく描かれていない。
 自分の欲で、清を縛り付ける夫人。あのような扱いをされてもなお、ってなぜ?おもちゃを他の人に奪われるのは悔しいから?優位に立っているつもりの言動。奴隷を飼っているつもり?
 時代のせいにして、必要最低限の躾すらせずに逃げる父親。
 同じように、わかったふりをして、したたかに生きる知恵を授ける教師。こちらも責任を負わない。
 「社会を変えたかった」という姉は、結局自分の気持ち・利害しか考えていない。
 秋本についても、『赤ひげ』のような清濁併せ持つ人物として描くこともできただろうに、理想に挫折した”敗北者”としてしか描かない。社会に対して、若い世代に対して、責任があるようなセリフが続くが、彼にどんな責任が取れるというのだろう? というより、医療行為以外には責任を取っていない。リアルな中二病。自分たちがすべてを変えられると思っていた世代。
 何よりも「敗北」という言葉が何度も出てくるが、監督の人生には勝ち負けしかないのだろうか?そして、支配ー被支配の関係。それでいて、何もかも、全否定。相手のやることなすこと、否定しかない。だからどうするという代替案なしに(「布団にもぐって泣くんだよ」は唯一の代替案だけれど…)。
 DVと同じ関係性。胸糞悪くなってくる。
 それでも、守りたいものができたとき、人の内面は変わることができるのか。守りたいものを守るのにも力がないと嘆く清。真琴が求めているは”優しさ=人として大切に扱われること”なのに。すれ違う二人…。そして…。
 最終的に、若い二人の責任の取らされ方。自業自得とはいえ…。

 学生運動団体の委員長で左翼・新左翼系の活動家(by Wiki:日本ヌーヴェルヴァーグ)だった監督。自分のそれまでの活動を、総括した作品なのだろうか。俺たちがやってきたことは無意味だったと。
 DVDについていた大島監督のコメントを拝聴すると、「怒り」がキーワードらしい。
 何に対しての怒り?
 思い通りにならないことへの怒り?
 今観ると、登場人物の台詞は、羨望・ひがみにしか見えないのだけれど。怒りというよりもがきなのか?
 映画の中での怒りは、内に向かうよりも、外(社会)に向かっている。
 姉世代が絡むと、清たちの行動が清たちの責任ではなく、社会の責任になってしまう。責任転嫁。

巨匠・大島監督作品。
ダルデンヌ兄弟が選ぶ名作映画79本のうちの1本。
どんな作品なのだろうと鑑賞。良さがわからなくて、我慢して再鑑賞。

演出は凝りに凝っている。細やかな演出に、監督の想いを探ってしまう。
 棒読みのような語り。言い放つ言い方が多用される。人の気持ちがわからぬ清ならではの言い方?怒りの、あえての演出?
 桑野さんは『赤ひげ」で圧巻の演技を見せてくれた方。この映画でも、表情・間合いでいろいろな感情を語ってくれる。でも、語りは棒読み・言い放ち。虚勢ややりきれなさとかの表現?
 壁越しに聞こえてくる姉と杉本の言葉。姉のというより、社会の声として聞かせているのか?
 その後の、林檎齧り。ひたすら青林檎を齧っている数分のシーンなのに、なぜか清の内面の変化をイメージさせる。赤い林檎ではなくて、青林檎というのがまた示唆的。
 特に必要ないのに、幾度となく映される真琴の足元。何か意味があるのだろうか?

常に時代を先取りし、話題になった監督。
その先見の明が凝縮された映画のなのか。
自分の中の評価がまだ揺れている。

映画史的には重要なのだろうし、
演出も目を見張るものがあるのだが、
内容的に不愉快.
 社会を批判する、わかったようなことを言う観念ばかりで、実のない言葉がから回る。
 他人から上前(骨の髄までしゃぶる気だが)を奪い取ることしか考えていない登場人物ばかり。
 地に足つけて生きている人・何かを作り出す人が出てこない。
 唯一生み出されるはずの新しい命も…。
映画を”勉強”したい人とは語り合いたい気もするが、
”おもしろい”映画ではない。
なので、☆2つ。

(台詞はすべて思い出し引用)

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とみいじょん

4.0本作は60年安保闘争の本質とは何であったのかをえぐり、見たくない、認めたくないだろう現実を直視している

2019年9月24日
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鑑賞方法:DVD/BD

本作は1960年6月3日公開
その3週間前の5月19日に60年安保条約が改定され、それに抗議する大規模デモが頻発していた最中のことだ
本作はその本物のデモ隊の様子を捉えている

主人公の真琴は女子高生
冒頭で知り合うことになる清は大学生だ
彼と彼女は政治には関心がない
デモ隊を見ても邪魔そうな視線を投げる

真琴には30歳位の姉がいる
姉は1947年の二・一ゼネスト、1948年の全学連結成、1950年の人民広場事件の時の世代だ
彼女は結局政治的な学生運動よりも安定した生活を望み中年の生活力のある男性を選ぶが結局結婚できないままだ
おそらく不倫関係であり、いまだに続いている

この姉妹の家庭には母はいない
戦争で死んだのかも知れないが、この姉妹を戦前のような女性の生き方の手本を示す存在はいない
父は家父長の威厳はなく、戦争に行き敗れ自信を失っている姿を見せる
つまりこの家庭は戦後日本を投影している

真琴が清との恋愛を熱情に任せて何も振り向かず突き進むことに感化され、生き直したいと姉は中年男と別れて、かって一緒に共産主義活動をした元恋人を訪ねる
彼女のかっての恋人は共産主義の積極的活動家であったが彼女同様、政治運動に夢破れて闇医者をしてなんとか生きている
彼の闇診療所の壁には日本共産党のビラが未だに貼ってあるのだ
闇医者は彼の夢が破れた1948年公開の黒澤明監督のよいどれ天使に憧れてという設定なのだろう
しかし彼のやっているのは本当の闇医者だ
そうするほか無かったに過ぎない

二人の会話はこうだ

社会を変えようという理想に青春を燃やしてきた
でも方法は幼稚だったし、過ちは一杯あった
ぶつけても、ぶつけても壁は壊れない
僕達はイライラして、お互いに傷つけ合うギスギスした関係になった

世の中を変えるんだと力んでいた二人の成れの果て・・・
しようがねぇじゃねえか
世の中の歪みが俺達の愛情を歪めちまったんだよ
お互いの体に手も触れないほど厳しく、世の中の歪みに対立しつつ学生運動という形で青春の怒りをぶつけてきた
でもその中に歪みは入って来て、お互いに傷つけ別れ敗北しなければならなかったんだ

この会話は二人の恋愛のことであり、戦後直ぐの全学連結成当時の学生運動への総括でもある

清には60年安保闘争のデモ隊に関わる友人もいるが、彼はデモのビラ配りの貧乏女学生を捨て金持ちの女学生に乗り換えて安保闘争からも離脱しようとしている

清はいつもイライラとして怒りの捌け口を求めている
女を食い物にして生きていて平気な男だ

結局、彼は犯罪に手を染め逮捕される
取り調べを受け、俺は悪くない、大人の方が悪いと不満を訴えるが刑事にこうなじられる

そのやり場のない怒りは社会への不満ではない
その不満で犯罪を犯したのではなく単に金の為だけなのだ
そうと指摘されると、思わず殴りかかってしまう
そして刑事にこう言われるのだ

これがお前の正体だ
殴りたい、殴りたい、年中そんなことばかり考えている

彼はそれが正鵠を射ていると気付くのだ

つまり60年安保世代の学生運動も、結局は政治闘争というものではなく、単なる欲求不満を暴力で発散させているのだということなのだ

闇医者と姉と清はこのような会話をする

君の妹達はね、俺達とは逆に欲望を全部貫くという形で世の中に怒りをぶつけているよ
でもね、それだって勝てるかどうか
きっと負ける
例えばこうして子供を堕ろさないとならないような積み重ねが彼らを歪めてそして結び付きを壊していくんだ

清は壊れないと抗弁するが、闇医者は妹は絶望的な顔だったと応える

姉はこう話す
あなたは私の一つだけ残っていた夢を壊しちゃって、その上あの子達の夢まで壊そうというの

清は言い返す
夢なんか持ってないよ、俺達
だから、あんた達のように惨めなことにならないよ

闇医者がいう
今夜はね、俺達の二度目の敗北の夜なんだ、と

そして彼は姉にもう会うこともないといい、看護婦のような下品なくたびれた女を紹介する

この女はね、俺が今の女房みたいにしている女なんだ
俺はこの女を一生引きずってな

釈放された清は彼の自供によって逮捕されてきた闇医者と警察署の前ですれ違う
彼はこう言葉をかける

俺達の青春の敗北が、君達の歪んだ在り方の原因となっていると思うから恨みはしないがね

つまり戦後の左翼活動の出発点から間違っていたと懺悔するのだ
60年安保闘争の敗北はそこから既に始まっていたと

ラストシーンはそれぞれに残酷なことになる
釈放されても二人は行く宛もなく、何をするという目的すらない
清は彼女を守る力もないのを知ったのだ
俺達は自分を道具や売り物にして生きていくしかないんだ、世の中そうなんだと言うのだ
俺達が頑張ったってちっとも変わりはしないよ
お互いに傷つけあうばっかりさ

行き場を失い追い詰められた末路がそのラストシーンだ

姉の世代も、妹の世代も結局は大人達に敗北をするのだ
本作公開の僅か12日後、国会突入での機動隊とデモ隊との大規模な衝突で活動家の女学生樺美智子が死亡する事件が発生する
その一週間後には60年安保は自然成立し、闘争は敗北し消滅していった
本作はまるで予言そのものだったのだ

本作は60年安保闘争の本質とは何であったのかをえぐり、見たくない、認めたくないであろう現実を直視している

だから青春残酷物語なのだ
若者は若いが故に熱情に突っ走る
それは真琴のいうようにちっとも悪くはない
若さの特権なのだ
しかしその向ける方向を間違うと、このような残酷な結末が訪れるのだ
大人としての力を身につけなければ、単なる暴走にすぎないのだ
それ故に大人達は車に乗り、清と真琴は2人乗りでバイクで走っているのだ
これが大島監督が語りたかったテーマなのだろう

果たして70年安保闘争と学園紛争は同じように崩壊した
そこから40年経ち、こんどは老人となった若者達が民主党政権を樹立してリベンジを図った
が、その結末も本作の言わんとする結果に終わったのだ

姉の世代と60年安保の世代は間違っていたことを自覚し認めた
そしてそれを直視している

1932年生まれの大島渚監督は、姉の世代と妹の世代に挟まれている
本作には監督がこの二つの世代を直接見た視線が投影されているのだ

しかし、70年安保闘争と学園紛争を起こした次の世代、団塊の世代の人々にこのような自覚と自省と直視の視線は、今に至るまであったのだろうか?
本作のように総括されないまま、成仏できずにいるのではないか?
だから70年安保闘争から50年もの年月が過ぎ、老人に成り果てても、未だに彼らはジタバタするのだ
彼等には姉とその元恋人がしたように、喪われた青春に乾杯をしていないのだ
その自覚を持っていないのだろう
死んでいるのにその自覚がなければそれは亡霊だ

21世紀の現代の若者が本作を観る意義と意味はなんだろう

日本のヌーベルバーグ映画とも言われている
単にそれだけの視線でみるのも良いだろう
確かに観れば観るほど味がでてくる作品だ

しかし、この世代の老人達の凝り固まった妄執の背景を知ることによって、彼等の魂胆を見抜き、利用されないように用心して、このような残酷な結末を21世紀にまた繰り返さないようにすることではないだろうか

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あき240